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オリジナル小説「密造」NO.3
翌朝、八時過ぎに麻美が目覚めると、健太はスラックスとブラウスを着て応接セットの椅子に
座っていた。
「おはよう」と、ベッドの上で上半身を起こした麻美に健太が声をかけた。
「ごめんなさい。いつまでも眠りこけちゃって」
浴衣の乱れを直して照れくさそうに麻美が言った。
「そんなこと気にしなくっていいさ。なんか早く目が覚めちゃってさ。だもんで、そのまま起きちゃ
ったんだ。ルームサービスで朝食を頼むことにしよう」と言って健太が受話器を持ち上げた。
慌ててベッドから下りた麻美は、スカートとブラウスを身に付けるとバスルームの中へ逃げ込
み、備え付けの歯磨きと石鹸で口と顔を洗った。そして「おはよう」と言って健太の前に腰を下 ろした。
「すぐにコーヒーがくるからさ」
「煙草一本ちょうだいね」
気まずさを紛らすよに麻美がテーブルの煙草に手を伸ばした。
黙って二人が煙草を吸っていると、ドアをノックした従業員が朝食を室内に運びこんだ。そし
て小さいテーブルの上にコーヒーとサンドイッチの食器を手際よく並べた。
「なんか、子供の朝飯みたいだな。安いからしょうがねぇか」
そう言って苦笑いした健太が、小さいサンドイッチにかぶり付き、あっという間に平らげてしま
った。
朝食を終えた二人は、どちらも照れくさそうな面持ちでその場を取り繕った。そして同時に立
ち上がると、それぞれの上着に手を伸ばした。
「今日は何かと忙しくってさ。いつでも好きな時に電話してちょうだい」
「健太さんと会えて、本当にうれしかったわ」
別れの言葉を交わして部屋を出た二人は、エレベーターで一階へ下りてチェックアウトを済ま
せ、笑顔でホテルの外に出た。
「それじゃあ電話を待ってるからさ」
「さよなら。がんばってね」
日曜日なので、もう少し一緒にいたかったのだが、健太の方が逃げるようにして去っていっ
た。会社の資金難で苦しんでいるのが、別れ間際の彼の表情や立ち居振舞いから察すること ができる。そんな彼の後姿を見送る麻美の目に、うっすらと涙がにじんだ。
三百万円の手形の決済が一ヵ月後に迫っていると、昨夜ベッドの上で健太が話してくれた。
とりあえず三百万円を用意すれば、会社を継続することができるのだ。こうなったら、死に物狂 いで彼の代わりに三百万円を捻出するんだと、小さくなった健太の後姿を見送りながら麻美は 決心した。
麻美には百三十万円の預貯金があるので、足りないのは百七十万円ということになる。一ヶ
月でそれだけの金額を捻出するとなると、尋常な方法では無理である。雷門の前で立ち止まっ た麻美は、バッグから住所録を取り出して渡辺銀次郎の電話番号を調べた。下町の繊維業界 で「ファッションやくざ」と揶揄されている三十八才の強面の男である。彼なら知恵を貸してくれ るに違いないと、すがる思いで電話をかけた。
渡辺銀次郎の主な仕事はバッタ屋だが、他にも儲け話には積極的に手を出す男で、麻美の
会社の客の中では異色な存在だった。銀次郎の方が麻美を気に入ってくれて、何かと声をか けてくれる。「困ったことがありゃ、いつでも相談に乗ってやるからな」と、言うのが彼の口癖だ った。
「びっくりしたな。麻美ちゃんが日曜に電話をよこすなんて、いったいどう言うことなんだい?」
「実は、相談したいことがあるんです。今から事務所へ行ってもいいですか?浅草から電話を
かけてるんですよ」
「浅草なら近いな。午前中は事務所にいる予定だから、ちょうどいいや。お菓子でも買って待っ
てるよ」
上機嫌で銀次郎が承諾してくれたので、麻美はタクシーで墨田区本所の彼の事務所に向か
った。休日なのでいつもより車の通行量が少ない。吾妻橋を渡って隅田川を越えた所に彼の 事務所がある。
間口の狭い二階建ての民家の一階が銀次郎の事務所になっている。「渡辺企画」というプレ
ートを貼り付けたくもりガラスの引き戸の前に立った麻美は、緊張をほぐす為に大きな深呼吸 をした。そしてゆっくりと引き戸を開けて中を覗き込んだ。
「お邪魔します」
「思ったより早かったジャンか。さあ、遠慮せずに中へ入ってちょうだい」
部屋の奥の事務机に座っていた銀次郎が、立ち上がって麻美を促した。そして小さい応接セ
ットのソファーに腰を下ろした。
「休日に押しかけちゃったりして、済みません」と、言って麻美が対座した。
「そんなことなら気にすることねェよ。うちみたいな小さい会社は年中無休でさ、仕事があっても
無くても営業しなきゃならないんだ。人様が休んでる時の方が、逆にうまい儲け話があるから さ」
黒っぽいシャネルのジャージ姿の銀次郎が、リーゼントの頭を掻いて自嘲の笑いを浮かべ
た。そして膝に両手を置いて背筋を伸ばし、麻美の顔を覗き込んだ。
「コーヒーでいいよね?喫茶店にもってこさせるからさ」
「ありがとうございます。コーヒーでけっこうです」
机の上の電話でコーヒーとショートケーキを注文してソファーに座り直した銀次郎は、緊張し
て重苦しい麻美の表情から目を逸し、渋い顔付きでしばらく天井を見やっていた。
「俺みたいな人間に相談があるってことは、まともなことじゃないみたいだな」
「なんて言ったらいいのか、つまり、早い話がお金のことなんです」
あらかじめタクシーの中で考えていた通りの言葉で、麻美が切り出した。
「金をどうしようって言うの?」
「事情があって、短期間に百七十万円ほど、金策しなきゃならないんです。何かいい方法がな
いかと思って、それで相談に」
「そうか、そういうことだったのか。一ヶ月で百七十万ていうのは、ちょっと厳しいね。もしかした
ら、借金の返済じゃ?」
「そうなんです。私じゃなくて、付き合っている人の」
銀次郎の言葉に誘導されて、麻美は事実を正直に口にした。
「ということは、恋人の借金を肩代わりするってことか。どうしてまた?」
銀次郎が真剣な眼差しで問い掛けてきたので、麻美は健太の会社の資金難について説明し
た。こうなれば、銀次郎に下駄を預けるしかなかった。全てを話すことにより、思い詰めて重苦 しい気分から解放されたかった。
「そんな訳で、とりあえず約束手形だけでも支払えるようにしたいんです」
「どの会社も資金繰りには困っているからな。彼の言うのが事実だとしたら、全部で千三百万
の借金があるってことか。分かったよ。なんとか、力になってやろうじゃないの。どこまで出来る か分かんないけどさ」
「ありがとうございます」と、言って頭を下げた麻美は、潤んだ目をスーツの袖で拭って笑みを
浮かべた。
「麻美ちゃんの彼がうらやましいね。そこまで思ってもらえるんだからさ」
銀次郎がそう言った時、喫茶店のウェイトレスが引き戸を開けてコーヒーを運び入れた。
「ここのショートケーキはうめェんだ。さあ、食べてちょうだい」
感無量な面持ちで「いただきます」と言った麻美は、気持ちを切り替えて美味しそうにケーキ
を頬張った。
「もうすぐシーズンオフだからさ、下町のメーカーは大量の返品を抱え込んでるよ。それを買い
叩いて、北海道で売り捌くんだ。そうすりゃ、いくらかの儲けになる。今日の予定は特に無いの かい?」
ショートケーキを平らげた銀次郎が、コーヒーを飲みながら問い掛けた。
「これと言って特にないです」
「じゃあさ、今日中に話を具体化しようぜ。ちょうどもってこいの仕事があるんだ。正直言ってヤ
バイことなんだけどさ」
「ヤバイって?」と、不安そうに麻美が尋ねた。
「そうだな、場合によっちゃ警察沙汰になるかもな。と言ったって、確率で言えば十分の一くらい
だ。よっぽど運が悪く無い限り、警察にはばれずに済むさ」
「警察沙汰って、どう言うことなんです?」
「早い話が、登録商標違反ってやつだ。逮捕されるかもしれないけど、安い罰金刑で済むよ。
俺は一年前に逮捕されてるんで、断るつもりだったんだ。アバウトで計算しても、百万ちょっと の稼ぎになる。だから、もってこいの仕事なんだわ。そのくらいの覚悟は出来てるんだろう?」
銀次郎が確認したので、躊躇しながらも麻美は小さく頷いた。
「その前にさ、一箇所だけ行く所があるから、付き合ってもらえないかな。車で十分もかかんな
いよ」
「かまわないです。手伝うことがあったら言って下さい」
「同伴してくれりゃあ、それだけでいい。それじゃあ出かけるとしよう」
机の上のセカンドバッグを持った銀次郎は、麻美を伴って玄関の外へ出た。そして停車して
あったキャラバンの運転席に乗り込んだ。
「縫製屋がメーカーから返品されたニット製品を、大量に抱え込んでいるんだ。安くで買い叩い
て、小売店に卸すつもりなんだわ」と、言って銀次郎が車を発車させた。
「安く買うって、いくらくらいなんです?」
「段ボール一箱が五千円だ。中に三十入ってるから、一着が百七十円ってことだな。縫製代に
もならねェんだけどさ、それでも縫製屋は金に替えたがる。捨てるよりはマシだってことなんだ わ」
三つ目通りを直進した車は、すぐに亀沢の縫製屋の前に到着した。車を降りた銀次郎は、間
口の広いガラスの引き戸を開け、「毎度」と事務室の奥に声を掛けて中へ入った。そんな彼の 背中に隠れるようにして麻美も足を踏み入れた。
ややあって五十代の社長が奥から姿を見せた。
「渡辺さんだったのか。ここにちゃんと用意してあるからさ」
愛想笑いをした社長が、事務室に詰まれた段ボール箱を指差した。
「ちょっと中を見させてもらうよ」
箱のふたを開けた銀次郎が、中から長袖のニット製品を取り出してチェックをした。
「確かにモノはいいね。それじゃあ、十箱分として五万を渡しますんで」
「ありがとう。助かるよ」
セカンドバッグから取り出した五万円を銀次郎が手渡すと、手刀を切るようにして社長が受け
取り、笑顔でキャラバンの後部に箱を積み込んだ。
「また何か出物があったら、声を掛けてくださいな」
そう言って運転席に乗り込んだ銀次郎は、助手席の麻美の横顔を一瞥してから車を発車さ
せた。
「一着三百円で小売店に卸すんだ。たいした稼ぎにゃならねェけどさ」
バッタ屋の遣り口を目の当たりにして少しばかり動揺した麻美は、返す言葉を無くして目を伏
せた。
「メーカーってのは、有無を言わせず工場に返品しておきながら、それを勝手に売り捌くと、今
度は文句を付けやがる。ふざけた話だと思わないかい?」
「確かに、ひどい話ですよね」
「バッタ屋のこと馬鹿にしてくさす奴がいるけどさ、加工場の連中にはけっこう感謝されてるん
だ」と、言って銀次郎が事務所の前に車を止めた。
麻美を事務所内のソファーに座らせた銀次郎は、車の段ボール箱を一人で室内に運び入れ
た。そして、大きな背伸びをしてから麻美と対座した。
「例の金儲けの話なんだけどさ、本当にやる気あるのかい?途中で気が変わるようなことがあ
ったら、困るんだよ」
向き合った銀次郎が、身を乗り出して念を押した。
「覚悟はしました。迷惑をかけることは絶対にしません」と、麻美がきっぱりと言い切った。
「それならいいんだけどさ。だけど、いくら恋人の為だと言っても、麻美ちゃん一人でやるには、
ちょっと荷が重過ぎるんじゃないかと思うんだ。だったら、事前に彼と相談してさ、二人でやった 方がいいんじゃないだろうかね」
そうした銀次郎のアドバイスに麻美の心が揺れ動いた。目を伏せたままで考え込んでしまっ
た。
「彼のように会社を経営してる人間にとっちゃ、どうってことない仕事さ。自分の金策の為なん
だから、ちっとも苦にならねェよ。悪いこと言わないから、そうしたらどうだい?」
「分かりました。相談してみます」と、麻美が頷いた。
「次の水曜日が祝日になるから、二人で一緒に訪ねてきなよ。その時に詳しい話をするからさ」
「そうします。ありがとうこざいました」
厳しい表情で一礼して立ち上がった麻美が、引き戸の前で振り返って再度頭を下げた。そし
て吹っ切れた顔で地下鉄の本所吾妻橋駅に向かって歩き出した。
なんとか金の工面がつきそうだ。運悪く警察沙汰になったとしても金策の為には止む無い決
断だった、と麻美が腹を決めて自分に言い聞かせた。
地下鉄の電車のシートに座った麻美は、目を閉じて時間をやり過ごした。疲れているのだ
が、頭が冴えてうたた寝ができない。銀次郎とのやり取りで高まったテンションを、いつまで経 っても下げることができなかった。
人形町で日比谷線に乗り換えて中目黒のマンションに帰った麻美は、部屋に入るなりベッド
で体を横たえた。健太とベッドインした昨夜のことを思い出しながら、いつまでも幸福な気分に 浸った。彼の会社を潰さなければ、もしかしたら結婚できるかもしれない。なんとしても三百万 円を捻出するんだ、と決意を新たにして枕を抱きしめた。
いつの間にか麻美はベッドでうたた寝をしていた。携帯電話の着信音に気付いて飛び起きた
麻美は、慌ててバッグの中から携帯を取り出した。
「今朝は悪いことしたね。どうしても断れない用事があったもんだからさ」
健太からの電話だった。
「気にしないで。会社が大変なんでしょ。私のことなんて二の次にして、がんばらなきゃ」
「ありがとう。女性に余計な心配かけちゃうなんて、最低の男だよな」
「そんなことないわよ。本当のこと言ってもらって、私はうれしかったわ」
「本音は、借金なんかして、どうしようもない男だって思ったんじゃないのかい?」
「会社の借金だから、仕方がないじゃないの。それより、健太さんに相談したいことがあるの」
そう言ってから、麻美は銀次郎の一件を切り出した。
「本当に、そんなうまい話があるのかな?事実だとしたら、願っても無いことなんだけどさ」と、
健太が半信半疑な口振りで言った。
「一緒に行って直に話を聞いてほしいの。やるかやらないかは、それから判断すればいいじゃ
ない」
「分かった。そうするよ。麻美ちゃんが、そこまで俺のことを考えてくれてるとは、思いもしなかっ
たな。うれしいね。感謝してるから」
健太の言葉を聞いて切なくなった麻美は、思わず目を潤ませた。
「健太さん、がんばってね」と、言ったきり言葉を無くしてしまった。
「どうしたんだよ?」
「なんでもないの。それじゃあ、火曜日の夜に打ち合わせましょう」
震える声で言って電話を切った麻美は、感極まって嗚咽した。
健太が素直に聞き入れてくれたことがうれしかった。同時に、追い詰められて藁をも掴みた
い彼の実情を再認識し、麻美は切なくなって泣いてしまったのだ。
★銀次郎の指示に従がい、麻美と健太はコピー品を密造することになった。
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