『ロベルト・バッジョ』
先日、テレビ大阪を通じて観戦した日本代表とワールドドリームスの対戦は 『実戦に勝るトレーニング無し』との格言を 私の脳中に思い起こさせる程に緊迫感に欠けた試合だった。 同時に『何故セリエA開幕直後で忙しいバッジョを連れてきたのか』 との疑問を解き明かしてくれた。 彼が纏う独特のオーラは嘗てJリーグ創設直後にやって来た 大物外国人が身に付けていた物であり 昨今の小粒でお買い得な『助っ人』達では及びもつかない 雰囲気を醸し出していた。 私が彼の存在を知ったのは90年のイタリアワールドカップの時だった。 当時は突然のブレイクを見せたスキラッチ(後年ジュビロに在籍した)が 人々の注目を独占したが私がより注目したのは 予選リーグ第3戦、対チェコスロバキア戦で背番号15が見せた 鮮やかなドリブルシュートだった。 私に同性愛の趣味はないのでマドンナの様に彼のセクシーな外見には 関心を寄せなかったが彼の独特のプレイスタイルには強い興味を持った。 当時はまだ『1.5列目』なる概念が存在しなかったので アタッカーは『ストライカー』『ドリブラー』『パサー』『ゲームメーカー』 の4種類にしか区分されていなかったが彼はどれも当てはまらなかった。 ストライカーにしては身体がひ弱、ドリブラーにしては強引さに欠ける、 パサーにしては前線に飛び出し過ぎ、 そしてゲームメーカーにしては試合を制御し切れない。 要するに80年代の概念では彼を理解出来なかったのである。 自国開催の『カルチョの祭り』が終焉した後、 バッジョはイタリアの注目と期待を一身に受ける存在となる。 一発屋に終わってしまった『全能』のスキラッチ、 深刻なスランプに陥った典型的ストライカー、ビアリを尻目に (因みに両者ともバッジョと同じユベントスに所属していた) 彼はシステマティックなプレッシングで栄華を極めていたACミランに対して 『必勝』のキャプテンマークを友として孤軍奮闘していた。 結果として『ユベントス』の一員としてもたらしたタイトルは UEFAカップとスクデットが一度ずつだけだったが それでもバロンドール(欧州年間最優秀選手)を受賞した ポニーテールの青年は万人が認めるアズーリのエースだった。
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