『ゲルト・ミュラー』
一般に「ストライカー」と言う人種は二つの種類に大別される。 自分で得点のチャンスを作り出していくのか、 あるいは味方のお膳立てを利用していくのか。 この小さな太っちょのドイツ人は明らかに後者だった。 ドリブル・パスは平均以下、 人目を引く様なスピードもなければ、 屈強なDFを薙ぎ倒す様なパワーもなかった。 にも関らず、彼は素晴らしい得点感覚と 酷薄なまでの冷静さが絶妙なブレンドされた 『リトル・ゴール』と称される一見地味なゴールを積み重ねる事で その名を歴史に刻んだ。 彼がこの世に生を受けた頃、祖国は敗戦の深過ぎる痛手を蒙っていた。 人々は自信を失い、今日の生活の糧に悪戦苦闘する日々が続いていた。 そんな彼等に希望を与えたのがフォルクスワーゲンだとすれば、 勇気を与えたのは『マジックマジャール』を大逆転で打ち破り、 祖国に初めてのW杯を持ち帰ったナショナルチームだった。 ミュンヘンに住むフランツ少年がキャプテンのワルターに熱狂した様に、 ネルトリンゲンに住むゲルト少年もストライカーのモーロックに熱狂した。 やがて二人の少年は何者かの意思であるかの様に ようやく連邦リーグ(ブンデスリーガー)の参加が認められた バイエルン・ミュンヘンに入団、 同い年の二人は同時に一軍昇格を果した。 この時、バイエルン・ミュンヘンは『2』と『13』が空き番だった。 「別にどうって事はないよ」 ゲルトは笑いながらキリスト教の忌み番を選択した。 「今日からこれが僕のラッキーナンバーになる」 唖然とするフランツを前に彼は言い放った。 そして彼の宣言通りに『13』は彼のラッキーナンバーとなり、 同時期のポルトガルの英雄『黒豹』のイメージを (彼も13番を背負っていた)鮮やかに消し去った。 |
西ドイツ代表62試合68ゴール 70年W杯得点王(10得点)、最多得点記録保持者(14得点) ブンデスリーガ427試合363ゴール 得点王7回、ゴールデン・ブーツ(欧州年間最多得点賞)2回 バロンドール1回(70年) 欧州クラブカップ64試合79得点 北米リーグ80試合40得点 彼の現役時代の得点記録である。 まさにゴール彩られたフットボーラー人生だったが、 では彼がそれに見合う名声を得ていかと言えば決してそうでない。 彼の活躍した頃の西ドイツは 前述した『皇帝』フランツ・ベッケンバウアー 『ボールの反逆児』ギュンター・ネッツァー と言ったドイツ人らしからぬ華麗なテクニックと 知性を感じさせる言動が人々の耳目を集めていた頃でもあった。 彼等に対して南部訛り(バイエルンはドイツ南部に属する) 丸出しの発言に加え、朴訥でお世辞にも機転に富んでいると言えなかった この男の人気が高い訳もなく、あくまでも『脇役』の域に止まっていた。 しかしながらそれが彼に取って不幸であったかと言えば そうとも言えないのも事実である。 人々の注目はしばしば過大なプレッシャーに転化する。 重圧に押し潰された名手やスター候補生など枚挙に暇が無い。 98年のW杯で謎の体調不良を起こして以降、 ブラジルの『怪物』の体調が一向に完治しないのは、 異常なまでの人々の期待と注目(金銭)に 一因が有るのは否定できない事実である。 その意味では彼は幸福だったのかも知れない。 過剰なプレッシャーに悩まされる事もなく、 『神様』ですら不可能だった1試合1得点を上回るアベレージを叩き出し、 『空飛ぶオランダ人』から王冠を奪い取る決勝ゴールを生み出した。 (駄目押し点は何故かオフサイド扱いで取り消されたが) その意味で異能のゴールゲッターはフットボーラーとしても 独特の嗅覚でベストの位置をキープしていたのかも知れない。 |
|
|||
|
|