無限の一瞬が過ぎ去った後、キャプテンマークを巻いた
背番号5は何度も頭を振った。
ま、しょうがないか。
個人的評価と裏腹にタイトルに恵まれていない
フットボーラー人生を歩んできた端正な顔立ちは、
薄ら笑いさえ浮かべながらゆっくりとペナルティスポットへと出向く。
視界の端には徳宮が『嘘だろ、嘘だろ』と力なく呟き、
べっぺは大の字になってピッチに倒れ込んでいる。
左耳が捉えた号泣はベンチで見守っていた礒永が発したのだろうか。
だが勿論木田が出向いたのは、ペナルティスポットで微動だにしない
背番号18だった。
「達っちゃん」
軽く肩を叩くと血の気の引いた三年連続リーグ得点王が力なくへたり込む。
これは、やばい。
恵まれた知性ではなく、非理性的な感覚で
マエストロは爆撃機のバイオリズム低下を感じ取った。
その感覚は五番目のキッカーとして
アジアクラブカップ制覇を決定付けるPKを成功させた
この瞬間も変わらない。
一瞬後れる動き出し。
躊躇する判断。
僅かなトラップのズレ。
そして逡巡する決断。
前半45分間で見せた動きは爆撃機の精度が狂い始めた事を
スコアレスドローの優勝と言う結果以上に
関係者・サポーターの心胆を冷えさせた。
これでは、次のシーズンが・・・。
「お疲れ〜」
『凡庸なフォワード』として前半だけ出場した
小太りなストライカーは俯き加減にロッカールームから立ち去っていく。
「何とかならんかなぁ」
年長組に当たる小栗が心配そうに呟く。
「俺達が心配する分だけあいつの負担が増すから」
素っ気ない徳宮にした所で本心は慰めの一言でも掛けてあげたい。
だが今の羽生にはその類の台詞を吐くだけ心理面の負担が増すだけだろう。
「カミさん次第なのか」
由口がポツリと最後の藁にすがった。
嘗ては自分の庭として思うがままに振舞えたエリアは
底無し沼と化して自分の手足を縛り付ける。
くそっ。
額に流れる焦慮を自覚しながらもそれでも懸命に足掻く。
その瞬間、ペナルティスポットを指差す審判の姿が眼前に現れる。
「待ってくれ。相手は何もしてない」
だが、舞台は強制的にゴール前11mの地点に移る。
高まる動悸。
圧し掛かるプレッシャー。
正常に保てない心理。
そして蘇る挫折・・・・・
闇と静寂に覆われた寝室を羽生の叫び声が切り裂く。
「またかよ・・・・」
あの日、あの時の自分は何故か集中力を欠いていた。
疲労は理由にならない。
「(PKを)外した責任は僕だけのものだ」
搾り出す様に呟いた一言は真情であり、
今も自分はその呪縛から逃れられない。
「大丈夫。大丈夫。あなたは何も悪くないわ」
ネグリジュ姿の彼女が気丈に感情を抑制し、
自分の背中に縋ってくれたとしても負担は消えない。
「ごめん」
まだ、吹っ切れないよ。
男の思いを女は頬越しに感じ取り、何も出来ない自分に涙した。
チーム再生から五年目、つまり一部昇格四シーズン目の到来を告げる
高温多湿の気候が宇和を覆い始めた時節、
新年杯並びにアジアクラブカップ優勝チームは
例年通りに地元でキャンプを張った。
「後はリーグ優勝だけ」
通常ならばなら至高への挑戦のみを期待されるクラブチームは
しかし苦悩の真っ只中に位置していた。
「羽生!失敗してもいいから思い切りやれ!」
トップチーム専用の練習グラウンドに鬼瓦の怒声が響き渡る。
通常ならば先読みと動き出しの工夫で
ハイレベルの攻防を醸し出す爆撃機とマエストロのマッチアップは、
−それがシュバルツの紅白試合における名物でもあるのだが−
青のビブスを纏った170センチそこそこの狂った触覚が
赤いビブスを纏った180センチを越すディフェンダーの冷静な知性に
完璧に抑え込まれる一方的な図柄となっていた。
精度の狂った爆撃機に敢えてマエストロをぶつける。
現段階では勝負にならない組み合わせを仕掛けた
鬼瓦の狙いは特殊な感覚を共有する盟友を通じて、
何とか立ち直りの切っ掛けを掴んで欲しい親心に他ならない。
だが時間を経るごとに差が広がるのでは続行する意味が無い。
「もう良い」
つき立てた親指を上下に動かしてピッチの外側へと促す。
「は・はい」
顔面を蒼白にしながら出ていく羽生には
声を掛けられる雰囲気は漂っていなかった。
生気の欠片もない足取りでクラブハウスへの方角へと出向く
爆撃機の眼に下部組織が使用するグラウンドの看板が眼に入る。
あれ、方角を間違えたか。
首を傾げながら踵を返そうとする視線にふと知人の顔が入った。
「飯田さん」
「よう」
プロ初年度によくしてくれたユース部門の責任者は
現役時代と変わらぬ気さくな笑顔で見せた。
『テクニックは平凡以下』
『身体能力は一般人レベル』
『得点感覚以外は只の人』
としばしば批評される爆撃機に取って近未来のシュバルツを背負って立つ
可能性のある少年達のプレイは驚愕に価するものだった。
「上手いっすねぇ」
眼前には日本フットボール協会の努力が結晶化した若年層強化プログラムと
旧世代ストッパーの洗練された指導力の賜物が眩しい光を放っている。
「でもお前のレベルに及ぶのは一人か二人だよ」
「そりゃ、歳が・・・」
「違う、違う。あいつ等は確かに上手いけど飛び抜けているモノがない。
一人だけ除いてお前さんみたいに『ここで勝負』の際には馬脚を現すよ」
「・・・・・・」
「ま、時にはしくじる時もあるけど、
それでもシュバルツや日本人に取っては
『ドン亀』の勝負強さに賭けるしかないのさ」
「・・・・・・・・」
羽生が返答に詰まる中、入団した直後の隠語を久方振りに口にした
ユース部門の責任者は成長期に入った少年達にミニゲームの用意を命じる。
「一緒にやるか?」
「えっ、でも・・・・」
「実を言うと俺一人だけ下手だから何時も格好がつかん。
お前がいると俺への注目度が減って助かる」
「は、はぁ・・・・・」
余り気は進まないが拒否する気にはなれず、
爆撃機はトップのそれと変わらぬ程に整備されたピッチに足を入れた。
あ、あれ。この感覚は・・・・・
今まで無意識に抑えこんでいた微妙なズレへの違和感は
コンビを組んだ少年によって鮮やかに解消されていく。
ああ、この子が『一人だけ』だったのか。
嘗ては自分のサインを強請った事等知る訳もなかったが、
お気に入りの『14』番を背負った少年は
小栗のオーガナイズと礒永のドリブルと徳宮のパスを兼備するセンスで、
羽生の精度を瞬く間に修正していく。
これが羽生達也と小野寺勘三郎の初めてのコンビだった。
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