『フランコ・バレージ』
『スペクタクル』と言うキャッチフレーズを掲げて 古典が幅を利かすカルチョの国で 『ファンタジスタ』を否定する戦術を『復活』させた アリゴ・サッキの『ゾーンプレス』は 本質的にはその存在を否定している筈の傑出したタレントを必要とした。 労を惜しむことのない番犬達を操れるだけの器量、 的確な状況判断を行えるだけのクレバーな戦術眼、 そして組織と戦術に対する絶対な忠誠。 この三要素が出揃った時にこそ、サッキの戦術はパーフェクトになり得る。 しかしながら彼の欲望が完全に叶えられた事はこれまでの所はない。 それはサッキの黄金時代が続いた 80年代後半から90年代前半に掛けても同様である。 「彼は私の戦術における落第生だった」 サッキが去年の暮れに来日した際に受けた 幾つかの雑誌のインタビューにでの『彼』の評価である。 その記事を読んだ時、私は深く頷いた事を覚えている。 別に事実に反して『彼』を凡庸なプレイヤーだったと強弁するつもりはない。 だが彼の国のジョカトーレのDNAレベルにまで浸透した 戦術を否定する事は不可能である。 無理に胃に流し込めば96年の欧州選手権の様に 消化不良を起こして健康を損ねる。 イタリア人に取って『ゾーンプレス』なる珍味を消化するには 臭みの強過ぎる素材を煮込んで懐かしい『マンマ』の味付けが出来る 『シェフ』の存在が必要不可欠である。 しかしサッキがそれを望んでいたとは到底思えないからである。 サッキの幸運はシルビオ・ベルルスコーニと言う パッションと金銭を所有するクラブオーナーの眼に止まった事ではなく、 ピッチ上での指揮官であり名シェフでもあった フランコ・バレージに出会えた事だろう。 プレイヤーとしてのキャリアのないサッキは 必要以上に自らの革命理論に固執せざるを得ず、 強権的な態度はピッチの内外で不要な摩擦を生じさせた。 知られている所でもマルコ・ファン・バステン、ロベルト・バッジョ、 ルート・グーリット、クリスティアン・ビエリ。 その他にも決定的な破局に至らずとも 確執のあったプレイヤーは数多く存在するだろう。 では何故教条的革命家とクラシックなリベロとの間に 『成功』の掛け橋が成立したのだろうか? それにはフランコ・バレージの経歴を深く調べる必要があると思う。
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