『紅屋本館』


「さぁさぁ婿殿、まずは一献」
雪香と親娘の関係である事が信じられない程に
遺伝子の共通項目の無い四角張った岩面が酒を奨める。
「はっ」
麦酒の方が好みである婿殿に取っては久し振りの米酒は
−何せ河南では好き勝手に振舞える立場なのだから−
些か癖が強過ぎた。

「それにしても婿殿も一介の隊長から大した出世振りじゃのお」
義父の間柄に当たる紅屋の『御隠居様』が大笑して
女婿の薄い肩を毛むくじゃらの分厚い掌で叩く。
「これも内助の功あっての事です」
謙遜ではない。玄武の頭に就任した頃、
鉄砲の用立てに目処がつかずに途方に暮れていた
自分を救ってくれたのは紅屋の財力と人的な繋がりだった。
さらに言えば手持ちが無い自分の分を建て替えてくれたのは
当時十代の少女に過ぎなかった未来の妻だった。

「うむ。確かに娘は婿殿をよく立てとる。しかしなぁ・・・・」
小鉢の菜をつまみながら義父は渋い感情を表に出す。
やばい。
『才色兼備』として後世から尊敬と憧憬の念を集める雪香も
この時代にあっては『子供が産めない石女』として
密かな非難を受ける身だった。
「いやぁ、小生の精進が足りぬ故に雪香には不満を募らせて
 男としては不面目の至りです」
頭を掻きながら恥じ入る風を装って何とか話の方向を捻じ曲げる。

「ははっ。それでは婿殿が良くないのぉ」
意図を察した義父がほろ酔った岩面に淫靡なにやけ面を作り上げる。
「そちらに関しては戦程には場数を踏んでおりませんので、
 中々に思い通りと言う訳には・・・・」
経験が少ない、と言うか殆ど無いのは事実である。
「うーむ。それではどうじゃ。一つ妾でも囲られるか」
この時代、一定の分限者なり士大夫が子孫を残して家を保つ為に
複数の女性と交渉を持つのは好色ではなく、義務でさえあった。
「は、はあ。それはまた此度の一件が一段落してからと言う事で」
どうにも指針の微修正が効かない修一郎だった。


形の上では饗応を受ける身ながらも、
実際には気配りの緊張を解けない主客転倒の宴が果てたのは
戌の刻半(午後九時)だった。
「少しは出世したらしいな」
珍妙と目された戦働きが無ければ紅屋の婿養子になる所だった
猫背の青年は肌寒い風を強く感じる早春の夜景を眺めながら呟く。
河南では政治・軍事の権を担う責を、
関西では種々の負担を余儀なくされる身に取っては
予想の外だった義父の好意こそが自らの立場向上を実感させた。

口から吐き出す酒精に中々醒めない修一郎は何度か足を止める。
「うん?」
何度か道筋を確認するがその行程はあやふやで、
どうやら暫く振りの米酒にかなり酔っているらしい。
「ま、ええわ」
外側の廊下を歩い取ったらその内、見知った所につくやろ。
別に命を狙われている訳でもなし。

がに股の動きが止まったのは河南七大商人が
訪問客を適当にあしらう際に使用している応接間だった。
「ははっ」
懐古と皮肉の感情が混じった笑顔が特徴の無い顔立ちに現れる。
「ここから始まったんやなぁ」
剣を握った事が無ければ馬に乗った経験は片手に収まる範囲。
唯一の武勲と言えば鳥脅しとやらのまぐれ当たり。
その方面に関係が深そうな豪商との面会には
胥吏時代に貯め込んでいた小金を叩いた紹介状が必要だった。

「失礼致します」
障子の外から聞こえる音色の持ち主は
一分の隙も無い動作で招かざる客にもてなしの茶を出す。
「これはこれは」
二十の坂を越したばかりのとっぽい青年が会釈する。
「父はもう暫くは火急の用件立て込んでおります故に、
 不躾ながら私が用件を請け賜ります」
西管家直属の武力集団の長に対しては非礼な対応だが、
暇を持て余していた不本意な転職者は
意に介する事無く、懸命に舌を動かし始めた。


それまで公事奉行の薄暗い土蔵での書類整理に追われていた
胥吏の弁が流暢である訳が無く、
初秋の日光をたっぷりと浴びた空間に途切れ途切れに言葉が紡ぎ出される。
一方、ふくよかな頬が少女らしい可愛らしさを演出している
紅屋の跡取り息女は適当に聞き流す事無く、
白皙の頬を染めつつ熱心に相槌を打つ。
私とおんなじ人なんだ。
半分以上理解出来ない『鳥脅し』に対する専門用語から
自分と同じ波長を感じ取っていた雪香は一刻半にも及ぶ
会談の後、現実の世界へと足を踏み出した。

「・・・あんなんが馴れ初めになるとはなぁ」
初対面から波長の良さを感じ取った男女が恋心を抱くのは
自然の流れだったが互いの気持ちを確認するのは暫くの時間が必要だった。
初心者同士だからと言う訳ではない。
無遠慮に使える戦闘隊長はしばしば『戦ごっこ』に駆り出され、
それまで対人不信から雅道の世界に埋没していた令嬢は
商いにおける実務習得に必死だった為、
両者が商談にかこつけた対面に及ぶのは年に数回と言う有様だった。

そんな微妙な関係に終止符を打ってくれたはあの阿呆だった。
裏街で生じた玄武の足軽と白虎の雑兵の諍いは
公事奉行の権限を拡大解釈した変態野郎と
その取り巻き共に拠って制御不能な闘争へと変貌する。
「いくさじゃ、いくさじゃー!!」
白虎の軟弱者達を殴り飛ばした権八の戦場声が周囲を圧する。
「遠慮無く仕留めるだがや!!」
弥四郎は火縄に点火して油断無く狙いを定める。
「ここに至っては致し方無し」
平左でさえ決死の覚悟を白い鉢巻きに表している。

勝てば喧嘩両成敗の名目で、敗ければ身の程も不逞な輩として。
どっちにしても処刑場に一直線やな。
無表情な面に皮肉な笑みが浮かんだ瞬間、
銃撃の死者が転がる玄武と白虎の戦場に
西管家の使いらしき一行が殺気の迸る戦場に割って入る。
な・何だ。
呆然とした一同の前に彼等の御館様が和解を望む旨が朗々と響き渡った。


「此度は数々の骨折り、感謝致します」
蘭督衆に歯向かいながらも、
三ヶ月の謹慎と言う極めて軽い処罰へ済んだのは
紅屋の尋常ならない骨折りあっての事である。
「玄武の方々は良き御得意様でございます故に」
どこか臆病な雰囲気を宿していた二年前の様子が微塵も感じられない
目前の美女はこの頃より紅屋の実務を掌握し始めていた。

「御得意様と申されても御館様の懐も裕福と言い難い故に・・・・・」
西管家直属の玄武の物品は建前では『御館様』持ちなのだが、
実際には修一郎達が建て替えたり、
『何時かは支払う用意がある』と言った程度の
つけで凌いでいるのが現状だった。
「此度はほんの少しだけ減りました」
「・・・・それは、どうも」
言外の意に気付きはしたものの、何と反応して良いのか判らない。

「それで、その・・・・つきましては・・・」
清楚で凛々しい雰囲気を漂わせていた女性は出会った頃の少女に戻っていた。
「えと・・・・・あの・・・・お暇でしたら・・・・・」
顔を赤らめる様子から真意を探り当てたのには暫くの間が必要だった。
・・・・・・物好きな娘やな。
分限者の一人娘にして才色兼備の女性に好かれる等とは想像の外であり、
望外の幸福に酔い仕入れるより、何でやねんと言う懐疑の念が強い。

「・・・頻繁に外出は出来ない身上ですが」
恥かしさの余り、あらぬ方に俯いていた顔に喜びの表情が走る。
「雅道とやらを学ぶのは無粋が過ぎます故に、
 取り敢えずは茶の方から嗜みたいですな」
「・・・・はい・・はい!」
満面の笑みを浮かべて何度も頷く様は子供の様だった・・・・・。


 

「只今準備中」へと続く。

「空威張り」へと戻る。

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