『美酒には酔えず』


勝ち鬨が大零山の麓にこだましている。
右手を上げて勝利の雄叫びを上げる兵達は何処からか持ち出した
『黒色一角天馬獣』の旗を誇らしげに掲げていた。
「勝ったんやなぁ」
まだ実感は沸いて来ない。
長らく戦下手の西管家で尻拭いを任さていた修一郎にとって
『勝利』の果実は渇望する美味であると言うよりも
手の届かない珍重品と言う印象があった。

「軍団長殿」
傍らから冷静な声が聞こえた。
修一郎が振り向くと僧形の補佐役が数枚の紙片を差し出している。
「現地点で把握している各番の戦死者並びに負傷者の人数です」
一見、勝利の感動を覚ます無粋な発言に聞こえたが、
一瞬にして真意を理解した黒一天軍団長は機嫌は損ねなかった。
−そうや、もう目先の勝敗だけには構っとれん立場なんや−
今回の襲撃に際して修一郎はあわゆる伝手を使って
無遠慮なまでに借財を重ねた。
金額的には『紅屋』が他を圧倒しているが
その他にも利害が一致する戦奉行並びに彼等の御用商人、
密かに手を結んだ博方の反主流派の商人達、
そして大零山の妨害に手を焼いている付近の小勢力達。
総金額は本人も知らない内に『小荷駄組頭』に就任していた
平九郎が眩暈を起こした程の莫大な金額はこの地で綺麗に使い果たしている。
只、勝つだけでなく金主達が期待するだけの利益も上げねばならない。
これも洋駿に撒いた種から実がなるまでの辛抱である。

−さて仕舞いを演じるか−
長時間の緊張と疲労が眠気を誘っているが懸命に振り払う。
「もう白黒はついたさかいに無駄な殺生はせんでええやろ。
 残敵を掃討しつつ適当な所で引き上げさせろ。
 それから医術組に仕事を専念させる様に小荷駄からも人を出す様に」
「はっ」
命を受けた使番達が走り去ってゆく。 
次は祐筆の方に顔を振り向ける。
「それと和馬殿に当地までお越し願う様に文書を作成する様に」
「はっ」
運命を共にする味方は大切にせんとな。
そう考えながら眼前の光景に見入る修一郎だった。


賭けに勝ったものだけが味合う充実感を胸に
和馬は恒根川上流へ航行する船に乗っていた。
持ち船全てをこの商売に投入していた黄海社中にとっても
大零山襲撃の成否は自らの成否を賭けた大一番だった。
自分達が最善を尽くしても直接の影響は及ばない。
そんな隔靴掻痒の思いを胸にしまい込みながら、
櫓櫂の漕ぎ手達を叱咤激励して予め組み立て易い様に
用意していた木材や土嚢を運び上げていた。
しかしながら荒ぶる感情は夜半から昼前にかけての
戦闘中に何度か助太刀に走ろうかと思い詰めた。

だが仕事の合間に見た黒一天の戦闘能力は
生温い河南の戦闘児戯に見慣れた黄海社中筆頭に取っては新鮮な驚きだった。
−強い−
個々の戦闘能力に依存した戦いから連携を重視した集団戦への移行と言う
戦史上のエポックメーキング的な光景を目の当たりにした
和馬は黒一天の強さがこれまでと違う『異質』な物である事を看破した。
−こやつ等はしぶとい。此度の様な大勝ちはなかなかないだろうが、
 大敗を食らって一気に滅亡する事もあるまい−
部外者である彼は当事者以上にその特質を見ぬいていた。

「よう、来られた」
不精髭が目立つ黒一天軍団長が黄海社中筆頭を笑顔で迎えた。
「身なりを整える奥方でなくて残念でござるな」
内情を知る者が聞けば笑えない冗談が飛び出たが
この程度の会話は彼等の間では既に日常茶飯事である。
「いやさ、借財の請求でなくて安心した」
今回、黒一天は黄海社中に直接の借財をしていない。
しかし密かに各地の金主達の仲介を受け持ったのは彼等であり、
その意味では黄海社中は黒一天の保証人的な立場であった。

「これからが大変でござるな」
仕事後の一服とばかりに煙管に詰めた煙草を吸いながら和馬は尋ねる。
「左様、何せ空証文を乱発した故
 どこでどう辻褄を合わせるようかと頭の痛い所でござる」
「剥き出しの欲望には『権威』で包めばどうでござろう」
「?」
「河南は田舎故そういう物には弱い。詳細は参事殿に」
和馬は意味ありげな笑みを浮かべた。


幸先の良い勝利を飾った黒一天の祝宴が終わり、
鼾の大音声が少数の警備の者たちの睡魔を妨げた夜半、
一隻のの船が音もなく、川の流れに乗った。
月明りを頼りに航行するのは季節はずれの舟遊びを興じる為ではない。
船内の一室で横になった修一郎はうつらうつらと眠りつつも、
頭の奥底では半日前の謎解きに考えを廻らせている。
−どういう事や−
野郎共の戦功自慢が大小無数に弾ける場でそれとなく尋ねたが、
「小生は無足人故、上手く説明できぬ」とはぐらかさせてしまった。

−人脈を使えと言う所か−
ふと、そんな考えが頭に浮かんだ。
事実上、滅亡したとは言え『三管家』の一角を閉めていた名門ならば
士大夫階級や名士達とのつきあいは多かった筈だろう。
増してや平九郎は衰微し切っているとは言え、
王都・洛安に滞在していた経験もある。
その伝手を頼って借財の保証人を増やせと言う事か?
−しかし、それでは金額は減らない−
次第と酒が回り始め、考えが纏まらなくなる。
−ま、ええわ。黒一天が滅べばあいつ等も滅ぶ。
 ここまで肩入れして、今更寝返りはせんやろ−
そんな事を思う内に何時しか浅い眠りへと入っていった。

洋駿に到着したのは丑三つ時だったので出迎えがないのは予想できた。
だが、この時刻に参事の仕事部屋に明かりが灯っているのは予想外だった。
「何か悪い事したな・・・・・奥方に」
自分自身を棚に上げて修一郎がぼやきながら、
寝ずの番兵に自身の帰還と平九郎の呼び出しを告げる。
「いや、この様な時分に何か急変でも」
眼の下には黒い隈がくっきりと浮かび上がって生気のないやつれた表情から
ここ数日間の書類上の激闘を読み取った元・胥吏は
「急ぎではないが北管家に関する話でお主に聞きたい事があってな。
 取り込み中でなければ休憩を挟んでからで構わないが」
と気遣いを見せた。
「いえ、北管家の話でござれば休む訳にはいきませぬ。
 後、四半刻程で借財の中間報告が纏まりますので
 それまでお待ち下さい」
平九郎は一礼すると幽鬼の足取りで部屋へ戻っていった。


自分を含めて皆に激務の疲労が溜まりがちである事を察した
修一郎は一旦、小休止を挟んで初冬の遅い朝日が昇り始めた
辰の刻(午前6時)から会合を開いた。
「参事殿は名士達との付き合いも深うござったな」
和馬は非公式の会談とは言え、以前とは違う対等の言葉遣いで尋ねた。
「いかにも。御館様の御台所(直轄地)には彼等の利権が
 複雑に入り込んでいる故、小生がよく苦情の応対に出向かわされた」
平九郎も以前の様な尊大な物言いではなく、
同僚に対する気安さの篭った声色で往時を偲び、寂しい笑顔を見せた。
厳しい事を言えば現在の雇い主たる西管家以上の忠誠心を示すのは
臣下として問題のある行為なのだが修一郎は咎める気はない。
忠誠心が限りなく薄いのは彼も同様なのだから。

「と、なると彼等とは顔馴染で?」
「その通りでござる。その内幾人かとは親しくなり、
 休暇の際には互いの家を行き来する間柄もなり申した」
「成程・・・・で、今現在の現在の彼等との付き合いは」
私事に関する質問なので一瞬躊躇したが踏み込まないと話は進まない。
「御館様が洛安に亡命されて後、いろいろあり申したが、
 幸いな事に西管家に拾って頂いてからは
 数度に渡って手紙の遣り取りが続いており申す。
 特にここ最近は郵便事情が改善されたもので」
想像以上の良好な関係に数馬の頬が緩んだ。

「頭領殿は名前を引き出せと言うおつもりか」
修一郎と同様の結論に達した恵有が尋ねた。
「それだけではござらぬ」
「?」
「洛安は魑魅魍魎な『座』が跋扈致しておる故、
 なかなか品物が出回らずに困っておる仁が多うござる」
黄海社中頭領は意味あり気な笑みを見せる。
「・・・・応分の謝礼はせねばならんだろうな」
金に群がる名士達や博方商人達を思い浮かべた修一郎は複雑な表情を見せる。
「いやいや、そう言う事ではござらぬ」
黒一天軍団長の内心を察した和馬は頭を振る。
「利で結ばれた味方を増やすのでござるよ」
「利で結ばれる・・・・?」
「左様、この世は利と威は裏表の関係でござる故に」
素っ気ない表情で言い放つ和馬だった。


 

「利と威」に進む。

「初演終了」に戻る。

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