春と言うには肌に感じる気温は高く、
夏と言うには湿気の存在が感じられない時節、
嘗ては羽戸川家の主殿だった屋敷である催し物が開かれた
「これはこはれ、いつも御世話になっとります」
「いやいや、こちらこそ先日は結構な品を頂きまして」
裕福である事が一目で解る趣味と品質の良い
服装の持ち主達が交わす思惑有りき会話は差し障りない挨拶から始まる。
「それにしても風通しがようなりましたなぁ」
障子が開け放たれた広間を眺める醤油屋は、
無論眼前の光景を差した訳ではない。
「ほんに。関所がのうなっていらん銭が減ったからですなぁ」
足の遅い鉄砲が中核を占める修一郎は『余計な足枷となるだけや』と
勢力範囲内では身分改めや結構な副収入となる建物を全廃ししている。
「用心棒代もですやろ。
何せ黒一天の威光たるや河南全域を覆っとりますからぁ」
当初は失業した荒くれ達の報復を恐れる声も有ったが、
羽戸川・小室の二大強豪に勝利した名望は無法者達に無形の圧力を与え、
今では息を殺して人目を忍ぶ生活を余儀なくされている。
「この分やと前の御方もじきに音を上げますやろ」
新興派と目される両替商が忠誠心の欠片もない表情で
去年までの庇護者の末路を予想する。
「ははっ。まぁ平和に商売出来るのは有り難い事ですなぁ」
腐れ縁で金銭援助を請け負った肥満体は背中に冷や汗を禁じ得ない。
−良く見たら参加者は儂だけが古い方か−
博方の歴史が始まる当初から商いを営む連中は
それなりに遇されてはいたが、
やはり樹州知事絡みの利益の多い仕事には有り付けない。
であるから奥方主催の茶略会の招待状は渡りに船だと思ったのだが・・・
まさか、察知されたとでも
いやいや、絶対に安全確実な手法を採用した筈だ。
主戦派の筆頭参軍使には多額の賄いを献上した筈だし、
方々にも付け届けは洩らさなかった筈なのだが・・・・。
杉井屋が不安に苛む内心を作り笑顔でごまかしている事など、
全く感知しない振りをしながら招待主は美しい挙措を披露する。
気品と清楚が同居した空気。
舞の心得がある者のみが会得出来る淀み無い動き。
歌の心得が随所に見られる芸術性の高い諸道具の配置。
そして黒一天軍団長兼樹州知事夫人の美貌。
これらの要素が渾然一体となった場に居合せた者共は
その香りに酩酊して、我を忘れてしまう。
「本日は不躾なお願いにも関らずお集まり頂き、感謝致しておりまする」
美しい音色が人々の聴覚に響き渡る。
「本来であれば主人が皆様をもてなす所を何分にも姫島におりますれば、
此度は私の拙い対応でしかおもてなし出来ませぬが、
何分にも御容赦下さいまし」
『紅雪』と言う雅号を歴史方面の受験において必須の単語とした
女性は深々と御辞儀を交わす。
「これはこれは御勿体無し。
紅雪様の御手前を拝見出来る等、良き眼福になりまするものを」
無言で示された台本に書き込まれていた以上の感激を含んで、
代理報せ屋の主人は返答する。
「ありがとうございまする。
さしたる物はございませぬがどうかごゆっくりと御寛ぎ下さいませ」
その言葉を合図に次の間に控えていた侍女達が
障子を開けて糖分をふんだんに使った茶菓子を運び込む。
「いやいや、これは見事な物で」
「ほんに、去年までは茶の調達にも事欠いた物を」
「ここまで品が揃うのも樹州知事様々ですなあ」
杉井屋以外の参加者は口々に割り振られた配役をしっかりとこなす。
・・・・儂に、羽戸川を見限る用意を示せと言う事か。
表立った動きは要らぬ騒動を巻き起こす故に、
奥方の鮮やかな雅道を使うて来るとは噂以上よ。
さて・・・・
野蛮な恫喝でも味気の無い数字の説得でもない調略は
腐れ縁の解消を促した。
手足をもぎ取る事で心情のみならず、
実行手段においても羽戸川との交流を停止させるのが
今回の『目的』に対する『目標』だった。
そんな訳で主人が招かれた茶略会のお供として別室に控えていた
実行者達が芸事祐筆配下に取り囲まれるのも、
修一郎側からすれば当然の成り行きだった。
自分達が危ない橋を渡っていると言う認識は常にあった。
だが三度に渡る成功が警戒心を緩めてしまい、
無表情な男達が発散する制御された殺気に対しては
何等も有効な手立てが思い浮かばない。
「お主達、近頃は松柏への出入りが多い様だな」
黒頭巾を覆った甚助が発した隠れ家の地名は脅しと警告だった。
お前達の所業は全て把握している。
隠しても無駄だぞ。
もし、隠すなり惚ければ折檻だぞ。
無言の圧力は手代達に恐怖の冷や汗を覚えさせる。
「黒一天は不要な殺戮は好まぬ」
今度の声は若干、厳しさが緩んでいる。
「主に仕える立場上、難儀な命令を断れぬ事はよう承知しておる」
真情が篭っているのは甚助自身の述解である。
「どうじゃ、これからは面従腹背とまいらぬか」
「・・・・・・」
返答が無いのは心が揺れ始めてる証である。
「無論、只でとは言わぬ」
芸事祐筆が取り出した包みは脅されてる者共の主人が
筆頭参軍使へ差し出した賄賂だった。
「どうかの」
同時に自身を取り押さていた屈強な男達が立ち位置を変える。
「・・・承知、致しました」
承諾か死かへの選択肢を提示された彼等は
幾許かの良心を乗り越えて生に執着した。
筆頭参軍使は憎悪と殺意の視線を抑え付ける事が出来ない。
日雇兵の乱暴に拠って父母と妹を惨殺され、
高等法務院への訴えも裏手から潰された。
以後、臆病な主家を飛び出して虎視眈々と復讐の機会を待った。
実行犯達は程なく片をつけた。
だが肝心要の大元に対しては中々本懐を遂げる機会が訪れず、
悶々とした日々を送っていた。
そんな豊五の耳に入ったのが、黒一天とか言う雑民達を集めた
珍奇な軍勢が大零山を破った報だった。
「治三郎殿は結構な御手前でござるな」
社交儀礼を現実化した様な丁寧且つ誠意の篭らぬ言語が
豊五の上司、即ち黒一天軍団長の口から発せられた。
「いや、田舎者故にお恥かしい限りでござる」
最後の望みを断たれ、生命と私有財産の保全を条件に降伏を決断した
羽戸川家当主は本心から畏まる様子を見せる。
無理も無い。
身辺に不自由は感じないものの、
生殺与奪の権は眼前の猫背に委ねられている。
しかも自分の預かり知らぬ所で買ってしまった憎悪は
彼の信頼篤き参謀として居座るとあっては。
「さ、お口直しにどうぞ」
一瞬の気まずい雰囲気を察した招待主の奥方にして
一ヶ月前とは違って茶頭のみを務める雪香が
薄口の茶をたてる。
「これはこれは」
自分に対する気使いを察した筆頭参軍使は気恥ずかしさを感じながら、
何の味覚も感じなかった口を直す。
「新しい暮らしには慣れましたかな」
修一郎の言は治三郎隆由だけではなく、
同席していた羽戸川拠りだった老舗の商人達、
主君同様に降伏した家臣達、
そして怨敵の残党成敗に精を出す豊五に向けられた。
「はっ」
複数の口から身分の安全と黒一天軍団長の信用を得ようとする
承諾の台詞が生産される。
「それは良かった。今日は存分に寛ろがれよ」
樹州知事を兼任する河南唯一の権力者は鷹揚に頷いた。
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