「これはこれは始めまして」
今回も通訳を務めてくれる秘書を通じて
金村は気色悪い愛想笑いを浮かべつつ、
ビジネスパートナーを予定している女性と握手を交わす。
「コチラソコヨロシュウ」
シュバルツ唯一の外国籍の選手と同レベルの日本語は
先方のやる気を物語っているのだろううか。
「ま、私共の方から説明するよりかは
実際の『商品』を御覧になる方が何よりだと思いますのでどうぞこちらに」
『ひょっとして出来る方?』と目されているねずみ男は
レディーファーストと重要取引先への可能性に対する
敬意が混ざり合った丁重な態度で最も見晴らしの良い席へと案内する。
「サンキュ」
まだ仕事への緊張感が残る笑顔を感知した金村は次の手段に入る。
では度肝を抜かせてこっちのペースに乗せてみるか。
ねずみ男が右手を上げたのを双眼鏡で確認した『ぱるけ』が
隣の『とりびと』に声を掛ける。
「始めるぞ」
個人的には憂さ晴らしの場にまで仕事を持ち込むのは不本意だが致し方ない。
「よっしゃ。派手にやろうぜ」
事情を理解している広告マンは乗り気たっぷりな心情を
弾ませた声に表している。
立花家の主人はいつもの長翼を外して肩に掛けているマフラーを
右手で反時計回りに振り回し始めた。
「おーう、おおーう、おー、おーう、おおーうぃえぃ」
宇和の名物である独特の威圧音を奏でると、
意図を察知した周囲のパントマイマー達も同様の行動に出る。
そしてその波はホームチームゴール裏に陣取る『髑髏組』、
バックスタンド右手側の『フォルツァ組』、
そして左側の『楽器組』にも瞬く間に伝わった。
ゴール裏、バックスタンド、そしてメインスタンドからも呼応する
二万人を越す老若男女の喉から生まれる感情の発露は、
圧倒的な迫力の重低音とっなてスタジアム全体を揺るがしている。
「・・・・・」
これまで自国のスポーツしか見聞した事の無いアメリカ人に取っては
そのド迫力に理屈抜きのカルチャーショックを受けていた。
な・何これ、何なの一体。
感情の爆発に手足が痺れ、脳裏で冷ややかな計算は綺麗に消し飛んだ。
これがグロリア・チャールトンと『フットボール』との出会いだった。
「凄いっすね」
事情を知らないチームとリーグの得点王は前後左を見渡して
−右は絶望的な戦いを続けるエルトーロ兵庫の陣地だった−
コンビを組む9番に対して感嘆の台詞を上げる。
「ああ」
1トップの後方に位置する事で復活を果たした
レフティモンスターが何気無さそうに答える。
「昔、ワールドフェスィバルの予選の時はもうちょっと浮付いていたかな」
挫折と苦悩の時間を過ごした者のみだけが会得できる笑顔を見せる。
「『本物』の熱気が息つく所でプレー出出来るのは嬉しい限りだよ」
欧州の地で感じた同種の熱気の下でプレー出来るのは
一人のフットボーラーとしては喜ばしい。
「今日も頼むぜ。達ちゃん」
小栗はこの文化の創始者の一人の肩を叩いた。
何時ものゼブラ模様ではなく、
緑と水色が混ざった色彩を纏っているアウェーチームは
−勿論、兵庫ではシュバルツが白を纏っている−
『コリアン・トライアングル』を前面に押し出す事に拠ってのみ、
勝ち点を稼ぎ出している事はデータと結果が雄弁に立証している。
勝利の際には北緯38度線以南の代表組がコンビが基点となって、
敗北の際は金銭不足が原因となっている右サイドが破られている。
勿論、鬼瓦がそんな左右の不均衡を衝かない訳がない。
「今日は4−1−4−1のイメージで」
既に3年近くになるチームへの指示はこれだけで充分だった。
小栗が中盤の組み立てに参加しつつ、
べっぺが命名者のフォローに入る仕草を見せる流動的な動きは
中央部は守備専用しか揃えられない相手に対する優位を保証する。
そして劣勢を見過ごせない左ウイングハーフと同サイドのサイドバックは
水谷の思惑通りにポジショニングを中へと絞りがちとなる。
その瞬間、漆黒の2番が体力任せでは無く、
冷静な状況判断に基づく『爆風』を披露する。
3年目に入った徳宮と後藤のコンビは
後追いのプレッシャーをあっさり振り切り、
シュバルツ最初の歓喜が右サイドの奥深くから生まれそうになる。
「!」
無粋な反則は黄色いカードと職人芸のフリーキックに出番を与えた。
得点を期待が心情がアップテンポの手拍子となり、
屋根を反響した大音声がスタジアム全体を包み込む。
そんな状況では熱血的且つスパルタンな指導で
『男塾』との異名を持つアウェーチームの監督の指示が選手に聞こえず、
マークの受け渡しに微妙なズレが出始める。
羽生の敏感な触覚がその隙間を探し当て、
マーカーの死角に動けるポジショニングに身体を移す。
オッケー。
意図を察した小栗がニアへ寄る事で注意を散漫させ、
且つキッカー達にも得点王の意向を知らせる。
徳宮がインステップで蹴るモーションを見せつつ、
背後の後藤へとバックパスを出す。
レフティモンスターは左斜め後ろにゆっくりと
爆撃機が瞬間的なダッシュでマーカーの網から逃れる。
静と動のコントラストは屈強なストッパーを揃えた
エルトーロ守備陣の注意を分散させる。
よし。
ノーマークの右サイドバックはスイートスポットと化した
ボール一個分のエリアにセンタリングを送り込んだ。
予知力・勇気・タイミングが渾然一体となったジャンプから
−身体的に優れた特徴は微塵も感じさせなかったが−
放れたヘディングシュートは、
キーパーとセンターバックの鼻先を掠めてサイドネットに突き刺さった。
一瞬の間を置いて沸き立つスタジアム。
1試合近くに1度は見られる右手を突き上げるガッツポーズは
羽生のトレードマークであり、
シュバルツの勝利に欠くべからざる儀式でもある。
「・・・ワンダフル・・」
衝撃が冷めやらぬ心情を赤みが差した頬で表現しているグロリアが呟いた。
「どうです?」
愛想笑い以上に気色悪い勝者の気分を笑窪に浮かべた金村が問い質す。
「まるで、マリオ・スミスみたいだわ!」
スーパーボウルを4度も制したランニングバックの名前は
彼女がフットボール本来の楽しさをまだ理解していない証拠だった。
ハーフタイムの到来を告げる笛が黒っぽい灰色に身を染めた
雲の切れ間から覗く日光に調和する。
シュート数10対1、
ボールキープ率60対40が示す様に
1−0と言うスコア以上に中位グループへの安住を目指すチームと
上位グループへの進出を果たしつつあるチームの差が現れている。
「ソーリ」
グロリアは何やら待ち焦がれたかの様に貴賓席から
−と言っても大した設備ではないが−
席を外した。
ふむ。もう一押ししたかったんだがまあいいか。
商談を中断されたねずみ男は観客数の確認に勤しんだ。
衛星放送会社の担当者が出向いた先は申し訳程度に設置された
喫煙コーナーだった。
時代錯誤な太い葉巻に火をつけたグロリアは来日以来、
始めて嗜好に身を委ねる快楽を味わった。
「さて、どうしたものかしらね」
厳しい現実はすぐに頭を仕事モードへと切り換えてしまう。
国内完結型のスポーツが牛耳っている祖国では衛星放送の必要性が低く、
当然、勤務先の収支も芳しくない。
「予想以上のチームなんだけど、もう少し資料が欲しいわね」
女性のドゥスポーツとしての人気によって一応の知識はある
−ルールを知っていると言う程度だが−
彼女の目から見て『シュバルツ愛媛』と言う素材は中々に魅力があった。
だが破産を経験している過去が気になる。
「それと世界戦略もだわ」
日本一だけが目標では話にならない。
現状では最高位に当たるアジア制覇に到るまでの
プロセスぐらいは表示して貰わないと
『フットボール?あんな女の子のママゴトのどこがいいんだ』
と見聞の狭さを披露したアメフト狂いの上司を説得できそうにない。
「あと2点は取れたなぁ」
試合終了後の勝利インタビューを横目に見た金村がぼやく。
2−0と言うスコアは得失点を考えると十全の満足は得られない。
「ええ」
こちらも提出された資料に納得できないグロリアが不満の感情を共有していた。
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