『敗戦国の新戦術』
平地が少なく、余剰物資が多く、 そして同一の価値観・言語を使用する島国での覇権争いであった 日本の戦国時代は鉄砲と言う新兵器を有効に活用する事で一応の終息を見た。 しかしユーラシア大陸の西の端っこに生息する連中は飽きる事なく、 戦争を繰り返してその過程でより効果的な戦術隊形を編み出していた。 そんな不断の努力は18世紀後半に産業革命の後押しを受けて、 一応の完成を見る事となる。 『新戦術は敗者、叉は不利な立場から発生する』 歴史上の法則通り、歩兵・騎兵・砲兵の緊密な連携を目指した 集団戦術の最終形態はプロイセンに袋叩きされたフランスで発生した。 1763年から1789年の間にかけては 大英帝国の御家の事情によって直接、戦争に参加しなかった この国はルイ14世時代からの敗戦の歴史を 観察、分析して反省する余裕が生まれていた。 元々議論好きな国民性に加えて、モンテスキューに象徴される 啓蒙思想家の影響もあって、軍事関連の書物は急激な量産体勢に入った。 その内容は表現に違いはあるにせよ、一言で纏めれば 『プロイセン軍に勝つ為にはどうするか?』と言うものであった。 『横隊による側面からの一斉射撃を実行する為に 規律・教練に依存した機械的な軍団移動』 実際に七年戦争に参加した思想家達は フリードリヒ大王が率いる軍隊の強さをその様に捉えていた。 とは言え、彼等は誰もプロイセンの真似をしようとは言い出さなかった。 良く言えば個性に富み、悪く言えば気分にムラがある。 そんな自国の国民気質を知り抜いている彼等は (自分達もそうだった?) フランス人に相応しい融通性に富む戦闘隊形を模索する様にになった。 当初は机上での思考錯誤が続いた様だが、 やがてアメリカ独立戦争に参加した義勇兵の経験や証言をヒントとなった。 火力を重視する余り、突破力を欠く宿命的欠陥を抱える『横隊』に対して 高い突破力を持つ『縦隊』を『横隊』に加える発想が生み出される事になる。
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