現在、20世紀に開催された全てのW杯に参加した
南米の超大国は一向に改善の兆しを見せない
自国の経済状態以上の危機感に覆われている。
史上初のW杯本大会不参加。
それもペナルティーでもなく自発的でもない
『国辱』とも言える地区予選敗退と結果によって。
ピッチの外での原因は幾つか挙げられる。
大西洋を隔てた主力選手達の調整の難しさ。
ロナウド以降、セレソンを担うクラッキ(名手)が
登場しない事に象徴される旧態依然な育成・強化システム。
そして度重なる監督交代に拠るチームの未成熟振り。
だが救いがあるならばピッチの上での問題は一点に絞られている点だろう。
『ドゥンガがいない』
あるブラジル国民の発言が全てを物語っている。
現在のブラジルには90年代の『のろま』や
80年代のドトール(医者)や70年の『鸚鵡』に該当する
中盤のみならず、チーム全体を統御するプレイヤーは存在しない。
極東の新興国にさえ存在するコンダクターが不在ならば、
リバウド・ロベカル・ジュニーニョパウリスタ・そしてロマーリオが
如何に奮闘しようが勝利には結びつかない。
勿論、欧州の地で果たした世界初制覇の際にもその種のプレイヤーは存在した。
ニックネームをそのままフットボールネームとして使用する
祖国の慣習に従って『ジジ』と呼ばれたバウジール・ペレイラは
ブラジルの持病である『組織と個人技の調和』の治癒を完璧にやってのけた。
4年前にマジックマジャールによって施されたレッスンは
戦術眼に優れたインサイド・ライトを中盤の指揮官へと変貌させ、
黒い真珠と呼ばれた17歳の少年と知的障害の傾向が見受けられた
25歳のミソサザイを自由に操らせた。
祖国の英雄と4−2−4システムの完成者。
フットボールの歴史に深く刻み込まれた名声は、
しかし必ずしも彼の成功を保証する物ではなかった。
フットボーラーと言う人種がその競技生活の全てにおいて
追い風を受けられない事は無数の事例に拠って証明されている。
その際、よく槍玉に挙げられるのがジジの欧州進出の失敗だろう。
レアルマドリードに君臨するディ・ステファノとの折り合いの悪さは
(『ブロンドの矢』を立てる事で成功したコパやプスカシュのケースを
考慮すると性格と言うよりはゲーム運びの主導権と言う気がするが)
ジジの出番と輝きを奪い取った。
セレソンの指揮官に取って59年からの一年間は
昨シーズンのスクデットを獲得したクラブチームの
8番よりも辛い日々だったに相違ない。
そんな彼のリベンジは62年のW杯に訪れた。
前回覇者はセンターバックの二名以外の顔触れを変更せず、
レギュラーの平均年齢は30の大台を越えていた。
そんな年老いたチームにあって34歳のジジは尚もチームと中盤に君臨し、
リオデジャネイロ州選手権の連覇に拠って
取り戻した感覚は戦術眼を一層研ぎ澄ませていた。
確立したコンビネーションから繰り出される巧みなパスワークは
一層の渋味を増し、『フォーリャ・セッカ』と称される
アートなフリーキックは直接得点に絡む事はなくても、
対戦相手の脅威となり得た。
予選リーグ初戦のメキシコ戦を無難に勝利に飾ったものの、
次戦のチェコスロバキア戦ではペレを負傷で失った
ブラジルに取ってハイライトは最終戦にやってきた。
エレニオ・エレラに拠って堅牢無比なカテナチオを築き上げた
スペインは先制点を奪うと御国柄に相応しくない逃げ切りを図る。
経験を引き換えに破壊力を失った事を熟知するジジは
チームカラーに合わずに沈黙していた
(この時のブラジルの方が御国柄に合わない気がするのだが)
ガリンシャを全面に押し出して反撃に出る。
そして右サイドからこじ開けたセンタリングから生まれた逆転ゴールは
ガリンシャの覚醒とブラジルの連覇を呼び込んだ。
この時、監督との確執から出場を拒否していたディステファノに
去来した思いは如何なるものであったろうか?
蹴落としたライバルへの祝福だろうか?
カテナチオを破ったアタッキングへの賞賛だろうか?
それとも・・・・クラブレベルで味わう事が少なかった敗北感だろうか。
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