『クリスマス休暇』と言う概念の無い
日本のフットボール界に取って一月はシーズンオフの期間である。
尤も休暇を楽しめるのは選手や監督達であって運営スタッフではない。
ましてクラブ創設以来、初のタイトルを獲得した場合には
各所からの祝福を装った商談に対応しなければならない。
そんな訳でねずみ男によく似たシュバルツ愛媛のGMは
この所、営業用の資料作成に余念が無い。
「あー、武井君・・・お茶ぁ・・・・頼めるかな」
上司としての威厳など欠片も無い腰の引けた依頼が金村から発せられる。
「暫く御待ち下さいませ」
視線を合わす事なく一礼した秘書は給湯室へと出向く。
俺、何か悪い事したか。
いかな鈍感な彼でもここ一ヶ月程の彼女の冷たさは感知していた。
仕事に手を抜く様子はないが、仕事以外の会話は一切してくれない。
最初はギャグの方向性がズレているのかと考えていたが
−あの鬼瓦に比べれば遥かにマシだと自負しているが−
それにしては冷たい空気が支配する時間が長過ぎる。
「お待たせしました」
厳寒のエレベストを思わせる空気を纏った秘書が
ひび割れた湯のみを音を立てて手前に突き出す。
「あ、ありがとう」
「失礼致します」
コミュニケーションの欠片も無い会話を打ち切ると、
さっさとディスプレイの前に戻って
キーボードを叩く無機質な音が再び室内を支配する。
「GM、只今戻りました」
武井美帆とは異なる女性の声が狭い部屋に響き渡る。
「ああ、御苦労さん」
去年の暮れから新たに雇った第二秘書が戻って来た。
「真澄ちゃんは元気にしてたかな」
「はい、この所はお暇な水谷監督がうちの娘共々、
相手をしてくれてますので助かってます」
「そいつは良かった」
右頬に感じる突き刺す視線を感じていない事を示す為に
金村は気色悪い作り笑顔を見せた。
「それでは失礼致します」
一月の短い太陽が鮮やかな赤色に全身を染める頃、
武井美帆と年長の第二秘書が同時に頭を下げる。
「ああ、ご苦労さん。それじゃ気をつけて」
同レベルの事務能力を保有する秘書を雇えた事で
第一秘書の残業時間は激減と言うより消滅し、
常々深夜まで続く労働に心を痛めていた
−半分は残業代の捻出に対してだったが−
へぼGMに取っては今の状況は理想的な筈なのだが・・・・。
「栄美さんってどうやって旦那さんと結ばれたんですかぁ」
アルコールの成分が入った問いが美しい口から発せられる。
「うーん、たまたま部署が同じだっただけよ。
私は全然眼中になかったんだけど、
あんまりしつこいんで一度だけお情けでデートしたら、
あの馬鹿、計画的に付ける物忘れてさ・・・」
言った瞬間、後悔の影が顔に走る。
「いいなぁ〜。羨ましいですぅ〜」
美帆が涙声と共に生中を一気に飲み干す。
「ま、まあその内あの人も美帆ちゃんの思いに気付くわよ」
「そんなの無茶ですぅ〜。だってだって夜遅くに家まで送って貰った時も
『じゃ、また明日』って玄関でUターンする人なんですも〜ん。
・・・・ひっく、ひっく・・・くすん、うぇーん、マスターぁ〜お代わりぃ〜」
泣き上戸の彼女の周りには空になったジョッキが林立していた。
「只今ぁ〜、美帆ちゃんのお帰りだぁ〜い」
溜まりに溜まったストレスは整理整頓されたアパートでも発散し続けた。
「ほらほら、早く横になりましょうね〜」
まるで自分の子供をあやす様に酔っ払いをベッドに連れて行く。
「大丈夫かい、彼女」
深夜出勤を余儀なくされた立花家の当主が心配そうに見つめる。
「あんた、うちのボスとは知り合いだったよね」
「直接の面識は無いけど『ぱるけ』が仕事の関係で付き合ってる」
「・・・どうしてあんたの人脈は肝心な時に役に立たないのよ」
「奴は公認会計士と法律顧問を兼ねているんだぞ」
「私が言ってるのはあんたの気違いな人脈の事よ!」
「おい、人様の家で大声あげるんじゃないよ」
旦那が心配したのは騒音ではなく、
ベッドで爆睡する酔っ払いに対してだった。
「へっ、休み?」
徹夜らしく、眼の下に隈を作っているねずみ男は素っ頓狂な声を挙げる。
「はい、何でも頭痛が酷くて熱があると言う事でして・・・」
立花栄美の報告は『二日酔い』と言う事実を巧みにオブラートしていた。
「弱ったなぁ。今日はグロリアの姉ちゃんが来るのに・・・」
金髪の美女が発する英語の意図を正確に把握し、
こちらの意図を伝えられるのは全ての商談に同席した
第一秘書しかいないのだが・・・。
「私では不足でしょうか」
第二秘書が通訳の代理を買って出る。
「ああ、そうしてくれると助かるよ」
口では謝意を表しながらも、金村の心中は決して晴れない。
「それじゃあ彼女が来る前に大体の流れを把握しておいてくれ」
ねずみ男は戸棚から過去の概略を取り出す。
「あのパッキンは勇猛果敢に押し捲るタイプやから
下手な譲歩は命取りになるさかいに、あんじょう頼むで」
関西出身者らしい各地の方言が混ざっている。
「はい、お任せ下さい」
自身満々で受け答える立花の様子に何故か不安が生まれて来た。
その予想は昼からの商談で的中した。
「ガッデム!!」と叫びながら中指を突き出したい衝動を
懸命に抑えている衛生放送の担当者に対して、
こめかみの血管を激しく活動させながらも
決して笑顔を崩さない通訳兼アシスタント。
両者の視線に煙草を差し出せば煙一つ立たずに燃え尽きてしまうであろう
激しい感情の線が交錯している。
や、やっぱりな。
こんな予感は的中してもちっとも嬉しくない。
武井ちゃんならうまく纏めてくれるのになぁ・・・・。
「立花君は武井ちゃんの好みの花って知ってるかなぁ」
「はい?」
「心配だから見舞いに行く」
「いや、でも・・・」
明日には出勤しますよと言いそうになるのを懸命に堪える。
これは、もしかしてチャ・ン・ス?
「美帆お姉ちゃん、大丈夫」
「早く元気になってね」
監督の養女と同僚の一人娘が二日酔いから醒めつつある美女を介抱する。
「二人ともありがとう」
まだベッドから起き上がれない美帆は少しだけ残る
頭痛を無視する笑顔を見せる。
「それにしてもあのねずみに似たおぢちゃんて鈍いんだね」
「そうだね。はやい所『きす』しちゃえば良いのに」
「ななこちゃんってえっちぃ〜」
「そんなことないよぉ〜」
もうすぐランドセルを背負う少女達がじゃれあう姿は、
部屋の主に笑顔を浮かばせた。
普段はニ十人以上のプロフットボーラー達を率いる男は、
現在は運転手兼遊び相手兼料理人としてこき使われる日々を送っていた。
「俺、確か新年杯優勝監督なんだよなぁ」
鬼瓦は運転席で二週間前の栄光を懐かしんでいた。
宇和に戻っての祝賀パーティーの席上、
酒の勢いで第二秘書の口車に乗ってしまったのが運の尽きだった。
仕組まれた賭けトランプ。
勿論、裏で糸を引いていたのはあのねずみ男だった。
「あの野郎・・・・・」
その呟きに反応するかの様に仇敵の中古車がこちらへと向ってきた。
「ようやく気付いたか。でもその姿はいただけんなぁ」
よれよれのスーツに不似合いな花束を抱えるを眺めて、
水谷は久し振りに味わう勝者の快感に頬を緩めた。
「そんなんじゃねえよ。部下の見舞いに来ただけだ。すぐに帰る」
「何、俺達に気遣うわんでも良いよ。邪魔者はすぐに退散するから」
「邪魔者はあんただけだ。御息女達は必要不可欠だ」
金村はそう言いながら二階へと駆け上がって行く。
「ふん、痩せ我慢が」
ま、あの面じゃコンプレックスを持って当然だが・・・・・
さて、いつルビコンを渡るかだな。
翌日、仕事に復帰した第一秘書の精勤振りは暫くの間、
関係者達の格好の話題となったとさ。
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