『ドゥンガ』
来月に発売が予定されている 『サカつく特大号』には様々な期待が寄せられているが、 個人的にはもう少しJリーグ創世期に来日した 所謂『大物外国人』の能力を高めて欲しいと思う。 特にセレソンのキャプテンとして王国の誇りを取り戻した 『カピタン』にはもっと高い評価が与えられても良いと思う。 カルロス・カエターノ・ブレドルン・ヴェーリ、 通称ドゥンガは1963年10月31日、 ブラジルはリオグランデ・ド・スル州においてこの世に生を受けた。 高度成長期における極東に位置する島国の少年達が 物心ついた時から『野球』に取りつかれた様に 彼も叉 ブラジルの国技とも言える『フッチボー』に取りつかれた。 当時のブラジル経済(別に今だって大差はないが)では 『フッチボー』は単なる遊びではなく富と名誉をもたらすパスポートであり、 日本で言う『ガキ大将』だったカルロス少年は当然の様に ピッチでも仲間を叱咤激励、当時からリーダーシップを発揮していたらしい。 そのプレイスタイルは我々がブラジル人に抱く 華麗なテクニックで万人を魅了するものではないにせよ、 玄人や監督筋からみれば必要不可欠の物であり、 18歳にしてプロとしてのキャリアをスタートさせる。 尤も本人はすぐにサラリーが上がる単数年契約でなかった為、 そんなには嬉しくなかったそうだが。 ブラジル国内の主要な州での選手権を立て続けに制し、 (国土が広大なブラジルは国内の統一リーグは存在しない ナンバー1を決めるのは全国選手権と言うトーナメント) 早くからセレソン予備軍としてワールドユース優勝と オリンピック準優勝を果した80年代のドゥンガの経歴は順風満帆だった。 だが90年に入ると突如、その経歴に雲が覆った。 イタリアW杯決勝トーナメント初戦で一方的にマラドーナ率いる アルゼンチン相手に一方的に押しながらたった一度のカウンターで (当時、電気屋のテレビで見たけど本当に一度きりだった) 沈んだセレソンの『戦犯』として凄まじいまでのブーイングを浴びた。 彼が名誉を回復するには4年の歳月が必要だった。
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