『リュッツェンの戦い』
優れた技量を持つ将帥同士が 優れた組織運用に拠って効率化された軍勢を率いて 雌雄を決すると言うケースは多い様で少ない。 今回紹介するのは歴史・軍事ファンが涎を垂らしそうな −あくまで悲惨な被害を無視した範疇でだが− 稀なケースである。 時代は中世からは脱却したものの、 次に訪れる近代の指標が未だに明確でなかった頃の話である。 当時、宗教の大義に名の借りた社会の矛盾が爆発した ドイツの地では人的・経済的に甚大な被害を被っていた。 その凄まじさは周辺国の警戒感をも煽り、 あらゆる手段を講じて中央ヨーロッパの平原地帯への干渉を実行する。 病弱な宰相が率いる大国は資金援助と言う間接的な手段を持って、 剛健な国王を擁くバイキングの子孫達は軍隊派遣と言う直接的手段で。 これに対して饗宴を主催すべき立場の神聖ローマ帝国は エースと目された人材を外して事に臨んだ。 結果はブライテンフェルトでの惨めな完敗。 カトリック側の救いは決定的な軍事的敗戦を与えてくれた スウェーデン王グスタフ・アドルフの政治的手腕が プロテスタント達を纏められなかつた事であろうか。 とは言え『日の沈まない帝国』から事実上の独立を果たした −正式には十数年後の事なのだが− オランダの軍制改革の影響を強く受けたの脅威は依然として存在している。 おまけに自前の主力は壊滅し、領地の南半分は制圧されている。 ここに到って神聖ローマ皇帝フェルディナント2世は 富裕なベーメンを領する大傭兵隊長・ヴァレンシュタインの起用を 決断せざるを得なかった。 補給と略奪がほぼ同義語であったこの時代にあって 主計監を措いて規則正しい給料の支払いを可能にする事で、 荒くれ者達の統御を可能にしていた男が 時代のトレンドに無関心な訳もなかった。 彼の率いる軍勢は機動力に優れ、小銃の火力を前面に押し出し、 そして統制が取れており、両者の質は互角と言って差し支えなかった。 ヴァレンシュタイン軍は戦略レベルでの位置取りは優位に進めるものの、 味方(同盟軍)の旧態依然さが原因で グスタフ・アドルフの軍隊に致命的なダメージが与えられない。 そして無意識の焦りは兵力分散へと繋がり、 これを感知したグスタフは全軍挙げての決戦に挑む。 時に1632年11月16日の事だった。
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