『サッカーという至福』日本経済新聞社 武智幸徳
日の丸を国旗に掲げる国において
『フットボール』なる単語が金のなる木を意味しなかった頃、
『愛好者』達の動向を伝えるマスコミも当然の事ながら少なかった。
少なくともそれだけで生計を立てる者は皆無であり、
ある者はフットボールの普及の為に全国各地を飛び回り、
ある者は専門誌の記者で食い繋ぎながら雌伏の時を余儀なくされた。
今回はそんな『極寒の時代』を生きてきた人物のコラムである。
筆者は純然たるフットボールジャーナリストではなく、
大手新聞社に勤める『サラリーマン・ジャーナリスト』である。
74年のW杯を切っ掛けに当時では物好きな世界に飛び込んだ
彼に取って幸いだったのは就職先が
取材対象の関係で世界に向き合う事が多く、
比較的フットボールに関して寛容だった事だ。
この為、彼は『野球とその他』のスポーツジャーナリズムからは
多少は離れた位置でその見識を磨き上げた。
彼によるとフットボールは『観劇』であるらしい。
長きに渡り『参加する事に意義あり』的立場だった
日本人が世界最高のスポーツイベントに参加するには
参加国の国民になり切るしか熱くなれないらしい。
(『最大』は似非アマチュアな国際総合スポーツ大会だと思う)
そこで筆者が選んだのは趣味らしい
観劇の要素がたっぷり含まれているアズーリ。
存在する筈のない『イタリア系日本人』はその頃、
純血政策が実を結びつつあった(現在とは全く逆だが)
彼の国の果実を間接的ながら味わう事となる。
リベロ・レフドックの槍・ヒール・飛び道具・貴族・遊軍・小判鮫・巨人
以上がアズーリの配役なのだそうである。
成程、言い得て妙だと思う。
役者が大方揃った時のアズーリは確かに強い。
完全に揃った時の82年は勿論だが、
凄味の無い悪役のいない90年は第3位。
(これを成功とするのには異論もあると思うが)
そして
巨人がいなかった昨年もファイナリストの名誉を得ている。
逆に役者が欠いた時やいきなり配役の変更があった時は・・・・・
86年や96年も見れば一目瞭然である。鉄の意志を習慣化させたドイツの衰退を嘆き、
(出版した翌年の惨敗を見たら何と書いていたのだろうか?)
矛盾を追い求めるオランダの個性の強さに驚き、
名共演者・イングランドの表と裏の事情に思いを馳せ、
80年代までのブラジルが持っていた色気に痺れ、
アフリカの躍進と停滞(最近のカメルーンは別)の実情を考察し、
そして男振りの上がったアルゼンチンの狡知と愚行の共存振りを描写する。
何れも表向きは新聞記者、実はフットボール愛好者としての
見識を纏めた文章であり、そこには知性は感じられても
情熱とか思い入れと言う単語を見出すのは難しい。
この本でその手の単語が見出せるのは『日本代表』についてである。
メキシコでの成果から93年に至るまでの長過ぎる『暗黒の時代』にあって
日本のフットボールが生み出したポジティブな成果と言えば、
参議院センセと横浜FCのGMが揃い踏みした
76年のムルデカ大会での準優勝と
(実は解説している私もどんな大会かは全然知らない)
9年後のW杯予選での善戦ぐらいなものだろう。
もっとコアで詳しいファンからは異論もあるだろうが、
内容が伴って、万人が納得できる結果と言えばこの位しかない。
その中でも筆者が重視しているのは個人の力量に追う所が大だった
ムルデカの方ではなく、日本人に合ったシステムを採用した後者の方である。
安定感のあるキーパとクレバーで勇敢なCBが仕切る中央部の守り、
攻撃精神たっぷりのサイドバックに
労を惜しまない『守備的MF』の組み合わせ、
パスを出す人とパスを受ける攻撃的MF、
空中戦にも強いポストマンと守備にもマメなツートップ。
以上が筆者が推す『日本代表の配役』である。
その後の躍進振りから考えると確かにその通りである。
少なくともこの配役が上手に回り始めた時のナショナルチームは強かった。
何時も勝利していた訳ではなかったが、
少なくとも試合内容は高く評価されていた。
大変、失礼な言い方だとも思うが、その意味では海外の知識を
上手く自国のフットボールに当てはめる『知恵』のある人だと感じる。
勿論、こんな『原器』が出来上げるには自国のフットボール文化を
熟成させる必要があり、その過程もしっかりと描写している。
その辺については本屋で手にとってみたら如何だろうか。
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