巳の刻半(午前11時)、梅原の勝敗は決した。
弥四郎配下の『伍』が洟垂れ小僧の狙撃に成功した事で
総崩れとなってしまった小室勢を平左に追撃させつつ、
権八に善戦していた長谷川家監軍使を半包囲させる。
「ようやっとる」
賞賛の対象は勇戦している幹部に対してではない。
実数では半数程度にも関らず、
崩れることも無ければ援軍の要請も行わなかった
−そう言った危ない局面は訪れなかったのだが−
物好きな連中に対してであった。
「戦自体には慣れているのでしょうな」
擂り鉢が横から声を掛ける。
「そやな、向こうは暁徳との陣取りに忙しいからな」
「ですがそれ以上に与兵衛殿の手腕も評価せねば」
「どうや」
整然たる退却を見て取った両勢が深入りはせずに
掌中の勝利を確保する姿勢を認めつつ、筆頭参軍使の見解を問う。
「弥四郎殿とは正反対の御仁かと」
「そん通りや」
「この先は如何に」
戦略方針を問うのは恵有の職分を侵す意図ではなく、
戦術方針を確定させる為である。
「向こうは『御隠居様』のおる田松に逃げ込むしかあらへん。
まぁ所詮は手伝いやさかいに気張らんでもええんやけど、
収支は黒字にしといた方がええやろ」
皮肉な笑みを見せた特徴の無い容貌の所有者は
甘美な獲物への誘惑を抑え切れない。
「各番、並びに縦三羽に使番を出せ。
これより群青鮫の子分を成敗するとな」
この判断が及ぼす歴史的影響に思い至る訳も無い
修一郎は『駆』の上に乗った。
松明が煌々と桜が散り始めた田松近辺の夜の闇を照らす中、
甚助直筆の急報が届いたのは梅原から四日後の戌の刻(午後10時)だった。
「ほうか、御苦労やった」
文字が告げる衝撃的な内容にさすがに顔色を保てなかったが、
修一郎は自分でも驚くほどに冷静だった。
「与兵衛殿と平左、弥四郎、権八を呼んできてくれ」
使番に命じた後の僅かな空白も頭に内容を復唱する。
−戦は西管家の当主が尻巻くって逃げ帰る大敗で戦奉行が討死。
おまけに群青鮫がこっちに出向いて来るやと−
幹部と客人達に情報の内容を簡潔に伝える。
「むむ」と平左は顔を引き締め、
「♪」と弥四郎は不謹慎な口笛を鳴らし、
「それは」と言った切り、権八は言葉が出てこない。
「如何されまする」
微動だにしない援軍の将に黒一天軍団長が尋ねる。
「如何に、とは」
縦三羽を率いる不機嫌さはこの状況でも健在だった。
「此度の貴殿達は大切な御客人故、無理強いは出来ませぬ」
退却を仄めかす修一郎に対して与兵衛は眉を顰める。
「この状況で我等だけが逃げたとあっていは風聞も悪く、
また個別に撃破されるだけでござろう」
「ではこの地に残り、もう一戦に及ぶと」
「貴殿の差配に従っての事でござる」
必要最低限の台詞で自分達の立場と行動を表明した不機嫌は
猫背の青年を見据える。
「もう一つ、条件を付けて宜しゅうござるか」
「・・・何でござろう」
「貴殿達がそこまで踏ん張る理由をば」
「それは、いまさっき・・・・」
修一郎は左手で鸚鵡返しを防ぐ。
「そう言う事ではござらん。何故ここまで我等に肩入れするのか。
単に関中へ出向きたくないにしては力が入り過ぎているし、
失礼ながら貴殿は博方の商圏に取り入る様な
腹芸に長けている様にも見受けられない。
丸崎奉行の真意は奈変に?」
表情の無い瞳に写る不機嫌は返答に困る様が映し出されていた。
移動を悟られない為に大量の松明を消費している為に
必要以上の明るさが支配する空間で修一郎は物思いに沈んでいた。
−あいつらも叩き出された口か−
ま、暁徳との粘っこくて陰険な戦ばっかりやっとったら
そら、銭も失くなるわな。
となると与兵衛殿自身も追い出された方なんやな。
・・・・確かに人好きがするとはよう思えへんけど、
出来が悪いとは見えへんしな。
いや、どっちかっちゅうたら使い勝手のええ奴やで。
詳しい為人は情報待ちやけど、まあ期待してもええんちゃうか。
胸中の思いを声を出さない口の動きで現していた
黒一天軍団長の耳が人質を兼ねる少年達の声変わり直後の低音を捉えた。
「一番頭様より予定地点は確保したとの事です」
「二番頭様も配置は完了したとの由です」
「三番頭様、並びに縦三羽様も移動は順調との報告です」
緊張と移動の二重の重圧で少年達は身体中から大量の汗が吹き出している。
「ほうか、御苦労やった。そろそろ俺等も尻捲るから準備せえ」
主将が最後まで危険位置にいる事で
『交替』と『逃走』の違いを示して不要な騒ぎを抑える。
態度で現した意図は黒一天と縦三羽には伝わった様だが、
どうやら三名の人質達には言葉が必要な様だ。
「心配すな。鳥脅しと尻払いは玄武の頃よりも得意技や。
挟まれたんやのうて、勝ち戦に逆上せてる群青鮫も
一緒に片付ける好機やと考えろ」
経験に裏打ちされた自信は不安の色を一掃する。
「は・・はい!」
揃った返事に頷くと修一郎は新たな命令を下す。
「三人一緒に前線に出向い取る豊五を呼び寄せとけ」
「承知!」
弾ける様な勢いで飛び出す十代前半の健脚に苦笑しながら、
黒一天軍団長は僧形の補佐役の書状に眼を通し始めた。
西管家の軍旗たる『飛翔鷹』を掲げて戦っていた頃、
常に敗勢の中でどれだけ自らの退却路を確保しておいて
どう逃げ延びるかが修一郎の課題だった。
だが掲げる旗を黒い一角天馬獣に変えた現在、
猫背の青年が追い求める図柄は二兎をどうやって仕留めるかだった。
「勝てば西管家の御守りか」
玄武時代から親しんだ勝利の手筈は
眼前の事態よりも僧形の補佐役が寄越した書状に記された
御馴染みの伊州で催された『大規模な戦ごっこ』の顛末に思いを向けさせる。
正面からの突撃を繰り返す西管家。
人数任せの猛攻を地勢と馬廻りの勇戦で凌ぐ東管家。
勝敗を決したのは東管家の傭兵達の側面攻撃。
立場上、尻払いに当たらざるを得なかった
啓陽衆の御人的武勇のみが敗者の慰めだった。
−ふん、いつも同じ詩歌や花ばっかり愛でとるさかいに応用が利かんのや−
雅道の数寄者が魅せる知性と美意識が高度に融合した手前に較べれば、
名目では主君にあたる優男の耽美一辺倒に偏った手前など
『雰囲気を嗜んでいる』程度の不心得者に過ぎない。
「そやけど、何で毛嫌いする戦をおっ始める気になったんかな」
不思議な事に今回の暴挙を推し進めたのは
−結果の如何に関らずに−
誰在ろう、西管家の当主自身である。
まさか突然に『御家の悲願』に目覚めた訳でもあるまい。
ほな、一体何や?
修一郎の考えは堂々巡りへの陥穽へと落ちかける。
「軍団長殿。間も無くです」
筆頭参軍使が完全勝利を夢見る群青鮫と一発逆転を狙う小室勢の
−息子の仇討ちに燃える『御隠居様』に率いられて−
合流を報せると同時に猫背の青年の思索を打ち切らせる。
「よっしゃ」
どちらも計算や打算ではなく情熱を主成分とした判断である以上、
対応は容易である。
「あんな手合いは横から現実っちゅう冷や水を浴びせるに限るわい」
「硝煙では少々きつ過ぎるのでは」
苦笑混じりの返答に特徴の無い顔立ちも苦笑で返す。
「きつい方が嗜好が変わってええんや」
群青鮫を掲げる者達に取って
『本間修一郎』の名は怨敵とは言えぬまでも、
常に自分達を敗北の苦酒や勝利の酔いを醒ます『嫌な奴』だった。
『彼の者、鳥脅しなる術を以って我等に立ち塞がる事度々に及ぶ。
更に駆け引きに長ずる故に常に非勢を余儀なくされたり』
とは当時の長谷川家重鎮の一人が思う所を書き綴った私信である。
そして彼が主家の実質的家臣の危地を救うべく急行した
勢州は田松近辺での戦闘においてもその感想が変化する事はなかった。
春の陽光が立ち込める土煙を一層に煙たくする中、
縦三羽は整然とした後退を始める。
中途半端な位置から撃破の好機と判断した両勢が勢いに任せるが
冷徹な不機嫌は悠然と火の粉を振り払っている。
「中々に落ち着き払っている御仁や」
丁重に扱ってきた『客人』から使い勝手の良い『援軍』へと変化した
園章衆は黒一天軍団長の構想を余す所なく実行していた。
「面白くはあらへんけどな」
『天賦の才』が微塵も感じられない動きは手堅さ以上でも以下でもない。
『守備っちゅうよりは引っ掛けとして使った方がええのかな』
弥四郎配下の者達が轟音を響かせる中、
黒一天軍団長は胸中で新たな手駒となった
−修一郎はこの段階で『南与兵衛市武』を自分の配下と見なしていた−
男の使い方に考えを巡らす。
「これから先は黒一天も警戒されるやろからな」
辺境とは言え、勝利を重ねていると見なされている軍勢には
少しずつ『威風』らしき物を纏いつつある事を
修一郎は博方衆の対応から感じ取っている。
「坊主殿の働きに期待せなあかんな」
二千程度ならいざ知らず五〜六千をきちんと動かすなると
これまで以上にきちんとした『教練』が必要やからな。
「軍団長殿。如何致しましょうか」
筆頭参軍使が何とか上司の意識を戦場に振り向けさせようと声を張り上げる。
「お前の好きな様にせえ」
指揮権の放棄とも受け取れる言動だったが
猫背の青年に取っては勝ちが見えた戦に関心は沸いてこない。
弥四郎が側面から火ぃ吹いて、権八が与兵衛殿と協調して、
ほんで平左が動き回っている状況で何をせぇと?
史書に『第一次勢州戦役』と称される黒一天の軍事行動は、
四月半ばのうららかな春の日差しが落ち始めた
申の刻(午後4時)頃に終幕の様相を呈し始めた。
勝者の勢いが躍動する黒一天。
敗勢の怯えが萎縮させる長谷川・小室の合勢。
前者が主導権を掌握する戦場は一方的な殺戮の図柄を描き出し、
長谷川家監軍使の『目覚め』が辛うじて最後の一線を凌いでいた。
「うぬぬ、返せ、返さぬかー!!」
跡取りを失った悲哀を憤怒に変えた老人が血管を浮かび上がらせ、
吹き出る汗を物としない大音声を発した所で
擂り鉢の柔軟な差配に拠る大勢は覆える訳はない。
「御隠居様。ここは他日を期すしかございませぬ」
「若様亡き後、小室の御家を背負うは御身只一人でございますぞ」
側近の者どもは物狂いな前当主の興奮を鎮めるべく
−近々『前』の文字は消されるであろうが−
口舌だけでなく身体能力を総動員して、
御家断絶がもたらす彼等自身の『失業』を食い止めようとする。
「西本様よりの使い番が参っておりまする!!」
側近の一人が気を利かせて老人と気の合う監軍使の名前を告げる。
「小生が尻払いに当たります故、御心安らかに引き上げられたし」
十兵衛の申し出は職務に対する責任感のみならず、
半壊状態にある味方に在って、自勢のみが戦列を崩していないと言う
認識から生まれた物だった。
「放っとけ。これ以上勝っても収支が合わん」
筆頭参軍使の追撃策をにべもなく却下した猫背の青年は
勝ち戦の心地良い興奮を醒ます渋い表情で使い番に命ずる。
「如何なる事態があれど、追撃せし者は命に違えた者と見なす」
言語化しない次の台詞が『銃殺』である事を知悉する
遣い番達は恐縮しながら目的地へと出向く。
「戦に全てを賭けるたぁ、なんちゅう無責任な事を」
半刻前にもたらされた書状には僧形の補佐役が
此度の軍事行動の真因を僧形の補佐役が探知していた。
派閥間の均衡・浮浪者対策・破綻しつつある財政改善を狙った一攫千金。
「ふざけた事を」
震えながら握り締める右手は貴重な文献に一層の皺を産み出した。
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