馬上で高価な鎧を鳴らしながら壮年の男が吼える。
「見よ、既に西管家の腰弱な騎士共は逃げ惑っておるわ」
成程、確かに彼が太い指で指した方向には逃げ惑う軍勢の土煙が舞っている。
「今こそ東管家の武勇を見せ付ける時ぞ。
大将首を上げた者の恩賞は思いのままだぞ」
名のある騎士達の個人的武勇が勝敗に直結する島では首のみが恩賞の対象である。
「おぉー!!」
約束された恩賞に家の子郎党達が高い士気と喚声で応じる。そんな意気上がる軍勢を岩陰から男性の醒めた視線が観察している。
年の頃は二十代半ば、肩幅の狭さと猫背気味の姿勢が
実際の背丈よりも高く見せ、且つ痩身の印象を与えている。
その一方で『特徴がないのが特徴』と評される灰汁のない顔には、
敗け戦の尻払いだと言うのに緊張の欠片も現さず、
戦場にあっても身に寸鉄を帯びない出で立ちと相俟って
その姿はどう見ても武人には見えなかった。
−勝ち気に逸っている今が狙い目や−
彼はそう判断を下すと後ろに控える配下達に顔を振り向けた。
「そろそろおっぱじめるとしようか」
あたかも普段のお勤めを果たすかの様なのんびりした口調である。
「はっ」
隊長とは対照的に配下達は緊張気味の表情で短い返答を帰した。
見ると彼等はそれぞれ色とりどりの巨大な旗を持っているが、
一体何をする気なのだろうか?
そんな彼等の眼に勝利と恩賞を夢見る追撃部隊が、
二手に別れようと隊列を乱す光景が入った。
−今や−
男は決断すると大声で叫んだ。
「赤、赤、青、青、!!」
その瞬間、指名された旗手達が一斉に旗を振り始める。
少しの間を置いて彼の耳に凄まじい轟音が響いた。
同時に色濃い白煙が周囲に立ち込め、視界が利かなくなるが意に介さない。
この光景こそが彼が指揮する軍勢の勝利を予告する光景だったからである。
横合いからの鉄砲による一斉衝撃は人馬共に甚大な混乱を与えていた。
「落ち着け、あんな虚仮脅しに怯むでない!」
指揮官に当たる騎士達はこの島での常識を持ち出して、
何とか不安と狂騒を鎮めようとする。
しかし勝利と恩賞の夢から覚めた家の子郎党達は
一向に落ち着く様子を見せない。
その様子を青年の向かい側の岩陰に隠れていた短躯肥満体が嬉しそうに眺める。
「ぐぷぷっ」
気色悪い呻き声を洩らすとこれまた旗を持っている配下達に指示を出す。
「青、赤、緑、赤!」
こちらも色彩に関する言葉だけを発する。
狂気と興奮が渦巻く戦場に鉄砲の轟音が響き渡らせる
彼等の軍勢は言葉による指示が完全に行き届く可能性は低い。
そこで彼等は赤・青・緑・白の4色の旗を
巧みに組み合わせる事で自らの意図を伝えてる工夫をこらしている。
信号を見た三人一組の鉄砲兵達は
最初の射撃をしていた兵が後方に下がり、
補助の兵によって準備を整えた銃を持った後列の兵が
先程同様に目印をつけていた地点への射撃を続行する。
横合いから襲った二度目の衝撃は混乱を助長し、東管家側の混乱に拍車をかけた。
「よし、目処はついたな」
痩身の指揮官は満足気に呟く。
「後は仕上げるだけや」
勝ち戦に頬が僅かに緩む。
「緑、青、白、青!」
足軽の襲撃を意味する信号を旗手に命ずる。
−弥四郎はようやった。次は権八がどう絡むかや−
まず射撃で混乱させた後に足軽と騎兵を絡めた強襲で決着をつける。
彼が指揮する『玄武隊』の基本戦術である。
「行くぞー!!」
勇み足を生じさせる餌として巻き上げていた土煙の方角から
野太い戦場声を上げる巨漢を先頭に足軽達が殺到する。
「うぬ、小癪なる雑兵共が。成敗してくれるわ」
東管家側は鉄砲による一斉射撃は時間が掛かると判断して、
まずは足軽達への迎撃を優先することにした。
従者達から長弓をひったくると矢を番えて迎撃の構えを取る。
「放てぇー!」
鋭く空気を切り裂く音を響き渡らせながら鋭い矢が飛んでいく。
にも拘わらず足軽達の断末魔が聞こえない。
「ば、馬鹿な」
騎士達は眼を疑った。
密集を狙っていると言うのに。
答えは簡単だった。
最前列の足軽達は比較的軽量で持ち運びに便利な竹把で矢を凌いでいたのである。
これだと敵陣に迫る速度は落ちるが被害は少ない。
「小賢しい真似をしおって」
彼等は激昂し次の矢を番えるべく従者の方を振り向こうとした瞬間、
3度目の衝撃が先程とははやや異なる轟音の形で襲いかかり、
軽装の従者達に身を守る術はなくばたばたと倒れていく。
「ぐぷぷ、馬鹿共が」
件の青年から『弥四郎』と呼ばれた短躯肥満体はまたも気色悪い呻き声を出した。
彼は東管家側の注意が足軽達に向いている間に
配下の鉄砲兵達の銃を弾幕を張る燧石の短身銃から、
狙撃を狙う火縄の長身銃に代えさせていたのである。
火皿に点火薬を入れ、火蓋を閉じ、弾丸と発射薬を銃口に装填する。
鉄砲兵達はこれらの作業を交戦中にも拘わらず手際良く進める。
彼等にとってこの程度の作業は日常茶飯事に過ぎない。
自分達の優勢な様子を見ながら痩身の青年が呟く。
「平左を迂回させるか」
彼は決定的な打撃兵力となる
騎兵の突入で決着をつける事を考え始めていた。
「よし」
足軽達を束ねる巨漢は竹把を放り投げると二列目から飛び出した
足軽達と猿の様な咆哮と共に鉄の六角棒を馬の脚に食らわす。
「食らえっ!」
命よりも大事な脚を折られた駿馬達は絶叫しながら主人を放り出す。
地面に叩き付けられた騎士達は重い具足一式を着込んでいるから、
自分では起き上がれない。
手助けしてくれる従者達も既に討ち取られ、
惨めにも手足をばたつかせるのが精一杯である。
そんな味方の優勢な様子を本隊の右側で見ていた
『平左』と呼ばれた男は馬と共に伏せていた配下に騎乗を命ずる。
「いつも通りの手筈さ」
剽悍そうな風貌に笑みを洩らす。
「突撃!!」
馬の機動力を最大限に活かすべく胸当だけを着込んだ数十人の配下と共に、
東管家側の左後方から天翔ける様な勢いで戦場に殴り込んでいった。
「!!」
その瞬間東管家側の軍勢は崩壊した。
馬上槍を振るった軽装の騎兵達は
味方を助けようとした重装備の騎士達を突き刺して行く。
さらに短刀を持つ三列目の足軽達はこの動きに連動して
五人一組で地面にもがいている騎士達を次々と討ち取っていく。
「撤退、撤退じゃー!!」
完敗を悟った東管家側は無念を押し殺して不名誉な逃避行を始めた。
「青、緑、赤、白、赤、赤!」
その様子を見た青年も追撃を禁ずる信号を旗手に命ずる。
現状では火の粉を振り払う事だけを考えるべきである。
−ま、今は生きて標関まで帰るのが先決や−
敗戦における殿払いを務めている立場では、
局地戦における勝利の余韻に浸る贅沢は許されない。
先陣に『権八』と呼ばれる巨漢の指揮する足軽を、
次いで本隊を警護するべく『平左』が統率する騎馬武者を、
後詰に『弥四郎』と称する肥満体が差配する鉄砲兵を配置する。
さらに物見を前後左右に撒いて油断無く、
何の実りももたらさなかった伊州から撤退していく。
「向こうも引いていくみたいやな」
痩身・猫背の青年が隣にいるうりざね顔の男に声をかける。
「はっ、此度の演目はこれにて終了しました故」
やや芝居がかった口調で伝える。
別におどけているのではなくこの男は徴兵されるまで実際に三文役者だったのである。
「東管家は伊州防衛を果たし、当家(西管家)はしくじりました。
互いに兵糧と軍資金の確保に苦しむ状況ではここらが引き際でしょう」
手元に集まる情報を過不足なく取捨選択して伝える。
「今回はいつもに増して補給が途切れがちやったなぁ」
青年は物資の確保に四苦八苦した先日までの様子を思い出す。
「硝煙と食い物はまだ足りてるんかな、甚助」
懸念事項を思い出した痩身の指揮官が尋ねる。
「恵有様が本陣との折衝で幾許かは確保しているとの事です」
浮かない表情で『甚助』と呼ばれたうりざね顔が応える。
「ふん」
予想通りの返答とはいえ腹が立つ。
「士大夫共の戦遊戯の尻拭いなどたまらんな」
不愉快そうにそっぽを向く。
「言葉をお慎み下さい」
うりざね顔が諫言するが彼が指摘するのは表現であって内容ではない。
不満なのは彼も同じなのである。
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