修一郎がその報告を聞いたのは遠目に写る火の手を確認して、
少しは慣れた緊張から来る喉を渇きを竹の筒から水分で潤した直後だった。
「黄海社中、並びに旧羽戸川水軍勢が焼働きに精進しているとの由」
自分の得意分野に入ると自信と智謀の度合いが異様に光り出す
擂り鉢は簡潔に上申する。
「うん、ま、今回は派手にやらんとな」
『詐欺同然』の戦に虚仮脅しは必須である。
尤もこの場合の相手は羽戸川ではなく、
他人の労働成果を掠め取ろうとする連中なのだが。
「情勢次第では急襲しても宜しいのではないかと」
筆頭参軍使は戦場以外の視野に欠くと言う
自らの評判を補強する失言を口にしてしまった。
「・・・あのな、今回は羽戸川の息を止めるんが目標やないぞ」
どうも大事な所が解ってへんな。
戦なんぞ、政治上の最も乱暴で幼稚な手段に過ぎんと言う所が。
「されど、今後の河南経営を考えますればここは多少の無理をすべきかと」
うん、何時もの賢しらぶった感じやのうてえらく力んどんな。
「俺は別に羽戸川を仕留める気はないで。
そりゃ博方を取れば洋駿から黄海までの交通路と様々な利権は入るよ。
そやけど河州の豪族達は樹州の連中程には従わんよ」
安知久以降、樹州に根を張る連中は唯々諾々と指示に従う様になっていた。
だがそれは安堂を滅ぼしただけではなく、
素早く交通の要所を占めて『逆らえば餓死あるのみ』と言う
状況を作り出したからである。
「されど・・・・・」
尚も意見を述べようとした豊五の口を閉ざしたのは三番頭からの使番だった。
「これより、我が番は至鄭方面より侵入致す所存」
内応に応じた新興商人達の牙城の名が居合わせた者達の鼓膜を刺激する。
「御苦労。遺漏無き様に只、励むべし」
素っ気無い励ましは黒一天の流儀である。
「はっ!!」
使番は一礼すると、機敏な動作で二人の前を退出する。
「先の事はその時になって考えようか」
「・・・はっ」
話の腰を折られた筆頭参軍使はこれ以上の意見が
建設的な方向に進まぬ事を悟った。
中秋から晩秋に入りつつあるこの時候、
博方の夜は昼間の活気を微塵を感じさせない程に静まり帰っている。
それは姫島の様な衰退の暗い影を感じさせる物でもなければ、
洋駿の様な不夜城の賑わいからちょっと一休みと言う感じでもない。
水運に拠って発展した河南随一の貿易都市は
規則正しい騒々しさに支配されている地であり、
彼等の就労時間に『夜中』と言う項目は書き込まれていないのである。
立地条件では古くからの座株を持つ伝統的商人達が住む
旧市街には敵わないが、
新興商人達が集う一角には最近の商売の繁栄振りを
見せ付けるかの様に広壮な建物が並んでいる。
この当時の大都市に『都市計画』等と言う物は見受けられないが、
−洋駿でさえ、まだまだ『交通整理』と言う程度である−
それでも一定の間隔を広げた道路が
身体中を巡る血管の様に市街全体に行き渡っている。
「地図通りでさ」
大柄な体躯の所有者は似合わぬ小声で呟く。
丸太の様な左腕を上げると音も無く数十人の男達が後に続く。
敏捷な身体の動かし方、四方への警戒を怠らない移動陣形。
そして制御された殺気。
どう考えても場数と自信を積み重ねた男達の振る舞いである。
「御大の仕事場より立派ですな」
黒一天三番・馬廻頭(親衛隊)にして権八の補佐も務める
川崎光太郎が茶目っ気な声と表情で襲撃予定地を眺める。
「全くよ。こうしないと格好つかないと思っておるのかの」
市街の警備と治安を受け持つ
−あくまで羽戸川の観点からである−
駐屯所は洋駿の公舎などよりはるかに立派な造りだった。
「家篭りする前にさっさと決めねばなるまい」
総勢が五十人だからではない。
一夜にしてこの地区の実効支配権を掌握しないと、手立て全体が瓦解する。
「では始めるでさ」
渋い表情で取り出した六角棒は一撃で閂を叩き壊した。
三番の成果が紅蓮の炎と変化している様は
水門の制圧を担当している二番頭に脂ぎった笑みを浮かばせる。
「こちらも頑張らねばならぬだわさ」
弥四郎の眼前では遮蔽物を挟んで
羽戸川勢と一進一退の銃撃を繰り返してるが彼に焦りはない。
「射撃術は常日頃の鍛錬が物を言うからの」
安知久で苦戦を招き入れた鉄砲放ち達は
自責の念を日常の訓練と言う形で懸命に克服しようと努め、
結果的に自らの技量を向上させている。
硝煙と射撃音を大量に発生させるのは黒一天二番の伝統芸なのだが、
博方に到るまでは多分に武器性能に頼っていた感があった。
しかし現在は熟練された空気が青臭い闘志を制御し、
組織的且つ効果的に繰り出す射撃は
『鳥脅し』の範疇に止まる敵方の鉄砲放ち達を圧倒していた。
「そろそろかの」
東の空が白み出す様を真ん丸い眼で確認した
二番頭は腹心の者共に新たな命令を告げる。
「頭分を討ち取って参れ」
『伍』の技量を持ってすれば夜間であっても派手な鎧に身を固めた
−この時は不意を衝かれたのでその様体はちぐはぐだったが−
士大夫共を討ち果たすのは造作もない。
「したが、此度は目的が違うだわさ」
羽戸川を滅亡させるのは『手段』であって『目的』ではない。
『此度は米価を吊り上げるのが目的である』
黒一天が博方の占拠行動に出た事が伝われば当然、河南の諸物価が上昇する。
その際に『やんごとなき方々』への上納を済ませれば我等の覚えもめでたい。
そんな経済事情を恵有から説明されても、
筆頭参軍使同様に『戦場の職人』である二番頭には理解出来ない。
「米なんぞ、幾らもならぬ物に固執するのも愚かではあるがのん」
米穀は自給自足の世界の住人に取っては全ての経済の基礎だが、
近代的職業軍隊の世界に居住する肥満漢に取っては
腹を満たす食物でしかない。
「ま、儂には関係無い話だわさ」
旺盛は食欲を満たす為に放り込んだ
干乾酪(干しチーズ)を頬張りながら独語する。
「楽しい戦に打ち込めるのならば文句はないわさ」
豊五との違いは身分差よりも割り切りの差だった。
指揮組織、と言うよりは騎士の頭数が軍事力に直結していた
この時代は大将の存在がそのまま勝敗に直結している。
従って朝陽を浴びながら次々と銃撃に倒れる騎士の数は、
そのまま羽戸川の敗勢を決定づけていた。
「精々、派手に見せ付けねばの」
窓辺からこっそりと見聞しているだろう住民達は何れも商工業者達であり、
今朝方の衝撃は程なく彼等の口を通じて河南に否、関中にも広まるだろう。
「本陣に使番を出せ。仕事の目処は付いたと」
さて、儂はしばらくは遮蔽物の中で寝るだわさ。
二番頭の発した報告は一番への追加命令と言う形で現れた。
「ほう、こちらも焼き働きか」
簡潔明瞭な文書には誤解しようの無い文字が書き込まれている。
「そうなると、些か手間が掛かりるな」
騎乗していない者達に屋敷を包囲させているが、
それは宣伝効果を狙った者であり本気で攻めかかる意志は無かった。
「擂り鉢が強く進言したのでしょうな」
和七郎は席次の上位者に対して、遠慮無く蔑称で吐き捨てる。
「・・・・・平騎士には、軍旗持ちの心情は解るまい」
自身は平騎士の家柄だが軍旗持ちの様子を幼時から見知っている
平左は米価の重要性が痛い程に解る。
「所詮は小藩の出と言う事ですな」
憎悪に近い心情から発した腹心格の不用意さは一番頭の眉を顰めさせた。
「その発言は取り消せ。軍団長殿の権威に関る」
修一郎自身が丹州の小藩出である以上は聞き逃せない。
「し・失礼しました」
鋭い目つきで睨まれたからでは無く、
自分が黒一天の存在を否定し兼ねない失言を発したと言う
意識が和七郎を恐縮させる。
「うん」
渋い表情で頷く事で事を収めた一番頭は新たな命令を発する。
「足軽と鉄砲放ち達を調和させ、攻め立てよ。
・・・・どの道、助太刀も来るであろうがな」
『陥落せよ』と書き込まれていないのは『例の物』を使うからだろう。
平左の推測は程無く実現した。
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