PHP研究所 堺屋太一
農民の小倅から天下様まで上り詰める
世界史上でも稀な出世を果たした豊臣秀吉を語る場合、
大抵の歴史家はその偉業の要因を特異なキャラクターと能力に当てはめる。
その事自体は間違っていないのだが一人の英傑が
世界を変え得ると言う設定は短絡的だと言う気もする。
では『個人』ではなく『組織』として豊臣家はどうだったのだろうか?
これについては答は既に弾き出されている。
『脆弱』
この一言に尽きる。
この家(組織)は極めて生臭い利益に拠って組織の体を成していた。
従って豊臣が最大の利益を保証している間はともかく、
彼等以上に利益を与える勢力が出現した場合、
(この場合なら徳川)
その構成員は鞍替えするのに何等の心理的負担を感じない。
大阪の陣で既得権益を持つ諸大名が誰一人として味方につかず、
真田雪村や後藤又兵衛の様に
『一発大逆転』を狙う浪人しか集らなかったのは
淀君や秀頼が阿呆だったのが唯一の理由ではない。
そうである以上、この組織は常に成長拡大を威勢を見せる必要があった。
幸い、組織のリーダーである秀吉のパーソナリティは
この路線にぴったり当てはまっていた。
だがイケイケドンドンだけで全てが丸く収まる訳ではない。
自らの立身出世を望む連中が
『和を以って尊しと為す』精神の持ち主である訳もなく、
(他ならぬ秀吉自身がそうだった)
公平な立場で利害の調整を計る所謂『内部調整役』が必要だった。
別の表現に直すと絶対の信頼が置ける補佐役と言う所だろうか。
そして秀吉は能力本位の織田信長に見出された事以上に
表裏一体と為す人材を極端に少ない親族の中に得ていた。
日本史上、殆ど唯一の『補佐役』だった大和大納言秀長その人である。
この本が出るまで豊臣秀吉の補佐役だった豊臣秀長について
取り扱った書籍はほぼ皆無だった。
一応、秀吉と藤堂高虎関連の書物に名前だけは登場するのだが
(高虎は秀長に仕えた時期があり、彼が出世したのもこの時期)
それは大抵が『その他大勢』の位置付けであり、
史実において彼が果たした役割は蜂須賀小六なり石田三成が代行している。
確かに派手なエピソードのない秀長を取り扱うより、
創業の労苦を分かち合った野武士や関ヶ原の大戦を引き起こした
敏腕官僚の方が扱い易いと言う事情もあるだろう。
(勿論、売り上げ的にも)
だが本職の歴史家でない前経済企画庁長官でさえ、
これだけ細かく調べられるのに
他の歴史家なりその方面で飯を食っている連中が
誰も取り上げないのは怠慢と不見識ではないだろうか?
取り敢えずは農民として食っていける立場だった秀長が
秀吉に仕えた時期は当時の身分の低さからはっきりと判明せず、
個人の推測に拠るものでしかない。
だが彼が果たした役割である補佐役と調整役が新参者や
親族と言う特権だけでこなせない経験と実績が必要である
つまり古参者でなければ務まらない事を考えると、
恐らくは秀吉が足軽組頭に昇格した頃、
『前野家文書』的には蜂須賀小六が信長から秀吉に鞍替えした頃だろうか。
(前野家文書は『信長公記』と並ぶ織田信長関連の一級資料)
墨俣に至るまでの美濃小豪族達の調略、慣れない京都での治安担当、
勇猛果敢な強者を擁する浅井、日本屈指の大大名である毛利との戦い、
そして本能寺以降の山崎天王山、清洲会議を経ての賤ヶ岳。
何れも秀吉の出世の踏み台の歴史であると同時に秀長の苦闘の歴史でもある。
補佐役から見る視点に派手な物語はないが
単なる『出世物語』では到底表現できない味わいがあり、
単なる小説としても中々の出来である。
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