選手達に取っては何の楽しみもない
散々だった関東遠征だったがチームとしての成績だけなら
Vゴールを含めた2連勝を果してGMから見れば満足な結果に終わった。
「これからここを東日本の定宿にしよう」と
帰り支度で慌しい雰囲気にも拘わらずウキウキしている金村に対して
「ああ、でももう少し設備は整えてくれ」と
うんざりした口調で水谷が応じる。
「確かに試合には集中出来るが、エネルギーをもて余らせた連中が
何枚カードを貰ったと思っているんだ」
実際昨日の『茨城コルミージョ』との対戦でも
審判がカードの提示に追われる荒れた試合となり、
その結果として次節では累積と赤紙で主力二人が出場出来ない。
「まぁ気にするな。こうやって貯めた金はチームの強化に有効に使うから」
「『クラブ』ではなくてか」
太くて長いもみ上げが良く似合う鬼瓦が確認を取る。
「ああ、うちの可能性が出てきたら少しは話も進むだろ?」
先日のボランティアスタッフの件で急速に自信をつけた
ねずみ男はにやりと笑って水面下の事情を少しだけ明かした。
相手を故意に蹴り付けたと判断されたストッパーと
審判の判定に激怒して赤紙を頂戴したドリブラーに取っては
思わぬ形での『休暇』となってしまったが練習を休む訳には行かない。
「去年までのうちなら軽くランニングして終わりだったんけどなぁ」
制空権確保の練習に励む柳木は大粒の汗を滴らせながら苦笑する。
「二軍の試合にも出られずに腐ってた城陽じゃ考えられないことだよな」
直線的なドリブルが持ち味の茂原も積極的に瞬発力を鍛える練習に参加する。
そんなレギュラー二人の様子を見た若手達も発奮する。
「やべぇ、次の試合でしっかりアピールしないとまたベンチ行きだ」
「冗談じゃない。給料、滅茶苦茶低いのに」
フットボールの世界では出場給や勝利給と言った『能力給』の割合が高く、
予め保証されている金額だけでは一般のサラリーマンと大差がない。
ましてや行き場がない弱い立場だった彼等の場合、
最低保証金額すれすれまでに削られていた
基本給でもサインするしかなかった。
そんな彼等にとっては試合出場は生きるか死ぬかの瀬戸際なのである。
「くそっ!」
『オーバーワーク』なる単語をゴミ箱に捨て去って
練習に励む若手達であった。
レギュラー取りを目指す同年代の選手を横目に見やりながら
一人の選手が黙々とサイドからのセンタリングを行っていた。
嘗ては見られた甘い表情深い皺を刻み込んだ顔の中に消え去り、
失われた時間を取り戻すが如き働きを示している青年は
力任せに蹴り込んでいた数年前とは異なり、
強弱をつけた正確なコントロールを周囲に披露していた。
高度に守備戦術が発展した現代フットボールにおいて
サイドバックの攻撃参加は重要なファクターと見なされ、
あたかもそれこそが攻撃の成否を握ると誤解されがちである。
シュバルツの右サイドバックに陣取る後藤も
嘗てはそんな毒病に犯された『被害者』の一人だった。
『超攻撃的サイドバック』の触れ込みでシュバルツの前身に当たる
『愛媛フリューゲルス』に入団した彼もその後は全くの泣かず飛ばずで
将来を嘱望されていたその名はいつしか関係者から忘れられつつあった。
彼がプロフットボーラーとして3年目のシーズンを迎える事が出来たのは
所属チームの環境の激変によって目の上のたんこぶだった熟練者が去り、
彼以外に適任者がいなくなった一事に尽きる。
今シーズンの彼はかつてのトレードマークだった攻め上がりを潜めて
右サイドのボランチ・石居との連携の元でDF本来の役目に専念している。
それは自信を喪失していた『元・期待の若手』に取っては
自らのプレースタイルを確立する好機だった。
闇雲には攻め上がらず、チーム全体のバランスと試合の様相を見極める
彼のプレーにはメリハリが見受けられる様になった。
尤も次の試合だけは攻め上がりの回数は増やさねばならない。
左サイドから技巧的なドリブルと二列目からの飛び出しが売りの要田は
右サイドの直線的ドリブルが光る茂原と組ませる事で実力以上の力を発揮、
貴重なサイドアタッカー兼セカンドストライカーとしての
役割を果す事で必死に得点チャンスを作り出してきた。
そんなシュバルツに取っては片翼を失う事は致命傷に成りかねない。
「上手くリズムとタイミングを合わせないとな」
前線に待機する不思議な得点感覚を持つ小柄な点取り屋の動きと
左サイドで独特の存在感を発揮するアタッカーの動きをイメージしながら
右サイドのアップダウンを何度も繰り返していた。
どんな試合であっても直前のロッカールームはいつでも緊張感に包まれる。
念入りにマッサージを繰り返すチームスタッフ、
痛めている箇所をテーピングで固定する事で
プレーへの影響を最小限に抑えようとする者、
そして自らのチーム戦術を浸透させようと言葉を選び抜く監督。
様々な思惑が入り混じった部屋にあって一人静かに
前半45分間のみの出番に思いを馳せている男がいた。
彼の選手としての評価は肯定的な『ポストプレイヤータイプ』を除けば
『体力不足』『ワガママ』と否定的な語句が並んでいる。
事実は淡々とした『我関せず』の性格が由来しているのだが、
毎年の様に一部と二部のエレベーターチーム級のクラブを対象に
主戦場を変更する彼の経歴からはそう受け取られても仕方がなかった。
CFの地位を10歳以上年下の無名だった少年に侵されつつある
下田は黙々とシューズの紐を結びながら試合でのプレーをイメージしている。
−今日は茂原がいないからサイドからの崩しは減りそうだ。
後藤も今の様子じゃそんなに攻撃には参加しないだろうから
ボールをキープしてもフォローは少ないだろう。
それならば早目にシュートを打って壁を開けとくか。
点を取るのは後半限定のあいつにやらせとけば良い−
水谷からのゲームプランの説明は概ねベテランCFの思惑通りだった。
尤もこれは下田の戦術眼が格別に優れていたのではなく、
限られた戦力では他に取りようもない田舎チームの事情に対する
老練な二人の認識が重なっただけなのだが。
そんな業師達の思惑に及びもつかない新人の由口は
一字一句聞き漏らさないと必死になって耳を立てている。
−才能のない俺があいつらに追い付く為には戦術理解力を高めるしかない−
客観的に見れば彼の素質は決して見劣りする物ではなく、
このまま順調に伸びていけば代表は苦しくても
クラブのレギュラーぐらいならキープ出来るレベルに達していた。
だがこのシーズンに彼と共に入団してきた恐るべき潜在能力と
圧倒的な身体能力は彼に劣等意識を植え付けるには充分過ぎるくらいだった。
−俺一人だけが落ちこぼれてたまるか−
この劣等意識と表裏一体の向上意識がキーパー以外のポジションを
難無くこなすマルチプレイヤー由口の基礎だった。
『筋肉隆々の上半身で勝利の女神の心を惹きつけ
鍛え抜いた下半身でその身体を魅了する』
先週の試合後の記者会見で水谷が述べたシュバルツ愛媛健闘の理由である。
一見、後半に投入するスーパーサブの決定力に頼っている様に見えるが、
中央に陣取る2ストッパーと前方に位置するスイーパーの三角形が
基本に忠実な守備を実行する事で
チームの骨格を形成しているのが専門家の一致した見解であり、
その事実が悪い意味で明らかになったのは久し振りのホームで試合だった。
キャプテンマークを巻く男はこれまで無数の試合を体験をしてきた。
強豪校のレギュラーとして、大学日本一の主将として、
アマチュアチームの守り固めの要員として、
色々と立場を変えて来たが今日の様に一方的に攻められた試合は無かった。
後方の守備の不安は前線の攻撃を及び腰なものに変貌させ、
余裕を得た『新潟ラファール』は鋭い攻撃を仕掛けてくる。
オランダ帰りの監督が提唱する高いバックラインはずるずると下がり、
中盤のバックアップが得られず、組織的抵抗の手段は奪い取られた
ディフェンダー陣には個々の能力による単発的な対応でしか
抵抗する手段が見出せなかった。
そんな絶望的な戦いにピリオドが打たれたのは後半早々の事だった。
それまで左サイドのボランチとして奮戦していた須田が
持病の筋肉痛を再発させ戦場離脱を余儀なくされる。
水谷は急いで交代選手を派遣するが選手層の薄いチームにとって
レギュラーを3人も欠くのは致命傷だった。
それまで巧みなポジショニングを見せていた矢野は左サイドのケアに追われ、
右のボランチ・石居は中央の隙間を埋めるべくポジションを中央に移動、
混乱した中盤の守備の隙間から広大なスペースを見出した
アウェーチームが得点を重ねるのは難しい事ではなかった。
三回に渡りゴールを割られたシュバルツが意地を見せたのは
試合終了間際の事だった。
セーフティーリードに精神の緊張を緩めた隙を突いて
後藤が体力と気力を振り絞ってサイドラインを疾走する。
この一見無謀な動きにようやく約束事を思い出した
石居が空いたスペースを埋めるべくポジションを本来の位置へと戻す。
右サイドからの意図した通りの攻撃はベテランCFの思惑通り、
彼自身の豪快なシュートによって完封負けを免れる得点となった。
ただ、それだけの事ではあるが。
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