『瓢箪から駒』


これまで彼の人生は厚く覆われた壁の内側のみに存在していた。
長々と続く空虚な儀式と生活様式。
一寸単位の順序争いに自己主張を繰り返す周囲の大人達。
煌びやな、だがそれ故に内実のない日常に繰り返す陰気な勢力争い。
どう考えても真っ当な人間の暮らす場所ではない。
少なくとも危機信号を発するだけ彼の神経は尋常さを、
あるいは毒には染まっていなかった。
但し、その代償として生命を落とす危険に晒されていたのだが。

無音の重圧が彼のひ弱な身体に圧し掛かってくる。
駄目だ。殺される。
自分一人を守る術を知らない少年は死を覚悟した。
これであいつが次の国王か。
従兄の権力欲と僻みが表裏一体となった歪んだ顔立ちを脳裏に思い出す。
別に名前だけの国王に興味はない。
欲しければ王太子の地位などくれてやるとさえ考えていた。
ただ趣味の観劇や文字の世界に埋没して天寿を全うしたかった。
だが自分と従兄との党争が想いを口外させなかった。
ごめん、母上。
ごめん、姉上
ごめん・・・・・・・綾名。

少年が脳裏にこれまでの生涯わ走馬灯の様に思い浮かべ、
暗殺者達が獲物を仕留めようと歩を狭めた瞬間、
外側から物好きな救援が到来した。
「!!」
黒一天全軍から選抜された兵達は一撃で暗殺者達の足を払うと、
ニ撃目で脳天に六角棒を炸裂させる。
「な、何者」
「善意の救援者さ」
角冶は口元の端を歪めると質問者に上司直伝の棒術を披露する。
受け止める、薙ぐ、突く、叩く、仕留める。
歴戦の武勲が填め込んだ鉄の錆となって彩られている六角棒は
美しさのみに拘って実用性の欠片もない細剣を打ち砕き、
暗殺の手段を喪失させる。
死命は制さないが隔絶した力量の違い見せつける。
手練な者達のみが実行出来る抵抗の意志を挫き方である。



角治は勝者の余裕を持っては勧告する。
「失せろ。我等の大将は貴殿達の様な卑怯者はお嫌いだ」
「卑怯者だと」
国王家直属の旗本の誇りはこの一言で深く傷ついた。
「許さん」
蟷螂の斧を振りかざす彼の聴覚に轟音が響き、弾丸が頬を掠った。
「ひっ!!」
人を殺める事はあっても彼に出陣の経験はない。
殺人の快楽は味わっても、死亡への恐怖は未経験である。
「早う去ね!」
二階から修一郎の大声が響き、続け様に黒一天の御家芸を披露する。
「ひっ!」
男達はへっぴり腰で夜の闇に同化していった。

一仕事終えた角冶は少年の方へと出向く。
「何方かは存じませんが無事の様ですな」
「お、お主達は」
他人の名前を聞くからには自分の名前を名乗るのが礼儀だろうが。
そう思って眉を顰めるが、まだあどけなさの残る顔立ちに他意はなさそうだ。
ふん、何処ぞの坊ちゃんか。軍団長殿も物好きな事だ。
「我等は樹州知事配下の『黒一天』」
「こくいってん・・・・・・こくいってん・・・・・・・
 おぉ、あの大零山襲撃で名を挙げたそち達か」
田舎者達は自分達を知っていた事に驚きを禁じ得ない。
はて、俺達そんなに有名だったか?
「ならば平左はおるか、会いたい。直参も許す」
ああ、捕り物絡みか。
「平左殿はおりませぬが軍団長殿はおり申す」
「何と、あの『鳥脅し殿』が上洛しておるのか」
不名誉な呼ばれ方だが、自分達が仰ぐ旗頭の存在が
首府にまで知られている事実は素直に嬉しい。
「ならば我等の軍団長殿に会って頂けますな」
「うん、会おう」
そう言って少年はさっさと料亭の方へと出向く。
この時、名前を聞きそびれた事に角冶は少し後で後悔する事になる。


燈篭が闇を少しだけ追い払っている夜更けの席には
十兵衛が恐縮の余り、身体を震わせている。
平伏して光が届かない容貌には『畏れ多い』と言う文字が
緊張の冷や汗と共に貼りつけられているに相違ない。
それに対してその斜め後で平伏している猫背の青年の方は
事態の推移を面白がってはいても畏まるつもりは毛頭ない。
−まぁあれやな。瓢箪から駒とはよう言うたもんや。
 王太子が引っ掛かるとはちょっと都合良過ぎるな−
とは言え、歴史の歯車を動かすきっかけとは
こういった偶然と幸運の積み重ねにあるのもまた事実である。

「龍長、近う、近う」
「はっ」
公家被れした西管家の儀式が再現され、十兵衛が戦奉行の役割を務める。
尤も一流半の料亭の客間の席は西管家のそれとは比較にならない程に狭く、
此度はすぐに会話可能な距離にまで修一郎は接近できた。
「此度の馳走、嬉しく思うぞ」
「はっ、王太子殿下を狙う不逞の輩を成敗致す場を頂戴出来るとは、
 龍長、望外の幸せにございまする」
年来の得意技『誠意の無さを抑々しい台詞でごまかす』を発揮しながら、
黒一天軍団長は王太子を素早く観察する。
−見た所、西管家の御館様よりかはまともそうや。
 しかしひょろっとした顔立ちと言い、頼り無さげな表情と言い、
 こりゃ反対者の連中にやる気を与えそうやな−

樹州知事の胸中の考えなど無論、王太子は感知出来ない。
「此度の功績に対して何か報いてやりたいのだが持ち合わせもなく、
 おまけに『御忍び』なので表立って褒美もやれぬ。
 『望むままに』とは言えぬが何か希望があれば申せ」
済まなさそうな声と表情に修一郎の口の端が歪む。
−ま、『御手元不如意』を口にするだけましか−
西管家では弱味を見せる前にお情けの玩具を与えてお終いなのだから、
率直な内情を明かすだけまだ善意ある対応と言える。
「それでは、申し上げます」
修一郎は顔を上げ正面から王太子を見据える。
「も・申せ」特徴のない容貌から放たれる
尋常ならぬ瞳の輝きは緊張感を高めるには充分だった。


洛安の中枢部に位置して二世紀程前に設立されて以来、
血生臭い政争と共に建物としての歴史を刻んだ国王の居住地に
修一郎が始めて足を運んだのは奇貨を得た四日後の事だった。
「思ってたより小っこい建物やな」
一般には『御殿』とのみ呼称される
嘗ては壮麗だった建物を眺めながら意外の感を拭えない。
「『元老院』と『高等法院』との兼ね合いもあるとの由」
修一郎の独り言に感応した十兵衛が短く説明する。
「成程、そうでござるか」
武家の長である国王家、名士階級の牙城である元老院、
宗教諸派の拠り所である高等法院は三位一体となって
宗洋島の『権威』の頂点に位置している。
「ところで本間殿、御殿での仕来りには御存知で?」
長谷川家の捕虜は緊張の色を隠せない顔色で同行者に尋ねた。

「西管家絡みでいささかの知識はありますが・・・・・西本殿の方は?」
「実は小生も然程に詳しくはござらん。
 介添え役として情け無き次第ながら、不測の事態を招くかも知ませぬ」
「その事でしたら御安心召されよ。
 先日の名義拝借は我等の方から頭を下げた故、立場は弱うござった。
 しかしながら此度はこちらの立場が高うござる」
「ま、確かにそうでござるが」
「それに万が一の失態は形式上の紹介者である高・・・・高・・・
 えーと・・・・・そうそう、高幡殿とやらの降り掛かる故安心せられよ」
「その高幡様は小生の主家とは深く関りがございます」
えっ?
「貴殿達には一宿一飯以上の恩義がござる故にお話致すが
 長谷川は高幡様の『家礼』の出に当たる故、頭が上がらんのでござる」
十兵衛は主家の泣き所を敵対者に洩らした。

「その様な事、この一件が終われば敵対する小生に申しても良いので?」
「申さずとも今の主家では貴殿には勝てぬ」
監軍使だった男の目は節穴ではない。
捕虜とは言っても監獄に閉じ込められる訳ではなく、
監視付きとは言え比較的自由に洋駿の街中を見聞できる身分だった。
「すると今回、同行を承諾して頂いた件も?」
「確かに貴殿達の傍らに止まって大零山の輩どもを一蹴した
 『黒一天』の動きを観察する狙いはござる。
 でも介添え役としての頼みに応じたのもまた本心からでござる」
嘘を言っている様には見えない。
「成程、左様でござるか」
ここで会話が途切れ、両名は御殿の正門をくぐった。

 

「時代の狭間」へと続く。

「首府・洛安」に戻る。

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