『時代の狭間』


本間修一郎龍長が始めて『御殿』に昇殿した正確な日付は不明である。
元より非公式の折衝であった上に
当時は良く言って『辺境』に過ぎなかった河南に関する政治向けの話等
『関中第一主義』を掲げる国王家が正史(公式記録)に止める筈もない。
一方の当事者もそんな瑣末な事に関心がなかったのと、
直後から没頭する戦争準備の為に
日付の事などすっかり忘れてしまっていた。
結局の所は『紅雪文書』の日付から推測せざるを得ず、
当時の洛安〜洋駿の郵便事情から察すると
(宗洋島では郵便物の配達に限って安全が保証されていた)
大体4月の下旬ぐらいだと考えられている。

上座に座る高貴な手が左前方の侍従に向かって振られる。
一礼した40代後半の男性は後ろに控える奏者が
小走りで一段下がった中堅士大夫へと近付く。
奏者が一礼して『上意』を伝えて登壇を促すが、
彼は謙譲の美徳を発揮して丁重に誇示する。
そんな様子をさらに二段下がった位置から猫背の青年が眺めていた。
−いったい、何時になったら王太子のとこまで行けるんや−
比較的遠目の聞く彼の視力でさえ、
彼の申し出を承諾してくれた当人の顔立ちははっきりしない。
そんな修一郎の視界で薄赤の衣冠の肩が少しだけ揺れる。
あ、どうやら拳一つぶんだけ前へ進んだようやな。
続いて十兵衛殿も動くやろうから俺も少しだけ前へ進もうか。


三倍速度の早送りでも欠伸が止まらない冗長な謁見は
一刻(2時間)を経てようやく会話可能な距離にまで縮まった。
だが修一郎にそれ程の不満はない。
−やっぱ本場は違うなぁ。西管家の御館様なんぞ只の『真似事』や−
場にゆったりと流れる『高貴』な空気とそれぞれの配役に振り当てられた
各人の挙措に適った動作はさながら一つの名劇でさえあった。
−ま、考え様によっては貧乏郷士風情の俺の為に
 ここまで場を整えるとはあの坊ちゃん、よっぽど人がええんやろな−
この好印象が与えた影響など本人には及びもつかない。
「元老院議員にして兵部の重鎮である高幡参議においては
 日々代わりなく余としても嬉しい限りである」
現代にまで連綿と続く国王家の系譜を知らぬ内に救っていた
王太子・足川小五郎光規が声を発する。
「王太子殿下におかれても日々変わる事無く御健勝にあそばし、
 元老院としてもお慶び申し上げまする」
何気ない挨拶には言語化出来ない思惑の確認かせなされている。
『何事であれ現状維持』が不磨の大典である
名士階級の牙城に取っては現状の政治路線を受け入れている
現・王太子がこのまま即位して貰うのが望ましい。
一方で味方の少ない王太子側も元老院の支持は心強い限りであり、
実権のない立場では元老院との提携を強めるのが生き残る術でもあった。

その後八半刻(15分)程は樹州知事にとっては無関係な会話が続いた。
尤も既に実権を失って久しい武家の長と空理空論を弄ぶ名士の代弁者が
交わす会話に『現場管理』の者が関係する訳もないのだが。
「さて本日は国王家の忠心篤き者より、
 格別の願いがあるとの事故特別に御殿に連れて参りました。
 本来は昇殿も出来ぬ下賎の者ですが、一つ曲げて直訴をお許し下さいませ」
ようやく本題に入る様だ。
「ほう、それは珍しきかな。してその者ははどこに控えておる」
「こちらに」
突然の『臨時収入』に狂喜した50代半ばの男性は半身をずらし、
二段下の畳に控える肩衣姿の黒一天軍団長を左の掌で指し示す。
「その方、姓名は何と申す」
修一郎は頭を深く下げて答えようとしない。
「許す。直答せよ」
「はっ」
始めて声を発した修一郎に対して素早く奏者が駆け寄る。
彼が王太子と直接、会話が出来る様になるのはまだ先の話である。


穏やかな光を帯びた春の夕陽が徐々に西管家の方角へと沈んでいく。
河南とは違って湿気の少ない
洛安はこの時期から梅雨の時期が最も過ごしやすく、
且つ諸勢力の出入りも活発となり、
水面下での交渉も激しさを増す。

あっちは衛州藩の使者。こっちは東管家の使者。
うん、あれはうちん所の奴かいな。
でもあいつらは精々元老院の議員さんとこまでいけへんのやろうな。
望んでいた許しが得られた事に対する安堵感からか、
修一郎の眼には安堵の光と周囲を細かに観察する余裕があった。
−ま、高幡とか言う奴もそないにうるさそうな事を言う風には見えへんから、
 収支で言えば黒字やったのかな−
本間修一郎龍長の樹州支配権を国王家公認で認める。
その代償として毎年の『年貢』収入から一割を献上する。
同時に樹州知事は元来の地主である高幡家の諸権利の回復を務め、
荘園の『管理』は修一郎側が責任を持って引き受ける。

以上が当事者達の合意内容である。
公式文書は存在せずにそれぞれが覚書を所有するだけのものであり、
高等法院での証拠文書としては押しが弱いのは否めない。
それでも互いの『利益』が絡み合っている以上は違約や破棄の可能性はない。
「これで小生の肩の荷がおり申した」
十兵衛は近未来の敵方の前で務めて明るく振舞う。
ま、後は俺の交渉だけだな。時間はかかりそうだが。
胸の奥で語る東管家の陪臣に黒一天軍団長は言葉を返す。
「これも十兵衛のお陰でござる。ここはなにがしかの謝礼をすべきだと
 貧乏郷士も心得ております故、貴殿の身代金要求は取り下げましょう」
「な、何と?」
「無償で開放致しまする。これ位しか貴殿の骨折りに報いる法がごさらん」

十兵衛は呆気に取られた。
但し、その対象は気前の良過ぎる申し出に対してでない。
勝者の特権の一つであり、この時代の常識をいともあっさりと破棄する
修一郎の『跳んでる』感覚に対してである。
「・・・・・・貴殿は余程の大馬鹿者か大人物のどちらかでござるな」
鮮やかな夕陽を背にしている猫背の青年に対して
ようやく長谷川家の捕虜は声を絞り出した。



「十兵衛殿は良き防波堤となり得るでしょうな」
黄海社中の頭領は向かいに座る特徴のない容貌の青年に語りかける。
「寛大な取り扱いに感激した御仁の献策により、
 樹州以西の行動は慎む・・・・・中々の筋書きでこざろう」
御殿参内の準備で慌しい一瞬に東管家が衛州藩の紛争に敗れた
事実を知った黒一天軍団長は素っ気無い笑みで相伴者の同意を促す。
「ま、連中は内実の不格好を隠す体裁にはすぐに飛び付くものでござるよ」
小鉢の菜に箸をつけながら乾いた感想を口にする。
「別に体裁を気にするのは『誇り高き』士大夫だけではござらん。
 株内での主導権争いに明け暮れる商人達も同様でござる」
好物の魚類を四ヶ月近くも食せない欲求不満を乾物で誤魔化す
黄海社中は彼の情報網に引っ掛かった獲物を披露する。

「しかし東西両面の後押しの懸念が無いとは言え、
 知名・久喜の両群の討伐とは思い切った事を」
黒一天に対する面従腹背振りが目につくとはいえ、
今なお樹州で独自の武力と支配権を有してあなどれない勢力を誇る
両郡の土豪達への攻撃は和馬の予想の外を突くものだった。
「左様、誰も予想していないからこそ行う。
 人目の惹く振るまいこそが金と人気を集めるのでは。頭領殿」

「確かに」
雲一つない満月を視線を移しつつ、杯をあおった和馬は深く同意した。
「誰も注目していない。はたまた予想していない箇所に注目する。
 戦も商いも根本の発想は同じでござるな」
「政事もでござるよ。三世紀前に当時の国王陛下とやらは
 風紀の乱れしこの宗洋の島を武力のみならず、思想面で抑えようと考えた」
「あの辛気臭い『孝望』でござるな」
「左様、御用学者を使って上は国王家から下は庶民にまで
 『身分の則』とやらをきっちり整えたのは
 まぁ時勢に合っていた政策やった。
 そやけど所詮は昔の打楽器に憧れたのが出発点の懐古趣味やからなぁ」

「現代はその懐古趣味とやらに合至せずと?」
「貧乏郷士が非公式とは言え御殿で王太子に会うたり、
 座株を持たない貴殿が堂々と商いが出来るのが良い証左でござる」
「では次の時代を担うべき我等が当然目標すべきにするのは」
「当然、意固地なあの田舎者達でござる」
おどけた表情と笑っていない眼が不思議な調和を醸し出す
修一郎は当然の様に次の戦場予定地を口に出した。

 

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