『ジョルジーニョ』
90年代に入って様々なマスメディアを通じて プレッシングが世界規模で行き渡る様になると 『才能に頼った華麗なパスワークによる中央突破』は難しくなり、 アウトサイドを使ったオープンな攻撃が重視される様になった。 そこで『サイドバックの攻撃参加』と言う項目が 従来以上に注目される様になった。 この項目自体は以前から存在したがあくまでもオプションの一つに止まり、 サイドバックが主役に踊り出る事は無かった。 だがタクティクスに重心を移し過ぎた90年代前半のフットボールは この要素が極めて重要となりその選手の出来が 直接的に勝敗の鍵を握る事となった。 セレソンの特徴は敵味方の別なく魅了する個人技が上げられる。 しかしその一方でペレの時代から脈々と受け継がれた サイドバックの攻撃参加は『隠れた宝』として人々に語り継がれてきた。 そんな伝統がセレソンに24年振りの栄冠をもたらす大きな要因となった。 左右両サイドから技術と体力と知性が絶妙にブレンドされた 攻め上がりを行う二人のサイドバックは『10番』が存在しない 王国の攻撃力を一身に担う存在だった。 その両サイドバックの内、攻撃的MFの控えの背番号である 『16番』を着けた左のレオナルドの攻撃力は高いのはまだ納得出来る。 しかし、セレソン不動の右サイドバックであるジョルジーニョの 攻め上がりの鋭さは4年前を上回っていたのはどう言う事だろうか。 特別、足が早いと言う訳ではない。 アタッキングエリアにまで侵入して得点を上げる訳でもない。 にも関らず『ウイングバックまずありき』の3−5−2システムを 採用していたイタリア大会よりも明らかに存在感を増していた。 当時『サイドバックは足の速さが第一条件』とされていた 日本に住んでいた私にはその謎が掴めなかったのだが、 後から振り返るとその答えは既に出ていたのである。 7月17日のファイナル、前半20分でジョルジーニョが 負傷退場した瞬間にセレソンの両翼はもぎ取られた。 (レオナルドは出場停止処分を受け、ファイナルには出場出来なかった) 彼よりも若く体力とスピードに優れている筈のカフーは 何度かカテナチオを外しにかかるものの、結局は攻略出来なかった。 彼が唯一ジョルジーニョに及ばない『状況判断』が原因で。
|
|
|||
|
|