近年のナショナルレベルでのフットボールシーンでは
綿密な育成システムを整えた国の躍進が目立つ。
90年代前半のサプライズと国内の好景気を有効に活用したアイルランド。
クライフの若手重視の方針が全国レベルで行き届いたスペイン。
地元開催のワールドユース(91年)に合わせて強化を計ったポルトガル。
そして協会主導でのユースシステムを整えた
現・世界チャンピオンとそのエッセンスを真似した日本。
何れも年代別の大会で実績を残し、
(但しフランスはクラブ間の調整がつかずに片手落ちのメンバーだったが)
上記のナショナルチームは『アンダー』と名のつく
大会では常連とも言うべき地位を築いた感がある。
そしてそんな国々の中に名を連ねるのが
現在、ワールドカップ南米予選で首位をひた走るアルゼンチンである。
そのフットボールはマラドーナ時代の個人の才能に依存するのではなく、
組織との調和が取れていて『クリーン』と『狡猾』さの配分が良い点が
高い評価を受けている。
当然、その様なチームの指揮を執る人物に注目が集まるが
その名は殆どの人物が聞いた事もなかった。
ホセ・ペケルマンは1949年にアルゼンチンで生まれ、
若き頃はプロのフットボーラーだった。
尤も代表歴もなければ国内で活躍した事もなく、
コロンビアでプレーした事実が唯一語られるエピソードである。
引退後は当然の様にコーチ業に携わるが任されたのはユース世代。
マラドーナの活躍に心奪われたアルヘンティナの関心に上がる訳もなく、
10年後にはチリへの出向へと出向く。
だがその決断が裏街道一点張りだった彼の人生を180度変更する。
出向先だったコロコロは南米チャンプを決定する
リベルタドーレス杯の常連であり、
優勝こそないがコンスタントに上位(準優勝経験有り)に食い込んでいた。
その経営スタイルは南米共通の有望な若手を売却する方式である以上、
自然と責任者への注目が高まるのは想像に難くない。
しかも時はマラドーナ時代が終焉を迎えた90年代、
アルゼンチン協会が名誉回復の為に
ユース育成に本腰を入れたくなるのも無理はない。
こうして1994年、『大抜擢』と評される人事が発表される。
ワイマール・サヴィオラ・リケルメetc・・・・・・・
何れも21世紀のアルゼンチンを担う逸材であり、
暴騰している移籍市場の主役達であり、
そしてホセ・ペケルマンの教え子である。
就任翌年に開催されたワールドユースは日本が自力で出場した
FIFA(国際サッカー連盟)主催の大会としても知られる。
中田英寿(ASローマ)・安永聡太郎(清水エスパルス)等を擁して
予選を何とか通過してベスト8まで勝ち進むも
(因みに彼等を破ったブラジルのエースが浦和の10番を背負う助っ人)
『取り敢えず勝てば良い』的なマラドーナ時代の印象を覆す
クリーンなフットボールを貫いたアルゼンチンは
決勝で宿敵を撃破して見事に優勝を遂げる。
これが日本であれば『未来のスター候補生』として
必要以上に持ち上げたかも知れない。
だがほ当時のフル代表監督であり、メノッティの愛弟子でもある
パサレラも数年間に渡って指揮したリバープレートで
鍛え上げた自らの子供達を重用していた為に
ユース上がりの選手達に中々出番は巡ってこなかった。
その結果として惑わされやすい雑音が入ることもなく
クラブのレギュラーを射止める真の実力を蓄えていく。
(レギュラーならば所属クラブの許可が降りない)
二年後に開かれたワールドユースでも予選から勝ち上がり、
(育成が主目的のユース世代は開催国だけが無条件で出場資格を与えられる)
この大会でも『嘗ての』宿敵・ウルグアイを破って見事に優勝を果たし、
この世代に関する限りはトップに位置している事を証明する。
(因みにブラジルとは準々決勝で直接対決している)
その功績が高く評価されたペケルマンは
フランス大会終了後に21世紀のセレステ・イ・ブランコの
(青と白。アルゼンチン代表の愛称で由来は国旗から)命運を託される。
だが年齢制限のないチームでの指揮経験のないペケルマンは
辞退出来る状況にない最中、賢明な出処進退を見せる。
自らは一歩引いたGM的なポジションに位置して
(多分、総監督みたいなものだろう)
現場の監督には意に叶う人材を抜擢する。
勿論、彼等はペケルマンに逆らえる訳もないので
自らの理想に沿ったチーム強化が可能となる。
こうして熟成の時を迎えたアルゼンチンは
ロナウド(一応インテル)に頼り過ぎて育成強化を疎かにした
ブラジルを出し抜いて南米予選を快調に飛ばし、
多分、本大会でも有力な優勝候補として挙げられると思う。
|