『熟成』


紅葉が深まって人々の服装に上着が本格的に必要になった頃、
シュバルツスタジアムでは四年物が芳醇な香りを漂わせていた。
通常ならばピッチとの一体感を疎外させる陸上トラックが
適度な区切りに思える程に沸騰するサポーターの感情。
試行錯誤を経て『ボランティア』の響きが
失礼な程に整然とした動きを見せる運営スタッフ達。
そして一部の首位をキープするクラブチームの責任者らしい
風格が出始めたねずみ男の眼前では
−某監督は『極悪振りが様になってきた』と表現しているが−
環境に相応しいフットボールが展開されている。

第13節、つまり前半戦も折り返しにもなると
疲労も溜まってプレーの質が落ちる物だが、
漆黒のユニフォームを纏う男達の動きは
『プレッシング』の遂行に何等の影響を及ぼしていない。
「『何でも鑑定団』に持ってったら高値がつくな」
その功績は陰の役割に徹するフィジコの真崎にあると知悉していても、
軽口を叩かずにはいられない。
「『良い仕事してまねぇ』とネガネの人に誉められるでしょうね」
阿吽の呼吸で鬼瓦の望む返答を口にしたヴィムの余裕さを
油断と非難する者は皆無だろう。
彼等の眼前では三点目を奪いにレンディルに襲い掛かる
シュバルツの姿が在った。

危険なまでに高まった対立感情が非常識な最終ラインの高さに繋がり、
中盤のスペースを狭めていく。
外せばゴール前での一対一を覚悟しなければならない
危機感はしかし背番号7の集中力を一層に高める。
「囲め!!」
その瞬間、小栗、べっぺ、スキンヘッダーがサンドして、
ボールホルダーの自由を奪い取る。
近頃、その存在感を増し始めている背番号15は
予測通りの逃げの横パスをかっさらうと正確なサイドチェンジを披露する。
「よし、行くか」
10分前に交代した村亀の様子を見た由口は珍しい攻撃参加を始めた。


南欧の太陽による日焼けを遺伝子レベルにまで取り入れた
奔放な14番がサイドへと流れ込み、
その右斜め後方から手堅い15番が進出する。
通常のサイドアタックは例えば右サイドの8番と2番の様に
サイドバックはハーフの外側に回り込む物だが、
シュバルツの左サイドは瞬発力に優れたドリブラーを外側に、
状況判断力に秀でる左サイドバックは内側へと入り込む約束事である。

小栗、徳宮、由口が奏でるダイレクトのパス回しに絡む
羽生とディマーロのフリーランニング。
斜動を基調とした人とボールの動きは
アウェーチームのマーキングを巧みにずらしていく。
「くそっ」
前節のエステーラ戦を収録したビデオで何度も確認したにも関らず、
結果までも再現してしまう既視感に
レンディルのディフェンラインは必要以上に下がってしまう。

「ライン下げんじゃねーよ!!」
監督就任後もテレビ解説者とパイプを確保している
アウェーチームの指揮官がライン際まで猛然と駆け寄る。
しかし彼の副業は
−決して本業を疎かにしている訳ではないのだが−
選手の体調やバイオリズムを微妙に把握しておらず、
試合前に余計な動きを指示したツケがこの場面に現れる。

最前線の点取り屋が空けてくれたスペースに侵入した由口は
トップ脇からのパスをペナルティエリア手前で受ける。
よっと。
俗に言う『置きに行く』感覚で放たれたインサイドのシュートは
程無くクリーンショットの三点目へと変貌する。
一拍の間を措いてはためく髑髏達。
無数の大旗を後押しする感情は爆発ではなく安堵の念が漂う。
よしよし、これでやっと息の根を止めた。
今シーズン二点目を挙げた由口は、
ゴール裏と感覚を共有している事を示す為に
手荒い祝福を振りほどくと彼等の近くにまで駆けよっていった。


由口光夫の右耳に試合終了を告げるホイッスルが響き渡る。
ふう。
対戦相手以上の敵意を剥き出しにする両センターバック。
一向に守備に参加してくれないサイドハーフ。
そして攻め上がりを狙う逆サイドバックへのサイドチェンジ。
左サイドから全体のバランスを見極め、
最善の行動を選択し、そして成功を狙う。
アマだった頃は身体を動かす『楽しい』サッカーは
いまでは頭を使う『愉しい』フットボールへと変貌していた。

前半戦の首位をキープした安堵感が騒然とした舞台裏を包み込んでいる。
小太りの広報担当が小ねずみの様に駆け回り、
漆黒のジャンパーを羽織ったボランティア達が整然と後片付けを始め、
所定の位置で選手達のインタビューが始まる。
そんな光景を心地良い疲労感共に眺めていたねずみ男に
他試合の結果が伝えられる。
「うん」
ふーん、今日は波乱無しか。
まあ、情報が行き渡った現状では支持率が外れるのは難しいだろうけど、
珠には3つか4つほど外れた方が『部外者』としても面白いんだがね。

「お疲れー」
この日はタイミングの良いヘディングと
要領良く誘ったPKに拠って指定席をキープした
小柄な青年が仕事から開放された充実感を漂わせながら
ロッカールームを元気良く立ち去っていく。
「あ、お疲れ」
同期生である由口は気軽に声を掛けるが、
すれ違う刹那に鼻腔が軽やかな匂いを感知する。

「オンナか」
御世辞にも似合わないスーツ姿は羽生自身の所有品である。
「だろうな」
矢野の視線の先には忘れ物らしい浅薄なガイドブックが山積みとなっている。
「相手は誰よ?」
「木田さんの本命だった人らしい」
見ればゲームキャプテンが悪夢を振り払うかの様に
携帯メールの確認に没頭していた。


端正な顔立ちの喉から生み出される
微妙にズレた音程が照明を落した室内を支配している。
順番待ちの女の子達に対して矢野がプレスを仕掛けている様だが、
ピッチ上よりは上手く言ってない様だ。
「ねぇねぇ、今日のゴールって狙って打ったの?」
隣にいた、と言うか狙って座った可愛らしさが抜けない
本命が自分に話し掛ける。

「うーん、まぁ楽な場面だったしね」
うん、ひょっとして脈有り?
「ふーん、私サッカーって全然ワカンナイだけどぉ。
 あのシュートは綺麗だったしぃ、
 会社のテレビの前で『オォッ』って声挙げちゃったよ」
宇和での試合開始時刻が昼間だった場合、
地域の経済活動が停止するの珍しくも何とも無い。

「仲間の御膳立ての上だけどそう言って貰えると嬉しいよ」
しかし下心丸だしの謙遜はあっさりと却下された。
「でもさぁやっぱさぁ、シュバルツって羽生君と木田さんのチームだよね。
 あの二人ってぇ、いっつも雑誌や新聞に記事が載ってんじゃん」
「ま、まぁね」
何だ、また何時もの展開か。こっちは中々思い通りにはいかないなぁ。

「何かぁ、あの二人が活躍するとすっごく盛り上がるじゃん。
 由口さんの得点の時ってぇ、結構間が空いてたじゃん」
「それは多分、速報の結果を気にしてたからじゃないの」
胸中に広がる敗北感を打ち消すべく、左サイドバックはマイクを握る。
「あし〜たがある。あし〜たがある。あし〜たがあるんだよぉ〜」
こちらも音程が合っていなかったが、
根っ子の心情だけは見事なハーモニーを奏でていた。


 

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