『準備と訓練』


首脳二人が方針を確認していた頃、
彼等の構想を裏で支えるべき人物は算盤の音を執務室に弾かせていた。
「全く、なんて物量なんだ」
仕寄りに使う大竹、井楼を組むのに欠かせない木材・屏風盾・縄・・・・・
「こんな物量、北管家の時でも扱わなかったのに」
既に愛用の奴だけでは処理しきれずに新たに買い求めた
木の香の高い新品を机の隣に並べ、対応する用紙を下に挟んでいる。
「あの人は俺を殺す気か」
平九郎に取って修一郎と言う上司は
歴史の表舞台に出してくれた恩人であると同時に
終生に渡り過酷なまでの仕事を有無を言わさずに押しつける
鬼の様な男でもあった。

「只今、罷り越しました」
二回程自ら張り替えた不恰好な障子の外から声がした。
「おお、待ちかねたぞ。入れ、入れ」
平九郎は地獄で仏に出会う思いで助っ人を呼び寄せた。
「このままでは『参事』」としての職務に支障が出る」
と修一郎に泣きを入れ、心得のある者を手配して貰ったのである。
「では早速だがそちらにある書類の検算を頼むぞ」
そう言うと平九郎は再び数字の世界に没頭した。

それから二刻程、参事の部屋に算盤の交響曲が鳴り響いた。
言葉を発する者はいない。
誰もがその物量の凄さに圧倒されていた。
開発が行き届いた感のある関中では点在する村々が
そのまま補給拠点として機能するが、
未開発の地である河南は洋駿や博方の様な町以外には
殆ど人気のないただっ広い平原が広がるだけだった。
従って軍事活動を行う際には期間に関らず、
自前の軍事拠点を作る必要があった。

「ふぅー」
ようやく一通りの計算を終えた平九郎が一息入れる。
回りを見渡すとまだ半分の量も終わっていない。
参事の頭に『部下の育成』と言う頭痛の種が芽生えた瞬間だった。



部下の育成に頭を悩ましているのは平九郎だけでなく、
実戦部隊の指揮官である原権八・深部弥四郎・北宇智平左衛門光勝の
三名も同様だった。
数的には五倍に増えたとはいえ、
玄武隊以来の気心の通じ合う連中と関中諸州から姫島に集まり、
そのきつい訛りと識字率の低さから意思の疎通にに欠く新参の連中とでは
比較にもならない程に軍事訓練の習熟度に開きがあった。

「右!左!右!左!右!左!右!左」
権八の怒声が砂煙の舞う訓練場に響き渡る。
「お前等、今日は行進をきちんと覚えんと夕飯抜きじゃー!!」
ここで権八の言う『行進』とはただ単に
祭りの様に並んで歩くだけの意味ではない。
前後左右どこから襲われても援護が来るまでの間、
戦闘に持ち応えるだけの防御陣形を組めるだけの即応性を持つ
『軍隊』としての行進である。
二ヶ月程前に集まった当初は一列に並ぶ事さえ出来なかった事を考えると
『日進月歩』と称される程に急速に進歩していると言えるのだが、
少数による不正規戦(ゲリラ戦)を仕掛ける事で生き延びてきた
権八達からすれば隙だらけの行進だった。

「ほれ、そこの青い腹巻を巻いた若いの。なんじゃー、その歩き方は。
 もっとしっかり胸を張って行進せんかー!!」
「こりゃ、そこの左から3番目の片目。何じゃーその長槍の持ち方は。
 汝は朝の訓練で居眠りでもしとったんかー」
容赦なく声が飛び交い、補助についている古参達が
蹴りと拳骨を食らわしながら必死に修正する。
そう言えば行進している連中はどこかしら青痣の痕がある。
彼等の腹中には憤怒の念が無い訳でもないが、
恐るべき怪力と卓越した戦闘能力を所有する巨漢に対しては
恐怖の感情が上回っている。
「しっかりせんといつまで立っても殴られるだけじゃ、
 悔しければ早よう覚えよ」
権八の声に僅かながらに焦慮の念が浮かび上がる。
『黒一天』の初のお披露目は間近に迫っていた。


整然と列を構えた一列目が弥四郎の号令を待ち構えている。
「赤、赤、赤!!」
怒号と同時に旗手達が一斉射撃を意味する色の旗を振り始める。
耳をつんざくような轟音と視界が見えなくなる白い煙が辺りを覆う。
「赤、緑、青、緑!!」
肥満体は一列目の交代と二列目の前後の交代を告げる。
補助の手を借りて手桶で銃身を冷やした一列目が下がると、
狙いをつけた二列目が前に移動する。
さらにその護衛として自らの背丈を遥かに上回る長槍を持った
護衛兵が前方の胡乱者達を威嚇する。

『銃剣』と言う発想が創作者の頭に思い浮かぶのには
まだ一世紀以上の歳月が必要だったこの時代の宗洋島では
鉄砲兵達を守る長槍隊の存在が必要不可欠だった。
先制攻撃を仕掛け、二度目の攻撃準備を整えたにも関らず
指揮官の弥四郎には重圧が圧し掛かる。
−焦っちゃならんわい。女子を扱う時と同様にな−
郊外での訓練から遭遇した大零山の息の懸かった連中との
戦いは生き残れば良い経験となる筈だった。

普段は見慣れぬ摩訶不思議な道具の攻撃に恐れのいてた
大零山の連中も轟音の割には死傷者が少ない事に
生気を取り戻して再び前へと押し出す。
産業革命を経ていない段階で製作された鉄砲の射撃では殺傷能力は高くない。
偶然、その威力を目の当たりにした修一郎以外の武人達が
このやたらと値の張る飛び道具に目を向けなかったのも
一面では道理であった。

「落ち着け。あいつ等はまだ逃げ腰じゃ。
 普段の手筈通りに進めればよいのじゃ」
弥四郎は自身の震えを隠して部下を叱咤すると同時に相手を観察もしている。
−どうやら余りやる気はなさそうじゃ。
 これなら横から突けば一息じゃな−
彼は側面に展開させている別働隊との挟撃地点を頭の中に描き出していた。



三田衆はそれぞれが得意とする剣の構えでじりっ、じりっと近付いていく。
不精髭と黒ずんだ皮膚が野獣の様な雰囲気を醸し出している
大零山に盤踞している連中は血走った目で前方を見据えている。
「あいつ等は鳥脅ししか使えぬ臆病者揃いよ」
自身の恐怖を打ち消す為に一同の頭目格らしき男が声を上げるが、
語尾の震えは一同の雰囲気を安心とは逆の方向へと導いていた。

そろそろ駆け出して一気に切り込もうか、と一同が考えたその刹那、
右側面から銃声が響き渡る。
射手の数は少ないものの今度は狙いが正確で数十名単位の死傷者が誕生した。
彼等は未熟さを量で補う弥四郎指揮下の燧石銃の集団とは異なり、
旧式ながら火縄銃を自分の手足の様に使いこなし、
『一人一殺』を心掛けた『狙撃兵』の原型とも言える一団だった。

「落ち着け!」
頭目格の男が声を張り上げるが恐慌が一団の雰囲気を支配し始めた。
元々関中からの落ち武者が主軸なだけに粘り腰などはない。
さらに付け加えれば頭目格との男にした所で
単に山に篭っている期間が長いだけでそう目されているに過ぎない。
沈みゆく夕日の最後の光が差し込み、
枯れた草木が広がる平原に怒号が虚しく響いた。

「ぐぷぷぷっ」
味方の優勢を革新した弥四郎から気色悪い笑い声が漏れる。
彼自身は気付いていないが、
配下の者達はこの声を聞くと不思議に落ち着いて事態に対処できた。
短身にして肥満体、大食・大酒・好色を一心に兼ね、
先日の会合では一人で数人分の酒食を消費して挙句に
接待相手の黄海社中の手代が惚れていた女中をも寝取ってしまい、
後日に修一郎から『お前にゃ我慢と言う言葉はないんか』と
さんざんに油を絞られただらしない男である。
しかしながら言葉では説明出来ない愛嬌を持つこの男は、
単純に個人としての人気ならば修一郎のそれを凌いですらいた。
−これにて目処はついただわさ−
弥四郎は舌なめずりをしながら勝利を確信した。


 

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