樹州の西北部に位置する知名郡は
久しく経験する事のなかった緊張と活気が生み出されている。
その中心となるのが、関中の影響が見受けられる屋敷の大広間に陣取る
五十代半ばの厳しい白髭が良く似合う壮年の男性だった。
「郷士風情が図に乗りおってからに。流民共を寄せ集めた手勢で
我等に戦を仕掛けるなど増長慢にも程があるわ」
由緒有る武家の傍流である自負は出陣前の景気付けに用意した
濁酒で必要以上に昂ぶっている。
そんな彼の前にいささか潮流に遅れた意匠ながらも
華麗な鎧に身を固めた郎党の一人が注進を行う。
「旦那様、黒一天の手勢はこの屋敷より二里(8キロ)程手前の
桃原に陣取っているる様子の由でございます」
「うむ、大儀」
修一郎の最後通告的な関所破壊と差し出し令を
『不埒千万なり!!』との大喝と共に退けた安堂勢を救うべく
軍を発した羽戸川家の重鎮であり宿将でもある井上陽太郎久直は鷹揚に頷く。
「して安堂殿が様子は」
此度の戦役の発端となった方脇郡、否樹州西北部最大の豪族の消息を尋ねる。
「既に安堂様も出立され、明後日には着陣との由にございます」
「うむ、羽戸川と安堂殿の連合ならば
流民の群れ等を打ち破るのも造作もない事だかのう」
騎士階級に属する手勢が集っただけで勝利は間違いなしと考える
精神構造はこの時代の社会通念に沿ったごく標準的な思考である。
「されど、黒一天は王太子殿下と高幡様のお墨付きならば
余り深入りすれば・・・・」
幕下に控える騎馬武者の一人が胸中の不安を言語化する。
「その事ならば大事ない。如何なる手品を使ったのかは知らぬが
おおかた汚わらしい黄白でもばら撒いたのであろう。
左様なお墨付きなぞ、敗戦に終われば御両所とも反故にされるわ」
宿将の豪放磊落を装う笑い声が続き、彼に追従する笑い声が広間にこだまする。
「さて、安堂殿が来られるまではまだ刻もある故皆くつろげ」
そんな彼等が庭先であくせく働く風を装う中間達が
自分達に冷たい視線を送っている事に気付く訳もなかった。
方脇郡から久喜郡へと向かう街道には色鮮やかな手勢が
あたかも閲兵式に出向くかの様な風情で悠然と闊歩している。
派手な原色系統をふんだんに使用し、所々に金の装飾を填め込んだ
鎧兜はさながら絵巻物語の様である。
「ふー、暑いのぅ」
馬上で揺られる少壮の武者が団扇で涼を求める。
「致し方ございますまい。何分この時候しか兵が集らない故に」
最初から兵農分離だった黒一天とは違って騎士達の兵達の大半が
荘園内でこき使う農奴か細々と生計を立てる小作民のどちらかであり、
半年程前の『自尊心を著しく傷つけられた』郷士風情の要求に
応ぜざるを得なかったのも動員の見込みが立たなかったからである。
「ふん、まったくあの流民どもが端迷惑な連中じゃ。
平和だったこの地にいらぬ騒動を持ち込みよってからに。
なかんずく昔の権利まで持ち出してくるとは」
元々の領主だった高幡家の代官達を追い出して
不法占拠を行っているのは彼等安堂家なのだが、
そういった不利な要素は考慮しない。
「その通りでござる。皆で仲良くようしているのに
全く持って不埒千万な奴等でござる」
護衛隊長格の男かせ相槌を打つ。
勿論『皆』と言うのは士大夫階級に属する人間だけの話である。
「したが奴等の悪運もここまでよ。策を弄する隠れ家もない
平場の合戦ならば我等騎士達の技量の前に敵う訳がないわ」
彼等に取って戦争とは一対一の技量の集計に他ならず、
そうなれば当然武芸に長けた自分達の勝利は固いと信じている。
「さればあの郷士共は如何なさいますか」
取らぬ狸の皮算用が始まる。
「知れた事。八つ裂きにして西管家に送り付けるだけよ。
いや、生け捕らえて噂に聞く美貌の奥方に選ばせても良い」
「何をでござる」
ある答を予想した護衛隊長の頬が卑猥に緩む。
「知れた事よ。『貴女の体で夫君を助けられては』と」
安堂家当主と護衛隊長の助平な心情を含んだ笑声が
絞めっぽさと爽やかさを共有する草原に響き渡る。
そして後に訪れる彼等の運命はこの猥雑な会話によって決定づけられた。
地味な意匠の陣羽織を羽織った猫背の青年が毛並みも体格も
上品とは言えない小型馬の背に乗せらて、初夏の日差しを浴びている。
武芸のみならず馬術も下手だった黒一天軍団長に取っては
『俺の意向を素直に聞いて黙っていても思う方向に進んでくれる馬』
こそが意中に適う馬である。
従って脚こそ駄馬並に遅かったものの利口で彼の意向に良く応える
『駆』は自然と本間修一郎龍長の愛馬の地位を確立、
その短足寸胴な姿は絵画と史書を通じて現在にも伝わっている。
そんな修一郎の元に鮮やかな馬術で近付いたのは
軍団長直轄である物見組からの報告を纏めた筆頭参軍使・豊五であった。
「軍団長殿、現在の両勢の位置と近況報告です」
声色に自分の予想を当てた優越感が感じられるが
その腐臭は修一郎には反感よりも取っ組み合い寸前の
険悪な雰囲気が流れた先日の軍議の後半を思い出させる。
「ああ、御苦労」
こういう時『特徴のない顔立ち』は内面に渦巻く
思惑を隠し立てる有効な防御壁となり得る。
「温い下拵えやな」
双方とも一騎打ちに拠る勝利を想定しているせいか
事前に有利な場所を占めようとする発想もなく、
五分の地勢で戦う事があたかも不可侵の誓約であるかの様に
のんびりとした準備作業である。
「このままやったら安堂が先やな」
これは進軍中の方が打たれ弱いと言う見解に拠るものであり、
豊五が意図的に隠した卑猥な会話とは無関係である。
「では弥四郎殿には緑のニ番と言う事で宜しいですかな」
玄武隊の頃とは比較にならない程に行動半径が広がり、
意志の疎通が難しくなった黒一天では
いくつかの行動法則に色彩と番号を割り振って
その範囲内で責任者の裁量に委ねる方式をこの戦い採用した。
「そやな、平左には赤の一番、権八には青の四番で」
新たな意志伝達創始者に行動開始を告げる。
「はっ」
作戦面の構築を任されている
豊五は賢しらな額を下げるとその場を去って行く。
さて、どないやる事やろか
砦攻めるとのと違うて、野面の戦いは計算出来へん所も多いからな。
体内から水分を吸い取る初夏の太陽が緩やかに西方へと移動しつつある頃、
修一郎の意志を護持する使番の一団が二番頭の手元へと届く。
「擂り鉢が図に乗ってからに」
ウマの合わない参軍使の花押を認めた弥四郎は
あの賢しらな横顔と知性と自慢が混ざった光芒を発していいる
前頭部を思い出して唾を吐き捨てる。
「されど頭ぁ、軍団長殿の花押もありますぜ」
先日の幕間の一件を密かに耳打ちされた副将が万一の危険性を慮る。
「わかっとる。命令には従うから心配せんでもええ」
弥四郎は眼前の敵以上の闘志を参軍使に振り向けた。
「承知」
一番頭は本陣からの使い番に手短に答える。
「どうにも味気のない伝言ですな」
玄武以来の古参の一人が機能化を推し進める黒一天に対する
士大夫の心情を代弁する。
「仕方あるまい。異形の武力集団に古き良き美風が入り込む余地はない」
平左としては古参の心情に同意したいが立場上、その振る舞いは許されない。
「和七郎。我等は調略の的だと言う事を失念するでない」
黒一天において数少ない士大夫の出である古参に注意を促す。
「・・・はっ。されど相手があの筆頭参軍使なら良うござるのに」
「・・・その時は弥四郎に助けを求めよ。伍を率いて助太刀するぞ」
過激な発言だが訂正するつもりはない。
例え、理性があの様な立場の者を必要としている事を承知していても。
「確かに拝命したと伝えとけ」
使い番への返事を光太郎に申しつけると同時に待機の陣形から
行進のそれへの変更を指示した三番頭は外見に似合わぬ沈思黙考の海に沈む。
−頭の回転は鋭く、良く軍団長殿を助けているがどうも好かぬ。
当人は気付かぬか、或いはその振りを装っているのか知らぬが
奴の言動は自慢の一点に染まり切っておる。参軍使に止まる間はともかく、
恵有様の様な立場にでもなれば黒一天は身内の火種を消すのに大変じゃぞ−
見かけとは裏腹に頭の回る巨漢は目前の戦よりも密かに芽生えつつある
黒一天首脳部の内部対立に気が回っている。
そんな権八の意識を現実の陸に引き戻したのは物見の口頭報告である。
「半里前方の物見より双竜の軍旗が確認との由!」
心配は勝ってからの話じゃ。今は只この六角棒に己の命運を委ねるのみ。
権八は愛用の得物を頭上に掲げると大声で命ずる。
「伏せよ!!」
三番頭は地鳴りの如き低音で戦闘開始を告げた。
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