『科挙』
一昔前、学歴に対するブランドが光り輝いていた 日本では受験熱の異常なまでの昂ぶりを招き、 『戦争』と形容される光景がテレビや雑誌の格好の素材となっていた。 尤も現在では長引く不況(最早、嘗てのバブルは望めない)によって 最終ゴールである大企業の永続性が揺らぎ始め、 同時に少子化によって相対的に倍率が低くなった昨今では 一時程の熱が収まりつつある様である。 (それでも私も経験した『浪人』は出現するが) では歴史を眺めた時にあの時以上に『受験熱』に人々が燃えた時期、 叉は立身出世を夢見させる様な受験システムは存在したのだろうか? 官吏の権威が隣の島国以上に高く、 且つ知識人が官を通じて民を教導すべしと言う気風が満ちていた 中国では古代の秦や前漢の頃より官吏登用システムの拡充が図られていた。 尤も地域に根付く農村共同体が機能していた頃は ごく原始的な目利きによる『推薦』システムが機能していたのだが、 貨幣経済の発達にな伴う貧富の拡大によって 『豪族』が誕生すると彼等の権威維持の手段としか機能しなくなる。 そんな弊害を打破しようと宦官の家柄である 曹氏が支配する魏が創始した九品中正制度も 結局の所は『名門』の代弁者である司馬氏によって骨抜きとされてしまう。 その後、八王の乱を経て南北朝の時代に突入すると 亡命豪族達が貴族化して独特の文化が栄えた南とは対照的に 異民族の侵入による戦乱で『古き良き』秩序が崩壊した 北では人事システムの再編が要求された。 当初は征服者である騎馬民族が 自分達の社会システムをそのまま取り入れていたものの、 荒廃した中原の諸産業の生産力を回復する為には (この時代は農業がメインなのだが) やはり地域に根付く漢人の協力は必要不可欠である事が判明する。 そこで最終的に北を制した隋はある独特の官吏登用システムを考案する。 誕生以降、一千年以上に渡って中華の地を支配した 苛烈な受験システム『科挙』の誕生である。
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