耳元で夢想から現実世界へ呼び込む目覚ましが鳴っている。
うるせぇなあ、正月なのに。
少年は意識下で考えながらも習性でベルをを押す。
ああ、やっと静かになったけど同時に眠気も覚めた。
しょうがない、起きるか。
小野寺勘三郎はのろのろとベッドから這い出る。
今年二度目の朝は既に8時を回っていた。
「ふぁ〜」
欠伸を連発しながら心地良くない現実が待つ一階への階段を降りる。
「今日は何食おうかな」
ひとりごちながら、冷蔵庫の余り物を適当に見繕う。
両親が『きょうぎりこん』とやらに入ってる家の食卓に
おせち料理や家族の団欒がある訳もなく、
この日もそれぞれが一人息子を放ったらかして
愛人なり恋人の元へと出向いていた。
「さっさと別れれば良いのに」
感情ではとっくに切れている筈の
両名の法的処理が進まないのは自分の親権に関する事だと
−愛情ではなく、世間体である−
小学生では思い浮かぶ訳もない。
「よっこいしょっと」
椅子を使いながら、必要な調理用具を取り出すと
『体育以外で初めて5を取った』腕を揮う。
「こんなもんかな」
上手に焼けた目玉焼きをメインに新鮮な野菜サラダを添えると、
解凍して焼き上げた食パンと共に居間へと移る。
「昨日の続き見ようっと」
勘三郎以外は使わないビデオテープには抽選に外れて行けなかった
新年杯決勝の模様が鮮やかに録画されている。
「あっ凛の奴、テレビに映ってやがる」
延長にまで入った昨日は興奮して気にならなかったが、
「悪いな」と心にもない詫びの台詞を残して観戦ツアーに参加した
悪友は涙と鼻水を垂らしてVゴール負けを悔しがっている。
「馬鹿野郎・・・・・」
俺の不幸に比べたら、お前の悲しみなんぞ蚊に差された様なもんじゃねぇか。
「糞っ」
羽生さんの鮮やかな同点ゴールを見るつもりだったけど気が滅入った。
「ボールと遊ぼうっと」
勘三郎は玄関に置いてあるボールと共に陰鬱な家を飛び出した。
水面下で動く四国国際空港再開発の話が関係者以外に洩れていない
−洩れても誰も信用しないだろうが−
この街は現在の所は『新興のフットボール都市』に過ぎない。
そんな訳で昨日の敗戦は町全体の空気を鬱色に染め上げ、
同時に信心の欠片もないクリスマス以来の疲れが吹き出た住民達は
家で面白くも何ともない『特番』をダラダラと見入っている。
春には中学生となる事が信じられない程の高い背丈の少年は
鬱陶しい空気が覆う街中を潜り抜けると、
頭・肩・膝・かかとを上手に使ってボールと共に神社への階段を登っていく。
ボールの芯だけを正確にミートする技術。
足元が不安定でも一向にブレない身体のバランス。
まるでボールと対話しているかの様に吸い付くボールタッチ。
得点感覚が唯一最大の売りである彼のアイドルには
どうやっても真似できない図柄は
シュバルツの下部組織で名を馳せている『天才少年』に相応しかった。
「よいしょっと」
最後の階を登り切ると勘三郎は一定の間隔で並び立つ
並木の間をドリブルですり抜ける。
左右全く変わらないボールコントロールと重心の動かし方に拠って
−これも誰に教わるでもない天賦の才である−
スピードと進路を自由自在に変化出来るドリブルは
既に同世代では誰も止められない。
それ所か飛び級で呼ばれた中学生クラスのミニゲームにおいてさえ、
キーパーも含めた五人抜きを決めた程である。
最後の並木を越えると賽銭箱が目に写るが
勿論、勘三郎はそんな物には興味がない。
彼の目当ては神主の目を盗んで壁に書いたゴール枠である。
「よっ・・・・と」
昨日、羽生がナショナルスタジアムで見せたコントロールショットを
真似たつもりだったが、結果は赤い太枠の外だった。
「ちぇー」
なんであんなに冷静に決められるんだろう。
勘三郎は異能のゴールゲッターへの憧れを一層深めた頃、
背中から人の気配と話し声を感じた。
「誰だ」
少年はその方向へと注意を向けた。
勘三郎が目にしたのは一組の家族だった。
善良そうな父親と性格の良さが滲み出ている母親。
高校生位の男の子も大人しげで手がかからない印象を与える。
だが、勘三郎が注視したのは晴れ着を着ている女の子だった。
「響子ちゃん・・・・」
寝ても醒めても美少女の名前を口走る凛に比べたら
思慕の情は薄かったものの、その存在は気にならない訳がない。
「いいなぁ」
家族団欒と言う穏やかで暖かい雰囲気を発している様子に出くわすのは
ささくれた感情のみが支配する家にいる身としては辛い。
「あっち行こうっと」
盗み見している罪悪感と相俟って、
打ちひしがれた気分になった勘三郎は裏手の林に抜け出ようとした。
その瞬間、勘三郎の足元で小枝が乾いた音を発する。
「あっ」
通常なら気にならない程度の音量だが、
人気の無い神社では無病息災を願う家族の注意を引くには充分だった。
「小野寺君!」
今現在は同級生ではないものの、
ずば抜けた運動神経が学校中に知れ渡っている勘三郎とは顔見知りで
何度か喋った事もある間柄でもある。
「や・やぁ」
ぎこちない挨拶を交わしながら、
早くも逃げ腰風情の少年の足を止めたのは後ろからの母親だった。
「あら、あなたが小野寺勘三郎君?
始めまして。いつも響子がお世話になっています」
へっ?俺、何もしてないよ。
「この娘ってば何時も勘三郎君の事を・・・」
「お・お母さん!」
顔を真っ赤にした響子が懸命に口止めしようとする。
・・・・え゛っ、マヂ。
うんまい、うんまい。あっ、この昆布巻きを中々。
健全な食欲の持ち主は箸と口の動きを休めるつもりは全くない。
「たくさん食べてね。家は皆食べない方だから」
「はぁーい」
年末から愛情の欠片もない料理ばかり食べてきた少年は
−殆どが自分で作った物である−
遠慮等する素振りさえせず、おせち料理を食している。
「響子ちゃん家のお母さん、料理上手だね。家のお袋よりもおいしいや」
本当はとっくの昔にそんな味は忘れ去っているのだが、
招待先の雰囲気を壊す無粋な真似はしない。
「そう?でもその煮物は私も手伝ったんだけどな」
ちょっとむくれているのは招待主である。
「あ、いや、えーと、うん、このごぼうも味が染みて本当っにおいしいよ」
「それはお母さんの。私のはこっち」
差し出された椎茸を口にした瞬間、感三郎は異質な味覚を受け取った。
「あ、あはは、き、響子ちゃんのもおいしいや。いや、ホント
凛の奴が聞いたら鼻水垂らして悔しがる出来映えだよ、きっと」
顔が強張り、額からの冷や汗を自覚しつつも口から出任せで何とか取り繕う。
その場凌ぎはやがてブーメランとなって跳ね返ってくるのだが、
今の勘三郎にそれを知る術はない。
「本当、よかったぁ。何故かおうちの人は食べたがらないんだけど、
やっぱりみんな味の感覚がズレているのかなぁ。
私、二学期の家庭は4だったからそんなに悪くはないと思うんだけどなぁ」
自分と違って品行方正な美少女が裁縫や洗濯等での悪評が聞こえない以上、
家庭の先生もまともな味覚の持ち主だったらしい。
「ま、まあその話は体育以外はすっからかんの俺、い・いや僕には
縁がないからその辺にしとこうよ」
これ以上この話題に触れるのまずい。
そう考えての逃げ発言は美少女の思いも掛けない台詞を誘導した。
「何か自慢しいる様でごめんね。
春からは一緒の学校に行けないからつい・・・」
「へっ」
「私ね。お父さんの転勤で春から東京に行くの」
瞬間、勘三郎の脳裏に悪友の泣き顔が思い浮かんだ。
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