『官渡』
『三国志』におけるクライマックスと言えば『赤壁』の文字を 思い浮かべる人が多いと思う。 天下統一に燃える曹操が率いる100万の大軍を 戦う態勢を整えた孔明と実戦指揮を取った周愉が知略で逆転勝利を収める。 現在でもしばしば読み物として登場する名高い会戦だが、 では実際の所、この戦いは天下の行方を左右する程の会戦だったのだろうか? この地点で曹操は当時の先進地帯である中原をほぼ完全に制圧していた。 日本で言えば賤ヶ岳合戦に勝利して畿内・北陸・中国地方東部を 掌握していた秀吉と言った所だろうか。 対して孫権は当時は『辺境』と言う表現が良く似合う江東の地を ある程度支配下に置いていたに過ぎず、 しばしば起こる少数異民族の反乱や世兵制に象徴される部下への 影響力の少なさからその支配力は必ずしも磐石ではなかった。 例えるならば四国一島でさえ掌握し切れなかった長宗我部と言った所か。 (世兵制とは部下が指揮する兵は孫家の兵でなく、その部下個人が兵士を 所有する軍事制度で孫権は部下の兵士に直接命令する事は出来なかった) 勿論、各地を傭兵隊長としてほっつき歩いて、 この地点では政治亡命を余儀なくされていた劉備は対象にもならない。 確かに赤壁によって天下統一が遅れたのは事実だろう。 しかしその後も曹操は敗戦後も時代の主導権を握り続け、 孫権(呉)と劉備(蜀)は曹操(魏)動き次第での対応を余儀なくされ、 自らが積極的に天下の主導権を握ろうとする動きは見られない。 (孔明の北伐は堅実そのもので乾坤一擲の勝負に賭ける雰囲気はない) この辺りは『天下三分』と言う言葉が一人歩きしている気がする。 ではこの時代で『関ヶ原』の様なの乗るか反るかの大一番は無かったのか。 当時の経済情勢から考えると中原の支配を賭けた戦いしか該当しないと思う。 となると、赤壁の八年前に行われた『官渡』が該当するのではないか。 『演義』では悪役と脇役と戦いであった為に小さく扱われているが、 この戦いこそ後漢崩壊後の中国の行方を左右する 大一番ではなかったのだろうか? 事実上、漢帝国の命脈を断ち切った『黄巾の乱』から二十年後、
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