『官と民


「この茶は羽戸川から仕入れたものですかな」
引き下がろうとする女性に修一郎が尋ねた。
「いえ、黄海社中からの品でございます」
「?」初耳の名称に不思議そうな表情を浮かべる修一郎に彼女が説明する。
「なんでも『経世済民』を旗頭に黄海を隔てた泰州から格安で仕入れた物品を
 河南の各地を対象に手広く商いしている方々の『屋号』でございます」
この地点では『会社』なる名称はまだ産声すらあげていない。

「当然、そいつらは羽戸川や小室からは好かれていないでしょうな」
「はい、昨今では頭領格の者に両家が多額の懸賞金まで賭けて
 摘発に乗り出しているとの事です」
「しかし民衆の密かな支持を受けている彼等は未だに悠々と
 商いに精を出している。と言う所ですかな」
「はい」
彼女が微笑みながら頷くと次第と参事の再登場を告げる足音が響き始めた。
「それではこれで」
彼女は一礼して修一郎の元を去った。
「お待たせ致しました」

参事は黄ばんだ紙束を抱え込んで修一郎の前に現れた。
「これが小生が当地へ赴任した後の財務内容でございます」
予め伝令で用意を命じて置いた資料は几帳面な性格を伺わせる細かい文字と
正確な計算によって弾き出された収支の報告書だった。
「ふむ」
脂肪をたっぷりと全身に身に纏っている暑苦しい中年男は驚くべき事に
姫島でさえ恋人兼出資者の様な大商いの者にしか伝わっていない
『仕分』−我々の世界では『簿記』の名称を与えられている−と称される
金銭管理の術を取得している様子だった。
「算盤はここに持ってきているかな」
複雑な計算が必要なこの術は暁徳自治領経由で伝わった
摩訶不思議な道具が必須である。
「こちらに」
愛用している事が想像出来る黒光りした道具を参事は差し出した。


ややぎごちない手付きで算盤を弾きながら
修一郎は痩せ田からの収穫、まばらな商工業者からの税収、
そして届いたためしのない上納金等の各項目の検算を行う。
−完璧や−
寸毫の狂いも無い計算に樹州知事は舌を巻いた。
同時にこれ程の男が何故この様な僻地に流されているのか不思議に感じた。

「参事は仕分をどこで取得されたのかな」
口に出した後、初対面の人間に対しては深入りが過ぎる質問だと思ったが
参事は淡々と自らの過去を一部だけ上司に伝えた。
「小生は元は江北管領・洛安大使館で勝手掛を受け持っておりました故、
 その際に耳学問で・・・・」
仕分は『耳学問』で覚えられるものではないので
恐らくは王都に在住する商人から手ほどきでも受けたのだろう。
「そうか、いや由なき事を聞いてしまった。忘れてくれ」
宗教絡みの農民反乱が契機で領内の支配力を喪失して王都への亡命を
余儀なくされた北菅家の経緯については尋ねる必要もなければ
その巻き添えを食って失職した彼の艱難辛苦について問い合わせるのは
礼に反する行為だろう。

「ところで先程の女性から耳にしたのだが河南では
 『黄海社中』なる商人達が民衆達との結び付きが深いと聞いたのだが」
「家内のお喋りが過ぎたようですな」
「おや、違ったかな」
「いや、実は民衆のみならずここの日用品も社中から仕入れております。
 何分、御館様からの上納の催促が・・・・」
参事が言葉を濁した部分の対象は『御館様』ではなく『勘定奉行』なのだが
修一郎は彼の誤解については修正する必要はないと感じた。
上納金がくすねられている事など現地点ではさしたる重要性はないのだから。

「と、言う事は彼等との接触はそんなに難しくはない言う事か」
「はい。半月に一度は御用聞きがこちらに伺いますので」
「では彼等の首領と会合を持ちたい」
「?」
「我等の第一目標は大零山とやらに篭っている負け犬共だ」
瞬間、参事の顔が蒼白になるが修一郎は構わず続ける。
「奴等を叩き出すには多くの情報を握っているであろう
 社中との提携が重要なのさ」
情報の重要性は冷遇された経験則から学んだ事実だった。


「へっ、へっー。ざまぁ見ろってんだ」
面構えと言動に未熟さを残す10代の若者が突き出した尻を叩きながら
対岸で悪鬼の形相で無念と怒りを抑えこんでいる荒くれ者達を罵倒している。
「儂等から荷物を奪おうなんざできっこねぇーんだよ」
「大店に飼われた犬共が。吼えるのは弱虫だけにしとけや」
常日頃の鬱憤を追い掛ける船を持たない荒くれ者達は腹いせに
口に出すのも憚る程の悪口雑言を思い付くままに言い返すが
今回も『座』の取り締まりの網を逃れた連中に取っては
自分達の勝利を祝う心地良い凱歌にしか聞こえなかった。
「もうええきに、その辺にしときや」
形の良い口元に微笑みを浮かべつつ圧倒的な自信を高い鼻梁に漂わせている
30前後の大男が静かに配下達を諭す。

「へ、へぇ親方」
若者は修一郎達が自分達の主君に対して使う同じ呼称を
微妙に違うアクセントを使って雇い主の諫言に従った。
「儂らがほんまに喜ぶのは商品を捌いて色街に繰り出す時ぜよ」
しょげた若者が発散していた活気を取り戻すべく、敢えて浮いた話を出す。
「おまんが惚れちょるお糸も必ず宴会に呼ぶから楽しみにしちょれ」
「ほ、本当ですか」
喜びの余り若者は目を輝かせた。
「安心せい、この大量の品を発注した洋駿の連中はここん所
 急に金払いが良うなったきに必ず大枚が儂らの所にはいってくるきに」
−そんで儂らも名も上がるきに−
差しつつある光明に男は鼻腔が膨れる癖を抑えられなかった。

「ありゃー、えらい活気が出てきたなぁー」
『黄海社中』と雄渾な墨筆で大書された旗を掲げつつ入港した
洋駿はあちらこちらで改築や新築工事が始まっていた。
「先月、ここに来た木っ端役人はえらく気概があるようじゃの」
大男は意欲的な様子を見せている責任者の仕事振りを評価する。

「確か奴はあの『玄武隊』の隊長だったて話ですぜ」
「ああ、あの面白い戦い方をする奴か」
黄海を行き来する大男は付近に棲息する海賊や『座』との抗争によって
その辺の騎士よりも戦の場数を踏んでおり、
それだけに戦の情報には敏感だった。
「まぁ何しに来たのか知らんが、代金だけは払ってもらわんとな」
男の運命が激変する扉は目の前に迫っていた。


「うむ、確かに全品揃っておる。いつもながらの確かな品揃え見事である」
平九郎は上司の前とは違って尊大そうに発注した品を確認する。
これは参事の性格がその辺の官僚同様に捻じ曲がっているのではなく、
『官尊民卑』の概念がごく自然な物として受け止められていた
時代においては彼の態度はごく普通であり、
寧ろ声を直接言葉を交わしているだけでも進歩的だとさえ言えた。
「毎度のご贔屓ありがとうございます。
 手前共と致しましても今後とも宜しくお願い申し上げます」
腹中の憤怒を抑えつつかの大男は丁寧にお辞儀をする。
−我慢、我慢。ここは金払いがええきに、
 機嫌を損ずれば社中は路頭に迷うんじゃ−
仲間の顔を思い浮かべながら男は耐えた。

「それで支払いの件じゃが」
平九郎は大男の思惑に気付かず話を進めた。
「知事閣下が誼を通じたい故、都合が良ければ一席を設けたいとの事じゃが
 ・・・・・どうかの」
参事自身は気乗りはしていない様子が表情に表れていたが、
上司の意向は無視できない。
「は、はぁ」
唐突の申し込みに大男は戸惑い、咄嗟に返事が思い浮かばない。
「何でも次の商品の発注並びに前払いもとの由故に是非にも、と言う事じゃ」
「ま、前払いでござますか」
大男は上ずった声で樹州知事の気前の良さへの驚きを表現した。
普通は利子のない分割払い、しかも途中で踏み倒される事も少なくない。

「そ、それは誠に在り難い次第でございまする。
 手前共は礼儀も知らぬ不束者が揃っておりますが
 是非にもとのお望みでございますればお席の方を汚しに伺いまする」
「左様か、これで儂も肩の荷が降りた」
上司から『如何なる事が合っても会談を承知させよ』との厳命を受けていた
平九郎はホッとした表情を見せた。
「そうそう、場所はここでと言う事じゃ」
平九郎が手渡した『黄海社中頭領 林田和馬殿』と大男の名が記された
書状の中身は丁寧な挨拶と頭領の配下がご執心の
お糸が勤める料亭が場所に指定されていた。
−面白そうな奴じゃ−
和馬は些細な内情を調べ上げられた恐怖よりも手配りの良さに関心を抱いた。


 

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