暦が十月と十一月の変わり目に入った頃、
温暖な秋の日差しを受けた『黒一天』の旗は翩翻と翻り、
修一郎達は沿道の声援を受けて堂々と姫島から出立した・・・・
と、後世に伝わる絵画には描かれているがこれは明らかな事実誤認である。
事実は修一郎が当時、籍を入れていなかった雪香に対して送った手紙通り、
「草木も眠る丑蜜時に人目を避け、組単位に別れてこっそりと」
夜逃げするがの如き出立だった。
表向きと真の目的の双方を考えれば目立たぬ工夫をするのは当然だが、
通常の軍旅であっても扱いに大差はなかっただろう。
そう断言するのは現存する西管家公式記録での彼等の扱いにある。
『前玄武校尉他不浪人数十名、姫島出立』と簡潔極まりない一言のみが
『厄介者払い』を行った上層部の認識を雄弁に物語っている。
典州から関中へと出向く主要街道から外れ、
脇街道の安州経由で樹州・洋駿へ入る軍旅は農民たちが
まずまずの収穫を祝う秋祭りが所々に見受けられる穏やかなものだった。
通常の行軍は必勝の信念の元に仰々しい鎧を着飾った騎士達が威風堂々と
人目につく華麗な配色の旗差物を靡かせる物々しいものだが、
身に寸鉄を帯びない猫背の青年が差配する平民の旅装とさして変わらない
出で立ちの集団にはそんな張り詰めた空気は一切感じ取れない。
「ふぁ〜」
姫島から出立して1週間が経過してようやく樹州に入るのにも拘わらず
五月蝿い騎士達も不在なら煩わしい諸問題も起きない
修一郎の緊張は下る一方で馬上では欠伸を連発する始末だった。
「ゴホッ、ゴホッ」
さすがに示しがつかないと考えた恵有が傍らから咳で注意を促す。
「あぁ、すまん」
さすがに自覚した修一郎は謝るが表情には今一つの緊張感がない。
「ところで甚助殿、向こうの責任者の反応は?」
尚も修一郎の弛緩した気持ちを現実の難問に引き戻す必要を感じた
僧形の補佐役が散文的な話題を口にする。
「はっ、出来る限り前向きに善処させて頂くとの由です」
意を察した諜報担当は胥吏(下級官吏)出身の上司が反応しやすい
語彙を選んで対応する。
「向こうはやる気がないんかい」
訛りを前面に出した修一郎の顔にいつもの苦みばしった表情が蘇る。
−これで一安心だ。軍団長には悪いけど−
周囲の誰もが無言の内に安堵の息を洩らした。
鮮かな赤と渋さを強調する青を見事に着こなした
六騎一組の物見が悠然と河南の地を闊歩している。
「どうやら襲っては来ないようだな」
一人だけ羽のついた帽子を被っている男が状況を確認する。
「四千なんて大人数を見た事ない連中の当然の対応でしょう」
馬上槍を手にした雄渾な体格の男が相槌を打つ。
「これでは折角大枚をはたいて着飾ったのに意味がありませんな」
「そう言うな。玄武・・・いや黒一天じゃ見栄えの良い服は相手を威圧する
大物見の時だけだからな。敵情探索が仕事の細作とは違ってな」
『馬に乗せられている』修一郎とは異なり、
『人馬一体』と評される馬術を何気に披露しながら平左は配下に指示を出す。
「これから四半里にいる二組と半々ずつ位置を変える。
同時に本陣に半組の使番を出して『敵影なし』と報告せよ」
「はっ」
指示を受けて三騎ずつ二組に分かれた騎兵達が行動を開始する。
−さて、軍団長殿は如何なる手段を考えられるやら−
名ばかりの監軍使はこれから自分達が行う戦に思いを馳せた。
「ほうか、問題なしか」
平左からの報告を受けた修一郎の表情には変化がなかった。
「どうやら取り越し苦労やったようや」
樹州との境目で甚助配下の細作から『三田衆、襲撃の気配有り』との
報告を受けた黒一天の軍団長は素早く行軍隊形を変化させた。
前後には目立つ派手な騎馬の物見を配して敵情の把握に努め、
左右には地味な細作をばら撒いて側面からの攻撃を予防した。
「彼等が役に立った様ですな」
恵有が苦笑混じりに敵襲を未然に防いだ功労者達に視線を振り向ける。
「それにしては給金が高い」
修一郎も釣られて笑みを出す。
「とりあえず権八のお陰でまともな行進だけは出来る様になったが、
実際に戦場ではいの一番に戦列を乱すだろうな」
「我等の手法は他とは異なります故」
「それを向こうの連中が受け入れられるか・・・・・
否、拒否しないかどうかがこれからの仕事の成否を分けそうだな」
二日後に到着が予定されている洋駿の責任者の思考が
柔軟である事を願う修一郎であった。
「何じゃ、この掘っ立て小屋は」
予定通り三日の遅れで当面の本拠地となる洋駿に着いた修一郎が
その貧弱な街並みを見た第一声である。
当時の文化先進地域である姫島の豪壮な建物の群れを見慣れていた
修一郎達に取ってその集まりは『街並み』等と大層な物ではなく
辛うじて雨露が凌げそうな材木をかき集めた
『露店』が軒を連ねているとしか見えなかった。
「でもこんな辺鄙な所にあんな悪趣味な建物が建っていても変やけどな」
未開拓な土地に相応しい荒々しく、且つ開放的な雰囲気は嫌いではなかった。
幼少時を過ごした丹州は『不倫の子』として陰湿な苛めに合った思い出同様に
暗くじめじめとした鉛色の雲が天を覆うかの如き
鬱陶しい雰囲気が全体を包み込む陰気な場所だった。
16の時に一念発起して受験した胥吏の試験を通過して転がり込んだ
伯州・姫島は西国の太陽が明るく照らす華やかな雰囲気が満ちていたが、
儀式や形式を必要以上に重んじる空虚な空気は修一郎の肌に合わなかった。
『ここやったら俺好みの街を作り出せるかもしれんなぁ』
胸中に本来の仕事とかけ離れた想いを抱いていると、
どこからか重量音に満ち溢れた足音が聞こえてくる。
「はぁっ、はぁっ」
騎乗していた修一郎の前に現れたのは日頃の運動不足を想像させる
荒い息と大量の汗を書いた多過ぎる脂肪と薄い頭髪と暑苦しい印象を
全身に刷り込んだ30代後半の冴えない中年男だった。
「樹州知事閣下でいらっしゃいますか」
西管家から任命された大層な職名で修一郎を本人かどうかを尋ねた。
「いかにも。樹州駐屯軍団長本間修一郎龍長だが」
もう一つの職名を口に出して返答する。
「お出迎えが遅れまして申し訳ございません。
小生は稲葉平九郎信盛、当地の参事として諸事を受け持っておりまする」
手拭で汗を拭き取りながら鞠の様な身体を折って深々と頭を下げる。
「出迎えご苦労。当地と姫島は音信疎通故に遅参については咎めない。
それより早速だが官舎に案内してもらおうか」
士大夫にである事を意味する諱を名乗った肥満漢に仕事場への案内を乞うた。
「はっ、こちらでございます」
叱責を免れた事に安堵する暑苦しい男が案内したのは
周囲の風景に良く溶け込んでる寄木細工の様な建物だった。
重圧と酷使への不満を言い立てる木材の軋む音を無視しながら
修一郎は廊下を歩いていく。
彼の前方には先程出会った参事が背中を丸めながら
鈍い音をがに股で響かせながら新たな上司を先導している。
−日がな書類に向かっていると、皆あんな感じになるのかなぁ−
自身も猫背である元下級官吏は参事の背中から
公文書の清書、古文書の整理、目録の編成等の下働きに追われた
十代の日々を思い出していた。
長い廊下を折れ曲がっていく内に修一郎の意識は
過去の記憶から現在の職場にと移っていった。
見た所、塵一つも落ちておらず予備の蝋燭が常に用意されている
整然とした屋敷内の管理振りには修一郎も感心せざるを得ない。
−こいつは見かけと違ってなかなか気の回る男や−
姫島の戦奉行所でさえしばしば不足や不注意を指摘される不手際振りに
閉口していた修一郎は心中で新たな配下となる冴えない中年男を賞賛した。
「知事閣下のお部屋はこちらでございます」
彼が案内されたのは風通りと日差しの良さそうな快適な部屋だった。
「只今、当地の現状を記した資料をお持ちしますのでしばらくお待ち下さい」
平九郎は板張りの室内で一礼すると老巧化している
廊下の木材に盛大な交響音楽を奏でさせながら一旦退出した。
「ええ部屋や」
暗くじめじめとしていた大部屋で胥吏として雑務に追われていた
彼に取っては充分過ぎる程に満足出来る環境だった。
「どっこいしょ」
古畳が敷かれている箇所まで足を進めると
どっかりと腰を下ろしてさして長くない足を伸ばした。
「ええ座り心地や」
これまでの彼の身分では畳に座れるなど考えられるものではなかった。
「失礼致致します」
不意に女性の声がした。恐らくは茶でも持ってきたのだろう。
「あ、ああ」
驚いた修一郎は急いで足を胡座に組み直す。
「粗茶でございます」
中年の女性から出されたのは結構な香りのするお茶だった。
「これはこれは」修一郎は参事の気遣いより、
何故こんな辺鄙な地でこの様な茶の葉が手に入るかの方に関心を抱き始めた。
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