『北と南』


西管家が無謀な戦の順当な大敗に拠って、
領地・生命・金銭のみならず信用までも失った情報が
ようやっと分厚い雪が解け始めた北陸に至るには七日の時間が必要だった。

「緑帽の邪教徒どもは精勤であった様だの」
恵まれた体躯が生み出す個人戦闘力と常勝を貫く
『赤色虎』の自負が見えない威厳となっている
項州藩主の右眼が真っ直ぐに報告者を見つめる。
「はっ。『根賀隊』が手助けした模様で」
嘗て江北の戦場で手合せした長銃を手足の如く操る
強敵達相手に常勝の旗印を死守出来たのは、
真紅の猛者達が命を惜しまぬ物狂いを示した故である。

「彼奴は応分以上の謝礼をふんだくったのであろうな」
「東管家を通じて南部四郡を支配する名目を国王家に奏上したとの由」
「本末転倒の良い所だな」
士農工商の破壊を唱えながらも身分秩序を基とした制度に頼る動きには
永遠の闇に包まれた左眼に江北の支配権を争う相手の狼狽振りを映し出す。
「洛安からによりますと、東管家は思わせ振りな態度に終始して
 根賀隊を引きずり出したとの事」
手短な言葉に膨大な情報を積み込む明晰振りは
樹州知事の芸事祐筆と相通じるものがある。

「うむ」
武辺者である以上に豪雪地帯に埋もれていた
小藩を嘗ての北管家に匹敵する勢威を築き上げた
広い肩と図抜けた長身は直ぐに感情を現実へと引き摺り戻す。
「その辺りの手管は公家被れした西管家には及びもつかぬよな」
「はっ。尤も東管家も主戦派の長谷川家が河南で一敗地に塗れました故、
 此度はこれで良しとの雰囲気が生まれておりまするが」
「河南か」
気候が正反対の南の辺地の名称が出た瞬間、
小島洋九郎宗虎の表情に新たな関心が湧き出した。


「黒一天の輩は『順当に』勝ちを収めた様だな」
この時期、宗洋近代化の扉をこじ開けた異形者達を
正確に分析出来た上で、正当に評価出来た士大夫は
東管家の陪臣西本十兵衛と項州藩主ぐらいだった。
「梅原と申す地で小室の若当主を討ち取ったのみならず、
 関中の勝利に勢いづく群青鮫を野面で打ち払った由」
筆頭重臣たる宇都宮角兵衛正文が経過を端折るのは、
内容が主君が暗記している手順と同様だった故である。

「修一郎殿は単なる『鳥脅し殿』ではなかったと言う事か」
別に差し出されていた詳細な文字の羅列に眼を通した
『独眼虎』はさしたる感慨もなく呟く。
「偶然ではない痕跡もちらほらと」
諜報と防諜の概念が同一視されていたいたこの時代、
如何に甚助と言えども両部門で手練を発揮するのは困難であり、
また直接自分達に関係ない新興勢力が熱い視線を送っているとは
修一郎や恵有でさえ想像の外だった。

「田松の後半は筆頭参軍使の色彩が見受けられましたが、
 粗筋は樹州殿の筆と見て間違い無きかと」
「うむ」
右眼が思案気な色彩を帯び、生返事を返すのは洋九郎が
真紅と漆黒が手合せる想像の世界に身を委ね始めた証しだった。
「鉄砲には俊次を当てて牽制しつつ、三太郎を表に出して圧迫する。
 俺自身は左から旋回して後方ないしは側面を衝く事で・・・・」

言葉となって漏れる夢想は、現実で一旦中断させる。
「東管家は関中派が折れた事で江北派が盛り返すかと」
東管家と山東の間柄は互いに益する所のなかった先年の紛争以来、
共通の利害関係を築こうと努力する間柄となりつつなる。
「となると、またぞろ嶋盾に出張らねばならんな」
江北経営を邪魔立てする競争者の眼が西管家に向かなければ、
赤色虎の軍旗を三度彼の地で翩翻と翻せねばならない。
「まぁ、冬篭りの間に鈍った身体に活を入れると思えばそれも良かろう」

快活な笑いは実績に裏打ちされた自信だった。


北の地で情報分析が進んでいた頃、
南の地では無残な有様を暴露する西管家当主を出迎えていた。
「戦には勝敗が付き物にござりますれば、気落ちなさいませぬ様に」
十日以上も経過したにも関らず尚も茫然自失とした
西管家当主を樹州知事は懸命に慰める。
「うん」
生返事を返す眼は焦点が定まっておらず、
『ふくよか』と言う表現が控え目に過ぎた頬には骨格が浮かんでいる。

「姫島には何時頃、御戻りあそばしましょうや」
博方に居心地の悪さを感じている蘭督衆筆頭が予定を尋ねる。
「余は返りとうない」
「そうは仰られましても、勘定・普請両奉行様も首を長くして
 御館様のお健やかな姿を拝見したいと望んでおりますれば」
実際は大敗で失墜した権威回復の善後策を協議したいのだが、
今の状態ではその類の台詞は禁句である。

「うん、そうじゃ。これよりはここを居場所としようぞ」
仙波家の当主は思い付きで治所の移転を口にする。
尤も自勢力内に主君が現実逃避の場所を選んでくれた
在り難い名誉は修一郎を困惑させる。
「かような寂れた地は御館様の居場所にふさわしゅうはございませぬ。
 やはり御館様には姫島にしっかと腰を落ち着けられまして、
 我等を督戦なさいます様に」
「樹州知事殿の仰る通りです。
 やはり西管家の当主は姫島にあってこそ映えると言う物」
利害の一致した公事奉行は修一郎の意向に賛同する。

「余は隠居する。うん、隠居する。これならば問題あるまい」
叉も飛び出した問題発言は公事奉行の度肝を抜いた。
「な、何を仰せられまする。御長男の邦四郎様は未だに四つの幼子ですぞ」
複数存在する赤子の存在を考えれば、
現地点の責任放棄が後継者争いの暴発を招くのは避けられない。

「とにかく、今一度御身を休めましょうぞ。話はそれからと言う事で」
見かねた修一郎の助け船は事態をひとまず先送りした。


身分の上では直接の主君に当たる男を慰めたからと言って、
樹州知事並びに黒一天軍団長としての仕事が減ると言う訳ではない。
博方に駐屯している西管家の敗残兵達が繰り広げる大小様々な問題。
勢州西部の田舎豪族達への調略。
そして放ったらかしの河州南部。
複数の課題対処は連日の午前様を要求させた。

心地良い睡魔がゆっくりと、しかし確実に身体を襲ってくる。
このまま誘惑に負けて横になりたい衝動が浮かんでくる。
しかし、恵有、甚助が顔を揃える会合が発する刺激が
修一郎に辛うじて最後の一線を踏み止ませる。
「連日の御守りにお疲れとは思いますが」
皺の多い容貌に少量の皮肉を込めた憐憫の表情を見せながらも、
僧形の補佐役は河南の状況分析を纏める。

「河州南部は博方奪還を諦める様子はございませぬが、
 何分にも先立つ物が不足気味にてどうにも身動きが出来かねる由」
「甚助もか」
「はっ。治三郎殿も密かにではございますが
 累代の家宝を恩顧の商人達に売り払って体面を保っている様子」
「何ぞ良き品でも見かけたんか」
「『章寧』が杉井屋所有にて」
雅道の世界で名の知れた逸品と面従腹背の態度は幾分かの刺激となる。

「脅せそうやな」
勿論、あからさまに力を見せ付ける下品且つ単純な手法は取らない。
「既に茶会の手回しは始めておりまする」
我々の世界で言う茶道・歌道・舞道と言った教養が混じった雅道は、
この頃よりある一部分だけを開催する『略会』と称される
気取らない会合に主役の座を取って代わられつつある。
「首根っこは掴めるんか」
勿論、敵対者の品を持ってくる程先方も愚かではあるまい。

「証拠は当人ではなく、従者達から」
芸事祐筆の静かな台詞は事態の成功を確信している口調だった。


 

「茶略会」へと進む。

「梅原」へ戻る。

黒一天へ戻る。

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