3年振りに空いた部屋を見詰めながら俺はこの部屋の主でいた間の
光景を頭に思い浮かべていた。
『期待の新人』としてちやほやされながら入寮したあの日。
『とりあえず練習』に顔だけ出して夜遊びに明け暮れた1年目のシーズン。
次の年から周囲の視線が何となく冷め始め、
高校の一年後輩が開幕デビューを果した4時間前に
ひっそりとサテライトの試合に出てみじめな思いを味わった去年の開幕戦。
ボールが集まらずにコーチからは『守備をしない奴』と言われ、
サテライトでさえ出られなくなった屈辱の日々。
限りなくクビに近い大幅減俸を呑まされ、
心機一転のつもりで自主トレの段階から身体を作っても
見向きもされなかった今年のキャンプ。
レギュラーの戦線離脱でようやく掴んだチャンスも・・・・・
身体がスピードについて行かずに愕然としたデビュー戦。
勿論それが『エステーラ横浜』での唯一出場した公式戦だった。
『こっちの準備は終わりましたよ』
手伝ってくれたユースの選手が声をかける。
どう言う訳かこいつは二部に『島流し』になった俺を慕ってくれる。
「俊介」
「はい」
キノコの様な髪型をした少年の目を真っ直ぐに見つめた。
「お前は俺みたいに捨てられるんじゃねぇぞ」
「徳宮さん・・・・・」
「お前はパスセンスにいいもの持ってるんだから頑張れば
この先きっと上に上がれる。『ミスターエステーラ』の称号だって
手に入るかもしれねぇぞ」
「・・・・・・・」
「じゃあな」
俺は片手を上げて荷物と『徳宮 元次郎』と書かれた名札を外していく。
こうして俺は次の仕事場の四国は宇和とか言う片田舎に旅立った。
無造作に伸ばした髪が強情そうな容貌に良く似合う
徳宮がその地についたのはもう夕暮れの最後の光が消えつつある頃だった。
横浜から広島までを新幹線で、それから松山までは定期バスで
比較的楽に来れたのだがそこからはなかなか大変だった。
各駅停車の鈍行に三度に渡って乗り継ぎ、
ようやく最寄り駅までついたものの、
試合のない日は1時間に1本あるかどうかの
バスのタイムスケジュールまで確認していなかった
彼は予定していた時刻を大幅に遅れて『島流しの地』に辿り着いた。
−ふぅーん、まあまあだな−
隣接する古びた倉庫の様な建物から発する僅かな明かりを
頼りにフォーメーション練習の様子を確認した男は
次の同僚達の動きを前向きに評価した。
先日のリーグカップでは『一部の洗礼』を受けた様だが、
あれは彼自身も追い付けなかった『シンキングスピード』の差と言う奴で
事実、後半に限れば内容は決して悪くなかった。
−結果としては2点程追加されたが−
「オランダブランドは伊達じゃないんだなぁ」
そんな事を呟きながらクラブハウスを捜し始めた。
確か練習場の隣にあるって聞いていたけど・・・・・・・・
「いやぁー、悪いね。出迎えにも行かずに」
『古びた倉庫』は外見に相応しい内部の調度を持つ応接間で
『ねずみ男』が誠意のない謝罪を口に出した。
「何分、うちは人手不足と財源不足でねぇ。
実はさっきお茶を出してくれた女性もバイト待遇でしか雇えないんだ」
えっ、嘘だろ。あんな美人で有能そうな秘書らしき人が・・・・・
「まぁ、でも彼女が正式に職員として採用されるかどうかは
君の右足に懸かっているんだ。頼むよ」
「は、はぁ」
「じゃあ早速だけど、こっちにサインしてくれるかな」
「これは・・・・・・・」
「レンタル契約の細かい内容だよ。大筋は向こうとの交渉通りだけど
どうしても本人の確認が欲しい項目があったのでね。・・・頼むよ」
既にレンタル契約自体は発行しているので徳宮は拒絶出来る立場ではない。
−何て人だ。こっちの立場の弱さにつけ込んで−
そう思いながら差し出されたペンで乱暴に署名を済ます徳宮だった。
元次郎が『シュバルツ愛媛』の一員として初めて練習に参加したのは
翌日に消化試合となったリーグカップ戦を控えた
初冬の気配が練習グラウンドを覆った午後の事だった。
「徳宮 元次郎です。宜しくお願いします」
その性格に似合わずに丁寧に挨拶を交わす。
そんな彼に対してまばらな拍手が出向いた。
別に彼を嫌っているのではなく、ライバルが一人増えた事に対する
選手の警戒感が態度になって現れただけの事である。
「よし、では今日の練習を始めようか」
空気が重い事を察した水谷が手を叩いて鼓舞する。
新しい要素をどう生かして先日の大敗で沈滞しがちな
チームのムードを再活性化していくか。
心理マネージメントの手腕が問われる場面である。
プロの集団だからと言って長時間に渡って練習する訳ではない。
あたかも『練習する事が目的』の様な無意味に長い時間は
オランダ的な合理性を重んじる鬼瓦の好む所ではない。
従って彼の差配する全体練習はクラブチームであれ、ナショナルチームであれ
明確なテーマの元に2時間にも満たない短時間で行われていた。
ウォーミングアップは各自の責任で行い、
個人で済ませられる練習はごく短時間で済ませる。
『我々は試合で勝利を得る為に練習を行う』
彼が念入りに行うのは複数のプレーヤーが絡んだコンビ−ネーション、
細かい戦術のチェック、チームとしてのディシプリン(約束事)の確認
そしてミニゲームによる実戦能力の向上だった。
黄色のビブレを来た元次郎は味方の面子を確認して
自分が想像以上に期待されている事を実感した。
羽生、矢野、由口、後藤・・・・・・・
何れも若年ながらレギュラー、叉は準レギュラーとして活躍し、
来年度には他クラブの引き抜きの対象になる事が予想される選手達である。
−俺に使いこなせってか−
ベンチでどっかりと座る見事なもみ上げを見ながら
唇の片端に皮肉な笑みを浮かべる。
「やったろうじゃん」
その声を掻き消すかの様に試合開始のホイッスルが寒々とした天候に響いた。
矢野と由口がボール保持者にプレッシャーを掛ける。
まだこの地点ではアートなまでのプレッシングは見られないが、
コースを丁寧に立ち切る囲み方は後年の『御家芸』を彷彿とさせた。
元次郎はその動きには加わらずに一見すると
見当違いな方角にポジションを取っている。
別にサボっている訳ではなく、チームメイト特徴を把握できていない
初日の段階でチームプレイに参加しても足手まといなだけだし、
無様なプレイは当然コーチへの印象も悪くなる。
増してや元次郎には強烈な自負が胸中に存在する。
−俺の仕事は攻撃時のボールの出し手−
彼はパッサ−としての自分の技量には絶対の自信を持っていた。
奪取したボールを捌くべく、矢野は周囲を確認する。
左は・・・・・茂原さんの動き出しが遅い。無理だな。
中央は・・・・当然の様に小柄な点取り屋に対するマークはきつい。
右の後藤はまだ上がっていない。
暫くキープしてタメるか。
そんな事を考えていた長身のバランサーの耳に声が聞こえた。
「こっちだ!!」
新参者が手を上げてボールを要求している。
−お手並み拝見と行こうか−
チーム編成の段階で監督の意図を察知していたゲームキャプテンは
インサイドで正確なパスを供給した。
最初のトラップでコントロールに成功するとわざとボールを右足の外に出す。
釣られたマーカーが動き出すのを逆手にとって
素早く体重の乗っていない方向へと動き出す。
動き自体ははスローモーだが
緩急をつけたフェイントを止めるのは容易ではなかった。
背筋をピンと張って右サイドバックの攻め上がりを確認すると、
アウトサイドでボールを出す振りをする。
中央の注意がばらけた。
今だ。
刃物の様な鋭さが守備ラインを切り裂く。
ワンタッチストライカーは一瞬の驚きを悟られずにキーパーの股間に
ボールを転がして先制点を上げる。
シュバルツに新しい攻めのオプションが誕生した瞬間だった。
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