『米収入の行方』


湿気と暑気が南方の樹州を覆い始めた八月。
懸念された堤防の決壊もなかった樹州の農民達は
吹き荒れる戦乱にもめげずに雑草取りに励んでいた。
「今年ゃー、実りもようてええ感じだわ」
仲間達に釣られて勤勉性を発揮する男が額に滴る汗を拭い取りながら呟く。
各地から集ってきた浮浪民達の適性と希望に応じて、
土地と農具を貸し与えて耕作させた不毛の大地には
豊穣な黄金色を予感させる稲穂が青々と生い茂っていた。

「んじゃ、休憩するだべさ」
太陽が中天に昇った頃、一同の首班格が苛斂誅求を地で行く
関中では考えられなかった中食(昼食)入りを告げる。
尤もその中身は地域ごとに配置されている駅亭から支給される
麭・干乾酪(チーズ)・粗茶の粗末な組み合わせである。
従って彼等は八半刻もしない内に思い思いに食後の一服に入れた。
「今年は戦ばっかで儂等も夫丸人足に駆り出されただが、
 まんず命が有って有り難いこったべさ」
この頃の黒一天は人員不足から
黒鍬組(工兵隊)や小荷駄組(補給)の整備が追い付かず、
この分野の動員は旧態依然な手法を採用していた。

「黒一天は儂等を戦場に放り込まんだけましじゃ。
 前に逃散した所じゃあ、平気でこの痩せ腕に槍を持たせるんじゃからのぅ」
四十代半ばの日焼けした細腕をぴしゃりと叩いた。
「まったくまったく。騎士様達ゃ儂等の事なんぞなーんも考えとらんからの」
士大夫達が彼等を見る光に同じ人間だと言う仲間意識はない。
あるのは『農奴』と言う家畜同様の冷めた光である。
「んだ。それに引き換えうち等の知事様ぁ、
 中々に道理をわかってらっさる御方じゃき。ちぃーと人使いこそ荒いがの」
どんなに言葉を取り繕っても『辺境』に過ぎない樹州では
前述の堤防を始めとした公の設備、
我々の世界で言う所の社会資本整備も急務なのである。

「じゃが日当を払って下さるだけましじゃろ」
元々胥吏として働いていた修一郎に人を只で働かせると言う概念は無く、
普請作業を行う度に律儀に踏み倒しても良い日当を支払っていた。
「あんお人は竿入れ等は厳しい御方じゃが、儂等の事は良う考えておられる」
この時期の樹州知事が『自営農民の育成』の概念、
もっと言えば中流層の育成の必要性を理解していたかどうかは不明だが、
少なくとも矢印の方向性はそちらであった。
「今のまま、ずーと行けば良いんじゃがの」
やがてこの声なき声は修一郎が差配する政権への支持へと繋がる。


農民達が手にしつつある安定した生活の幸せを噛み締めていた頃、
彼等の労働の結晶を奪い合うやんごとなき連中の争いは
洛安での高等法院にて裏面の合意を隠すかの如き佳境へと入っていた。

「高幡家の主張は牽強付会の度が過ぎる。
 何と申しても彼の地は国王家の忠実な家臣である
 仙波の領域なれば、我等が収穫を手にする権利がある」
「何を益体無き事を。その国王家はそもそも元老院の
 承認あってこそのものではないか。
 ましてや元来、宗洋を統べるのは名士の神聖な責務なれば
 その報酬として五穀の実りを享受するのは自然ではないか」

双方の主張が高等法院の内壁に反射する様を
修一郎は傍聴席からうんざりとした気分で眺めている。
−早よ終れよ。どうせ裏で話がついとんのに−
どちらが勝っても取り分の減る立場からすれば、
この手の言い争いは阿呆らしく感じる。
「双方の公証人は見事なものですな」
修一郎の隣で言葉による格闘を堪能していた恵有が賞賛の声を上げる。

「見事やて?あんな茶番がか」
公式的には西管家の奏上に拠って双方の立場を代表する
公証人が争う法廷が開かれているが
実の所、この場の勝敗にて判決が決定する事はない。
公証人達の巧みな弁舌が影響力を発揮するのは
同時進行で行われる非公式な折衝の場である。
因みに裏工作の資金は訴えた修一郎持ちである。

「はい。見事だと申しました」
「何でや。取り分は五分五分にして、
 俺が献上の不足分を賄う事で合意が出来とると言うのにか」
「拙僧は公証人が己の職分を理解している点で見事だと申し上げております」
「・・・・」
「この段に至れば最早『一般世論』に訴える事で
 自らの正義を喧伝するだけでございます」
「そやから内容が仰々しいのか」
「はい」
「・・・・・士大夫って大変なんやな」
一応、彼もその端くれなのだが恩恵に預かっている実感の少ない身では
体裁を気にせざるを得ない立場には何処か違和感を感じていた。


「さて」
他に陪席者のいない来客用の床上で
姿勢を正した僧形の補佐役は皺に埋もれた瞳から真摯な光を発する。
「何や」
樹州知事は『仕事』の合図に不思議そうな表情を見せる。
「此度の件で我等の取り分は減った故に何処ぞで取り戻さねばなりませぬ」
「そやな」
反射的な返事はしたものの、何の絵図も描いていない。

「まずは上納をどれだけ抑えられるかです」
「そやけど、数量は洛枡で統一されているんやろ」
この時代の数量観念は中世らしくいい加減そのものだったが、
さすがに高等法院が絡むと統一された数量概念が持ち込まれる。
「拙僧が申し上げているのは実質の価値です」
「?」
「今年の河南並びに樹州は程々の収穫が見込めますが、
 他の地域は必ずしもそうではございませぬ」
「・・つまり、俺らは高値で売り捌く札を持っとる訳やな」
元・胥吏は概要を把握した。

「やんごとなき御方達は米の収穫しか目が入っておりませぬ」
不本意ながらも欲望が塗れる世界に身を投じた後、
恵有も冷めた視線で徒に混沌のみを生み出す連中を観察していた。
「値段が下がった時節に上納する訳か。
 そやけど今年は値段を上げ下げしてくれる戦争は起こりそうないで」
宗洋における戦乱の機軸は西管家と東管家の意地を張った争いなのだが、
前者は前述の通りに御手元不如意で、
後者は足元に漂うきな臭い煙の消火に追われ、
共に出兵出来る状況ではない。

「戦が無ければ作れば宜しいかと」
「そんなに都合よく発生するかって・・・・まさか」
ここで灰汁のない無表情な容貌に驚愕のさざ波が走る。
「はい、我等が作れば宜しいのです」
御神に仕える立場の者とは思えぬ発言だった。


「・・・・・坊主殿はえらい過激やな」
懐事情の為に戦を始めるのは政の常識と言え、
まさか清貧謹直な僧侶の口から生臭い考えが飛び出すとは想像の外であった。
「拙僧は何も先立っての安知久の様な取り合いをせよとは申しておりませぬ」
「・・・雰囲気だけを作る訳か」
「はい。此度の一件で河南の動向は些かなりとも
 関中の米価を左右出来る立場となりました。
 『河南に戦乱の風有り』となれば御両所とも厳しい事は言わぬでしょう」
既に各方面の合意を得ている文書には数量は明示されても、
期日については空白である。

「ま、どっちも大切な金蔓は手放しとうはないからな」
辺地の米収入を期待するぐらいだから、
両家の懐具合が危険水域に達しているのは容易に想像がつく。
「まずは米価の高騰を見計らって、御両所に期日を提示致せば反論なきかと」
「そこで何かと難癖つけて期日をずらしつつ、
 米価を下げる手立てを打っていく訳やな」
「期日の方は厳守せねば何かと要らぬ横槍が入ります故、
 拍子を上手く取らねばなりませぬ」
「しかし、洛安と洋駿の間を考えると難しそうやな」

この場合の『間』とは時間的・心理的な距離も含まれている。
「間合いについては博方が仲立ち致します故、
 それ程気になさらずとも宜しゅうございます」
僧形の補佐役は予想もしなかった街の名前を持ち出した。
「どう言う事や。奴等は今回の件には無関係やろ」
「関係がなければ結べはよいのです」
「・・確かに羽戸川の手勢は鹿浜と安知久で弱っているけど、
 黒一天も動ける状態やないで」
「羽戸川家とは戦を致しませぬ。博方を乗っ取るだけです」
羽戸川は博方に君臨している訳ではない。
彼の地の『座』とは対等に近い立場である。
「・・・成程、不満分子を炊き付ける訳か。
 そやけど坊主殿も人が悪くなったなぁ」

「御神が神慮を揮われる御気迫も御意志もお見せになられぬとあらば、
 救い無き現世を糾すには俗塵に塗れるしかございませぬ」
迷いのない眼光と口調は却って嘗ての懊悩を感じさせる。
「そやな。どの道奴等とは遅かれ早かれ事を構えるつもりやからな。
 ちょっとせわしないけど、まぁええか」


 

「商人達」へと進む。

「取らぬ狸の皮算用」へ戻る。

黒一天へ戻る。

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