私がフットボールに関心を持った頃は
『個人技の南米・組織の欧州』と言う言葉が
一定の説得力を持っていた古き良き時代でもあった。
月刊で発行される専門誌(当時)でこのフレーズを目にする度に
「じゃあ双方が交じり合ったらどんなチームになるのだろう」と
漠然と考えた事がある。
その考えは数年後にマニアックなまでに戦術面を追求した
アリゴ・サッキと『クラブ経営はビジネスではなくパッションだ』と
のたまったシルビオ・ベルルスコーニによって『ある程度』実現された。
そんな『グランデ・ミラン』がトヨタカップ出場の為に来日、
まだ枯れた芝生が貼られていた国立競技場に足を踏み入れた時、
私は対戦相手の事など全く関心が無かった。
ただ「グーリットの負傷欠場がなければ完璧なのに」と
嘆息した覚えがある。
(余談ながらこの時期、航空会社のCMに彼が出ていた記憶がある)
だが、そんな思いは試合が始まるとすぐに吹き飛んだ。
私の眼前には無名の南米側のクラブチームが
黄金時代を築きつつある『ロッソ・ネッロ』を相手に五分に遣り合っている
姿が映し出されていた。
その試合はまるで中央に巨大な鏡が置いてある様だった。
ボールホルダーを巧みに囲い込むゾーンプレス、
非常識なまでに高い4バックのラインディフェンス、
そこには10数年前に『近代戦術』と持て囃されたプレッシングが
復権した事を如実に物語っていた。
そんな両チームの唯一の違いは南米側に『動く3本目のポスト』が
存在していた事ぐらいだろうか。
高度に組織化された両チームの攻防はシュート数こそ少ないものの
通好みの渋い展開を見せ、
延長終了間際のFKで唯一の得点をあげたミランが勝利を収める。
(当時はVゴールなんて代物はなかった)
だが私の目に焼きついたのはしばしばペナルティ・エリアの外に飛び出し、
それまでのキーパーの概念を劇的なまでにひっくり返した。
アトレティコ・ナショナルのゴールキーパー・イギータだったのだが
それだけではまだこの『チーム』の真価を理解して言えなかった。
何故なら事実上のコロンビア・ナショナルチームでもあった
このクラブには芸術的パスワークを操る『獅子王』は不在だったのである。
サルサの国がフットボールの世界で注目されるのは
86年に自国でW杯を開く権利を得てからの事である。
開催自体は自国の経済状態の悪化に伴い、
その返上を余儀なくされたものの(代替地はメキシコ)
国の威信を賭けて数年間に渡って取り組んだ若年層の強化は
87年のコパ・アメリカではマラドーナ擁する地元・アルゼンチンに
競り勝って3位に食い込む事で立証された。
しかしながらプレーオフによる28年振りのワールドカップ出場は
コロンビアの実力を隠すコートの役割を果し、
本大会の予選グループで同居した西ドイツナショナルチームの監督、
ベッケンバウアーが社交辞令混じりの警戒感を表明された事自体が
ニュースになる程の注目度の低さだった。
全体的に低調な試合が多く、特に決勝戦の『天災』の様な試合から
余り良いイメージのないイタリアW杯だが、
黄金のアフロヘアと黒い口髭を蓄える『獅子王』
(叉の名を『ライオン丸』)
カルロス・バルデラマが単純なインサイドキックから繰り出す
複雑且つ華麗なパスワークを機軸とした
南米らしい個人技と独創力を前面に押し出した
コロンビアのスタイルは大会通じてのセンセーショナルとなった
カメルーンと並んで一服の清涼剤となった。
アウトサイダーのUAEを破り(W杯初勝利)、
ピクシーがキャプテンマークを巻くユーゴスラビアには惜敗して迎えた
西ドイツ戦で彼等はその実力を世界にアピールする。
それは古典と最先端技術の融合だった。
古き良き時代を思わせる中央の密集を突くパスワーク、
カテナチオに固執する開催国を嘲笑うかの様なゾーンプレス、
西ドイツが消化試合と言う事でモチベーションが落ちていたにせよ、
(彼等は既に予選通過が決まっていた)
超大国と五分に渡り合う姿は世界の注目を浴びた。
肝心の試合展開も終了間際に先制されながらも4本のダイレクトパスを
繋いで追いつき、見事に予選通過を決める得点と勝ち点をあげる。
決勝トーナメント初戦ではカメルーンの勢いに屈した格好だが、
この大会で彼等が見せたフットボールはブラジル・アルゼンチンの
南米を代表する両大国を凌ぐ魅力を振り撒いていた。
そして何よりも『個人技と組織の融合』を果したコロンビアの功績は
ベスト16と言う成果以上の物がある。
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