『公私の補佐役』

 


−さて、雪香には何と話そうか−
地の果てとも言える河南への『栄転』が決まった男は
逢引の料亭へ向かう道すがら
どうやって話を切り出すか終始に渡り考え込んでいた。
−『片が着くまで待っといてくれ』なんて言うても空証文そのものやし、
 第一あれだけの器量を他の野郎共がほっとくとはよう思えんしなぁ。
 下手すりゃ縁を切られるかも知れんな−
本来ならば食事、会話そして情事を楽しむ夜は憂鬱な夜へと変貌していた。

修一郎が密会の場に着いたのは暮色の色濃い夕刻の事だった。
馴染みの女将は彼の姿を見るとすぐにいつもの席へと案内する。
「ごゆるりとお過ごし下されませ」
そんな声に生返事で答えた修一郎が襖を開けると、
一人の女性がこぼれんばかりの笑顔と共に彼を出迎えた。
「お帰りなされませ」
手をついて挨拶する彼女の鈴の様な美しい声には
愛する男と再開できた喜びに溢れていた。
「ちと、雑用が出来て遅うなってしもうた。これで堪忍してくれ」

そうやって取り出したのは例の扇子だった。
「『藤花』でございますわ」
「知っとるんか」
口に出した後、無粋な男は後悔した。
姫島で5本の指に入ると称される『雅道』の数寄者である
雪香に取ってこの程度の品物を言い当てるのは造作も無い。
「ええ、国王陛下からの下賜品として品目が記されていたのを
 何かの本で読んだ事がございます」
控え目な知性は修一郎の好むところであった。
席へ座ろうとする修一郎に素早く近付いた彼女は
折り詰め弁当を取り出しながら
「今日は家から煮物を持って参りました」と
白皙の頬を染めながら修一郎の耳朶に呟く。
「仕事もせんと作っとったんか?」
茶化す口調で修一郎はからかう。
「お得意様をもてなすのは立派な仕事にござりまする」
頬を膨らませながら彼女は応えた。


席上には彼女が持参した折り詰め弁当の煮物料理を中心に
鮮やかな料理が綺麗に並べられている。
修一郎は箸をあちこちにつけながらもどこか心ここに有らずの態だった。
「如何なされました?」
彼女は料理が不首尾だったのかと思い、柳眉をひそめて訪ねる。
「あ、いやこの煮っころがしはとても美味いんやけどな。」
修一郎は慌てて場を取り繕う。
−しゃあないな、きちん言うか−
修一郎は箸を置いて姿勢を正した。

「えーとな、今日御館様からまた難儀な仕事を押し付けられた」
「あら、また出征ですの」彼女は不思議そうな顔をした。
「でも他の方々は何も物資の買い付けはなされていない様ですが」
西管家七大御用商人の一つである『紅屋』の令嬢である
彼女の元にはこの手の情報がすぐに手に入る。
「玄武隊だけで河南とか言う僻地に出向けとさ」
修一郎はぶっきらぼうに告げた。

「?」鈍い恋人同様に彼女も一瞬、言葉の意味が理解できなかった。
「あそこにある御館様の飛び地を根城に彼の地を押さえろだとさ」
「まぁ」雪香は驚いた表情をした。
「ご出立はいつ程になりましょうか?」
「上の連中は早ければ早い程ええみたいな事を言うとったが、
 こっちも色々準備があるから来月ぐらいかな」
「じゃあ、すぐに弾薬や秣が用意しますわね」
この時、彼女は商人の顔になっている。
「うん、そうなんやけどあそこは滅茶苦茶遠いし、
 いつ戻れるかは解らんから・・・・・・」
「御心配なさらずとも大丈夫です。私も現地へ出向きますから」

「・・・・お前、ついて来るんか?」
「ええ、お嫌ですか」
「ええも悪いもあんな蛮地に女子を連れて行ける訳ないやろ!
 第一親御さんや世間体が許してくれる訳ないやろが!」
「既に『紅屋』の家督は父から譲り受けているので
 文句を言われる筋合いはございません。それに・・・・」
彼女は両の掌で修一郎の顔を挟んだ。
「世間体が気にされるならば、これを機会にきちんと整えてしまえば
 誰からも文句を言われずに済みますわ」
そう言って彼女は笑った。


恋人との甘く激しい一夜を過ごし、ようやく精神面の疲労が抜けた
修一郎は昼前に料亭を出ると宿舎には戻らず、
豪商の令嬢に持たされた饅頭の土産と共にそのまま恵有宅へと出向いた。
なし崩し的に武人に転向させられた修一郎や
食べる為に徴兵に応じた弥四郎・権八とは違い、
元は名のある士大夫の分家の出である彼は箱庭ながらも
『犬飼親兵衛忠文』の家札を掲げた一軒家を構えている。
因みに彼が俗名を名乗らないのは神学校の教師は
法名使用が認められていた当時の慣習に拠るものだった。

「ようこそいらっしゃいました」
恵有の老妻の丁寧なお辞儀に出迎えられた修一郎は
「つまらぬ物ですが」と当時の食文化では高級品に該当する饅頭を手渡す。
「毎回の丁寧な御土産品、ありがとうございます。
 あいにく主人は出払っておりまして、すぐに人を向かわせます」
申し訳なさそうに彼女は頭を下げた。
「いやいや、こちらこそ前触れもなく訪ねたのですから
お気になさらずとも結構です」
そう言って修一郎は暫く恵有を待つ事にした。

−いつ来ても落ち着いたええ場所や−
趣味の良い調度品が映える様に巧みに配置された間取りは
複雑な事情を簡潔に纏める文書の作成能力、
横柄な軍旗持ち騎士達と五分に渡り合う粘り強い交渉力、
少量の物資・金銭を無駄なく遣り繰りする補給能力等の
本来烏合の衆に過ぎない玄武隊の活躍を影から支える手腕を連想させた。

「これは本間様、お待たせ致しました」
古巣の神学校に出向いていたのだろうか、
黒衣を羽織って右手に難解そうな書物を脇に抱えた
恵有が客の沈思黙考を妨げない程度の低い声を上げて入室してきた。
「すまないな、夫婦水入らずの所を邪魔して」
修一郎は玄武隊唯一の妻帯者を気遣った。
「拙僧と愚妻は御二方程には熱くはありませぬ故に御気使いなき様に」
「・・・・何故解る」
「失礼ながら、今日の本間様は身だしなみが整っておりまする故」
年長者の年の功である。


「ほう、昨今の世情にしては豪気な話ですな」
饅頭で甘くなった口を妻が入れたお茶で直しながら、
一通りの話を聞いた元神学校の教師は淡々と感想を述べた。
「軍旗まで与えるとは随分思い切った事を」
「そうしないと不浪人達を雇えんからな」
独立した指揮権を持つ軍旗持ち騎士は
同時に自前で兵を集めて養わねばならない義務を負う。
通常は家の子郎党を掻き集めるのだが
貧乏郷士の彼には無論そんな便利な連中はいない。
「裏の事情を知らなければ感涙に咽ぶべきだろうな。」
能面の様な表情で修一郎は皮肉を口にする。

「それでいかほど率いるおつもりで」
無理矢理押し付けられる不浪人の数である。
「玄武の八百は計算できるが、一から教える連中は当面はあてにならん。
 まぁ込み込みで二千程度にしようかと思っている」
「ちと、少な過ぎはしませんか」 
裏の目的が目的なだけに恵有は懸念を表明した。

「表向きは三千五百位にしようかと思っている。
 まず先行と偽って向こうに逃げ込んで、後は知らん振りや」
「非道い話ですな」僧形の相談役は苦笑した。
「連中は自分の懐を痛めずに姫島の不浪人が幾分か減ればそんでええ。
 そないな連中言う事なぞ真面目に聞く必要は無い。
 ・・・・・遅配している給金を全額払うのならばともかく」
恋人との逢引の料金さえツケにしている男が肩を竦める。 

「拙僧も老後の蓄えにと思って従軍僧侶の応募に応じたのに、
 現実には『奉仕』の美名の元に全額頂いた事はございませぬ。
 挙句に僻地への出向とは間尺に合いませぬな」
剃り上げた頭部を撫でながらさり気なく不満を述べる。
「坊主殿は結構生臭であられる」
「人は情熱だけでは生きてはいけませぬ」
勿体振って十字を切る素振りを見せた後に
二人して大きな笑い声を応接間に響かせた。


 

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