別れの感傷を振り切るかの様な出会いの挨拶が交わされた季節が過ぎ去って
若葉と友愛の感情が生い茂る様になる黄金週間に入った頃、
四国の片田舎はこれまで経験した事ない喧騒と昂奮に包まれていた。
シーズン前は殆ど誰も注目を集めず、『消滅・解散第一号』と
野球オンリーのマスコミから悪意と願望が篭る記事が書かれた事さえ
話題に昇らなかったプロヴィンチアは
今や地元の象徴とも言えるポジションに上り詰めていた。
最終節、首位とは勝ち点差2の二位、三位とは勝ち点1
『勝てば天国・負ければ地獄』な状況は
全国的にも既に優勝チームが決まった一部以上の関心を集めていた。
異常なまでの盛り上がりを見せる市民陸上競技場で
青年は端正な顔立ちを曇らせながらある女性を探していた。
年の頃は二十代前半だろうか、
深い知性を感じさせる瞳と均整の取れた背丈が印象的である。
「将人、こっちこっち」
将人と呼ばれた青年は手を振る女性を見つけて正月以来の再会を果たす。
「姉さん、久し振り」
「まずはカレッジカップの優勝おめでとう」
「ありがとう。サッカーに関心のなかった姉さんに言われると嬉しいよ」
青年が『なかった』と過去形を使うのは
目の前にいる姉がすっかりサポーターグッズに身を固めていたからである。
嫁ぎ先の地元チームによる予想外の快進撃で
にわかにサッカーへの関心が高まって来たらしい。
「今日は義兄さんの番だったっけ」
青年は気の強い姉の尻に布かれている広告マンの義兄を気遣った。
「ううん。あの人自分で志願したのよ。
『俺達がシュバルツを一部に上げるんた』って
まるで自分がピッチの上でプレーするみたい」
彼女は可笑しそうに笑った。
「義兄さんは正しいよ。サポーターの後押しなしに優勝なんか無理だから」
「たまたま本拠地がそこにある」程度の熱気に欠けた関西の様子に
見慣れた彼に取ってはこの雰囲気は羨望の念を巻き起こしていた。
一度、こういう所でやってみたいな
彼はそう考えながら観客席に向かった。
「ああ、それはそこでいい・・・・・うん、解った。後で見に行く。」
この日金村は裏方の総指揮にいつも以上に大忙しだった。
今日は昇格(実際には復帰だが)が賭かった大一番、
注目度や観客数はいつもの五割増し、
従ってボランティアも五割増しにして万全を期したつもりだった。
しかしながら七千〜八千程度の観客数ならともかく、
満員御礼の一万五千ともなると情熱だけではどうにもならない。
『スムーズな連携』とはお世辞ににも言えない
彼等の働き振りよって頻発するトラブルは二倍増しとなり、
金村はその処理に忙殺されていた。
「はてさて、この辺が難しい所だな」
ねずみ男は激務が途切れたほんの一瞬、
皺の少ない脳みそを今後の思案に委ねた。
一年にも満たないクラブチームの経営で一番悩んだのは
なかなか集まらないスポンサーでもなく、
常に長距離移動を伴うアウェーへの遠征でもなく、
実の所年間20試合もない主催試合における運営の人手である。
一度『破算』を経験してペナルティとして二部落ちを経験、
信用が少ないクラブに取っては成績以上に『収支バランス』が重要である。
「ボランティアだけでは苦しいが、正社員は雇えないし・・・・」
際どいバランスを保つ現状では数百万単位の人件費でさえ捻出が難しかった。
「やっぱりバイト待遇か契約社員かな」
ここ数日に渡って続けた思考は結局ここに落ち着く。
「この際、質には目を瞑るか」
別に正社員じゃないから能力が落ちる訳と言うではない。
しかしながら事務処理能力に優れた『アルバイト』を
間近で見ている為にどうしても求めるレベルが高くなってしまう。
「武部君の様な『当たり』は中々いないからなぁ・・・・」
秘書の笑顔とてきぱきとした仕事振りを思い浮かべた時、
GMの携帯が再び存在を主張した。
「はい・・・・・うん・・・・いや、そうじゃない・・・・・・
えっ・・・・・・わかった。俺が直接そっちへ出向く」
受信を断ち切って走り出した金村は心中でぼやいた。
−全く。こんな時だけテレビ中継するんじゃないよ−
カメラの位置取り対するクレーム処理へと向かう悩めるGMだった。
熱の篭った大観衆の前でのプレーと言うのはスポーツ選手ならば
一度は体験してみたいシチュエーションだろう。
例えその大半が相手チームを応援であったとしても、
『悪役』としての存在価値はたっぷりとアピール出来る。
『昇格』と言う栄光の扉に手をかけているホームチームとは対象的に
『降格』と言う屈辱の扉が開きかかっているアウェーチームは
別の意味でのモチベーションが高かった。
ここでアピールしてより良いクラブに移る。
やるせない気持ちをプロフェッショナルな気持ちと打算で
懸命にごまかしながらアップを続ける『城陽ブリッツ』の面々だった。
ホームチームがウォーミングアップの為に競技場に姿を出した瞬間、
歓声の形を取った期待が前後左右から一斉に上がった。
選手達は両手を上げて声援に応えると
フィジコも兼任する水谷の手拍子の下で念入りに身体を動かし始めた。
無駄を省いた合理的で且つ機能的なウォーミングアップは
高校の準備体操とさして変わらぬブリッツのそれとは好対照であった。
「よし、次」
短い掛け声と共に選手がシュート練習の為に散らばる。
幾人の選手がボールの感触を確かめた後はいよいよ人気者の登場である。
「はにゅうー、今日は決めろよー」
ゴール裏のサポーターから野次とも励ましともつかない声が飛び、
事情を良く知る観客から笑いがこぼれる。
不思議な事に小柄な点取り屋は試合前のシュートが滅多に入らない。
羽生は声をかけた方向に右手で頭を掻きながらお辞儀をすると助走を始める。
ワンツーによるリターンパスを貰うと名誉を挽回するべく
インステップで丁寧にコースを狙った・・・・・
筈だがやっぱりポストを叩いてしまう。
「あ〜あ」
予想通りの結末だが当事者も観客も落胆する様子はない。
何故ならこの男は練習を外すと何故か実戦での命中率が上がり、
チームを勝利と勝ち点を、観客に昂奮を呼び込んでいたからである。
昨今ではそんなジンクスを続けるべく水谷が彼の試合前の練習は
1本きりで終了してしまう有様だった。
「これで今日も大丈夫だな」
いつもの儀式が順調だった事を確認すると
何となくそんな雰囲気が関係者達を包み込み、試合の勝利を予感させた。
練習ではどんなに明るく振舞っていても
本番を実感するに連れ次第と震えと重みが身体を侵食し始め、
痺れる空気が周囲に充満して来る。
チームの将来を左右する大一番を迎えた選手達のロッカールームでは
どの選手達も顔が強張り、口数は限りなく少ない。
極限にまで高まった緊張は周辺にも渦巻き、
さながらお通夜の雰囲気を醸し出していた。
そんな様子を見ながら、水谷はミーティングを始めた。
「今日は自分達の出来る事だけを考えて余計な事は考えない様に。
我々の約束事はいつも通りに右からの攻めが基点となる。
個々の役割もいつも通りだ。
小芝、飯田、柳木は守備だけ考えろ。
石居、須田、矢野は中盤のチェックと前線への繋ぎ、
徳(宮)は右で攻撃の起点となり、後藤と由口はフォローに走れ。
羽生は前で張って、茂原はこぼれ球を狙う。
特別な事はしない。いつも通りの戦い方だ」
そう言って『鬼瓦』はボードに選手の配置を示す。(数字は背番号)
羽生18
茂原11 矢野7 徳宮8
須田6 石居16
由口15 後藤2
柳木4 飯田19
小芝1
水谷が示したのは中盤戦以降の不動のメンバーと配置図であり、、
それは『脅威の追い上げ』と称されたここ最近の心地良い記憶を
思い起こさせる効果を果した。
「よし、行こう」
胸中に秘めた思いを抱えるキャプテンの飯田が大声を出して気合を入れる。
「よしっ!」
皆も立ち上がり、グラウンドに飛び出す。
どうやら過緊張は取り払われたらしい。
水谷は自分の仕事を一つ片付けた事を確認した。
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