『マジック・マジャール』
『FWの人材不足』 『得点力不足』 ここ数年の日本代表の選手に対する評価である。 確かに『得点を取る』FWが不足しているのは事実である。 しかしその事実のみで後者の説明に替えてしまうのはどうかと思う。 フットボールの歴史上FWに悩まされても、 破壊的な得点力を持って名を残したチームだってある。 82年のブラジルは本来、エースとなるべきカレッカを骨折で欠いた。 80年代のフランスはプラティニの得点力に頼らざるを得なかった。 そして50年代に驚異的な得点力を示したこのチームも 当初は得点の取れるFW不足に悩まされた。 彼等の栄光は1950年に始まった。 この年ハンガリー代表監督に就任したグスタフ・セベシュは 38年のW杯でファイナリストとなった祖国の再建に着手した。 幸か不幸かこの当時共産主義の勢力圏に位置していたこの国は 国家の強力な権限の元に優秀な選手達を一つのクラブチームに集め、 『ナショナルチーム』としてのコンビネーションを磨き上げていたが、 ある一つの問題を抱え込んでいた。 プスカシュ、コチシュと言った非凡な得点力を持つインナーに (現代サッカーのセカンドアタッカーに該当する) 釣り合うだけのセンターフォワードが不在だったのである。 攻撃陣と守備陣が対を成すWMシステムが絶対視されていたこの時代、 センターフォワードの不在は致命的な弱点だったが、 セベシュはある大胆な発想を取り込む事で逆に長所へと変貌させる。 同様の悩みを抱えていた国内のクラブチームがハーフの選手に センターフォワードの背番号『9』を着けさせて、 そのまま中盤でプレーさせていたのである。 セベシュはこの選手を代表チームに呼び寄せて そのエッセンスを取り入れると同時に彼自身も創意工夫をこらした。 『ディープ・ライイング・センター・フォワード』と呼ばれる 『9』番と役割が重なる中盤の選手のポジションをディフェンスに下げさせ、 『4−2−4』と称される独創的なシステムを開発する。 彼等は1952年、ヘルシンキ五輪での『試運転』の結果、 金メダルと自信を掌中に収めると、 翌年ホーム不敗神話を持つイングランドへと乗り込んでいった。
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