『マリー・アントワネット』
「パンがなければお菓子を食べれば良いのに」 フランス革命の悪役の一人としてその名を知られる 彼女のイメージを決定づけた台詞である。 だがこの手の台詞は王侯貴族に位置する特権階級ならば 誰でも吐きそうな台詞でもある。 事実。中国・西晋(三国志時代を統一した)の二代目皇帝にして 史上屈指の馬鹿君主としてその名を止める (演技めいた部分もあったらしいが) 恵帝も「米がなければ肉を食え」みたいな事を言っていたらしい。 では何故この様な話が広く流布する程に彼女は嫌われたのか? それには彼女の生い立ちとその背景の事情を見てみる必要があるだろう。 マリー・アントワネットは神聖ローマ帝国フランツ・ヨーゼフを父に オーストリア女帝マリア・テレジアを母とした家族の6番目の女の子として (この夫婦は16人もの子供を設けた)の世に生を享けた。 平穏な時代ならば彼女も「その他大勢の姫君」として それなりに幸せな人生を過ごせたであろう。 だがハプスブルク家の後継ぎ問題のどさくさにつけ込まれて 諸産業の生産能力が高いシェレンジェン地方を 『北の田舎者』にふんだくられたお国の内情は彼女の人生を一変させた。 海外に植民地を持たない(と言うか海に面した領地や良港自体がなかった) オーストリアにとって『ドル箱』はなんとしても取り返せねばならない。 しかしブランデンブルク門の建設者が率いる新興国家は 国家予算の7割を軍事予算につぎ込む(!)軍隊国家として知られ、 普通に戦ったのでは勝利は覚束ない。 そこで背に腹代えられないオーストリアは 長年の宿敵フランス・ブルボン家に頭を下げ、 後年には(戦争終了後)人質的な婚姻政策まで実行する。 その対象となったのがフランスの王太子であり、 彼に嫁いだのがマリー・アントワネットである。 辞を低くして宿敵と同盟を結び、さらにはロシアとも同盟を築き上げる 涙ぐましい努力まで行ったプスブルク家だが、 プロイセンの啓蒙君主の軍事能力は彼等の予想を上回り、 様々な紆余曲折を経て結局は悲願達成とはならなかった。 たがプロイセンと同盟したイギリスと戦った同盟国は 海外植民地の全てを損失したのだからまだしも救われた方だろう。 同盟国はこの失態がフランス革命の遠因となるのだから。
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