『新たな扶養家族』


初夏の爽やかな空気が人々の神経に心地良い感覚を呼び起こしていた頃、
いくつかのオファーを丁重に断っていた水谷はとある地へ出向いていた。
バカンスと言う訳ではない。
それは彼の服装が指揮するクラブチーム同様の色彩に
染まっている事で充分に理解できる。
表情に明るさがない事からどうやら喜ばしい方の冠婚葬祭ではなさそうだ。
事実、彼の出向いた先はしめやかな雰囲気が立ち込める
故人との別れの場であった。

「どうやら俺は親愛な者との縁は薄いらしい」
黒い額縁に囲まれて微笑む弟を見ながら自らの過去を振り返る。
両親とは成年に達しない内に死別した。
妻と息子は異国の地で不慮の事故にあった。
何れも生前の全期間を通じて心が通い合っていた訳ではないが、
−特にホームシックにかかっていた後者の方は−
それでも何者にも変え難い『家族』であった。
彼等が黄泉の国へと旅去った後、風車の国で成功を収めた
自分を最も喜んでくれたのは10歳以上歳の離れた弟だった。
「すげえな兄さん。本場でこれだけ評価の高い日本人なんて見た事ないよ。
 いっそ、こっちへ戻ってきたらすぐに代表監督になれるのに」
古巣との確執を知らない彼は無邪気な笑顔と共に宣っていた。

独り者の余裕がある鬼瓦と異なり、
リストラと収入減の恐怖に怯えながら働く長兄にとっては
今回の葬儀は傍迷惑な感情を呼び覚ます不快な儀式に過ぎなかった。
「全く、決算間近で忙しい最中に・・・どうせならもう少し後に」
「兄さん!」
度々こぼれ出る不用意な発言を嗜めながらふと思い出した事があった
水谷家の次男は尚も聞き取れない小声で文句を垂れている長兄に尋ねる。
「あいつに子供はいたのかな」
「今回の鉄道事故で唯一生き残ったが末の娘だ。
 まだ入院中だが数日後には退院できるらしい」
「誰が引き取る?」
「俺は無理だぞ。金食い虫が3人もいるんだ」
叔父としての義務や姪に対する愛着は欠片もないらしい。
「だがその前に諸々の件が先だ」
金銭に聡い兄が言及する『諸々』が何であるかを理解した
鬼瓦は辟易した表情を隠す気にはなれなかった。


心の篭った葬儀と言う代物は打算のない結婚式同様に
少数のケースとなっているのは雑誌の特集を通じてある程度は感知していた。
しかしここまで金銭的打算が渦巻く内輪の会合など
水谷家の次男はかつて経験した事はなかった。

言葉の形を借りた欲望と敵意が部屋の空気を充満している。
『形見分け』の名を借りた遺産分配−さしたる金額ではないが−は
映画や女性週刊誌のテーマとしては最適な題材の場だった。
「ちょっと失礼」
兄、叔父、叔母、妹の醜い言い争いに嫌気が差した鬼瓦は席を外す。
「ちょっと待てよ。俺の言い分が正しいだろ」
兄は自らの主張に同意を促そうとする。
「何言ってるの。私の方よね」
負けじと叔母もキャスティングボードを握る
次男坊を味方に引き込もうとする。
「フットボール同様に愛情のない意見が正しいとは言えないな」
唾を吐きたくなる衝動は柱への八つ当たりで誤魔かした。

教えられた病院は醜い葬儀場から徒歩で15分の近場だった。
「こちらです」
看護婦の案内で入った大部屋の片隅のベッドにその少女は放置されていた。
乱雑そのままの荷物の様子は見舞いの者が来ている風には見えない。
「覚えているかな。おじちゃんの事?」
「・・・・・・・うん」消え入りそうな声で少女は返事をする。
傍目にはいかつい鬼瓦の不気味な笑顔に怯えている風にしか見えないのだが、
それでも泣き出されたらどうしようかと悩んでいた
彼に取っては救われる一言だった。
「パパやママとお姉ちゃんはまだ絶対安静だからしばらくは会えないけど、
 真澄ちゃんが良くなる頃には面会も出来るよ」
「・・・・・うそ。パパもママも・・・・・・おねえちゃんも・・・・
 みんな・・・・みんな・・・・死んじゃったよって・・・・・・・・
 禿のおじちゃんが・・・・そう言ってたよ」

あの馬鹿!

ほんの少しだけ残っていた兄の敬意をかなぐり捨てた弟は
秘めたる決意を胸に何気に話題を変更する。
「そうかなぁ。ま、それは後で確認するとして
 真澄ちゃんは何か食べたい物があるかな。
 おじちゃんが買って来てあげよう」
「・・・・・・・何もいらないから真澄の側にいて」
愛くるしい表情で少女はむさ苦しい中年男を見つめる。
「さびしくって・・・・こわいの・・・・・・もうみんな・・・・
 いなくなっちゃったし・・・・・・大人の人達は・・・・・・・
 皆怖い目で・・・・・真澄を・・・・見つめるから・・・・・」

その日、面会終了時間まで鬼瓦は可愛い姪の側を離れる事はなかった。


劇的な結末から1週間後に受けた訃報の地点では想像も出来なかった
『扶養家族』を車に乗せて水谷は愛車を海外線に走らせている。
「綺麗なうみー」
事件の衝撃からようやく立ち直りつつある少女は
窓辺から見る光景に心を奪われている。
「おじちゃんが住む所は陸地の方だけど、
 そこから最寄りの海岸まではすぐそこだよ」
「ほんとー?」
「ああ、帰ってからはしばらくあれこれと忙しいけど、
 暇が出来たらおじちゃんと泳ぎにいこうか」
「うんっ」
1ヶ月半振りに見せる笑顔は三日三晩に渡る修羅場を潜り抜けて、
養育権と彼女が成年に達した際に受け取れる
財産を守り抜いた苦労を吹き飛ばす輝きを示していた。

プレハブ並みのクラブハウスの駐車場は満員御礼だった。
「一体何があったんだ?」
その疑問はナンバープレートを見た瞬間に氷解した。
「ああ、引き抜きか」
今頃、丁々発止の交渉で大変なんだろうな。
半ば他人事の様に考えながら自分の部屋へと進む。
「わぁー、ビデオと本がたくさんあるー」
彼の部屋は資料と知的関心がビデオと書物の形を取っていた。
「この中には真澄ちゃんが好きなアニメのお話やお人形さんはないけど、
 その内、幾つか買って来て飾ってもいいよ」
「えっ、でも・・・・・・・・・」
すぐに『鬼瓦のおじちゃん』仕事場である事を理解した
真澄はさすがに躊躇をみせる。
「おじちゃんは普段はここにいるから幼稚園の帰りに
 ここに寄ってもらった方がおじちゃんとしても助かる」
最寄の幼稚園はここから車で20分程度の距離である。

「勿論、毎日じゃないよ。おじちゃんはあっちこっち
 『巡業』があるからその時は誰かのお家に預かってもらうけどね」
「真澄も一緒じゃ駄目なの?」
「うーん、出来ればそうしたいけど色々あるからね。
 さっ、それよりまずは色々と挨拶する人に会おうね」
人見知りする少女には気が進まないかもしれないがやむを得ない。
むずかる真澄を促す水谷だった。


『お前さん。少女愛に目覚めたのか』
『悪いが身代金目当ての誘拐犯に協力するつもりはないぞ』

この台詞はいかつい中年男とその後ろからズボンの端を握って
もじもじしている少女を見た瞬間、
ねずみ男の脳裏に浮かんだ『親愛の情を示す挨拶』の内容だった。
尤も前もって事情を聞いていた金村は自身の思いを言語化する気はなく、
口にしたのは次の『穏当な』台詞だった。
「よく来たね、真澄ちゃん。そのおじちゃんは人でなしだから
 あんまり近付かない方がいいけど、
 私は真澄ちゃんを歓迎しているから何時でも遊びに来ていいよ」
「・・・・おい、それじゃ俺が悪人に聞こえるじゃないか」
「全くその通りじゃないか」
済まして断言するGMは秘書に飲み物の用意を頼む。
「武部君、可愛い真澄ちゃんは接待室にお通しして
 スポンサー様から頂いた『特上』のイチゴケーキとカルピスを。
 こっちの極悪人はさっきの引き抜き代理人に嫌々出した出涸らしのお茶を」

「具体的な話に入る前に聞きたい事がある」
コップから汗を掻いている上等な
−因みにこちらもスポンサーからの贈り物である−
麦茶を飲み干してから水谷は尋ねる。
「何なりと」
「どうしてクーラーをつけないんだ」
「まだ6月だろ」
「平均30度近い気温は『8月の真夏』なんだけどな」
「五月蝿い引き抜きを叩き出す為と夜間照明灯設置の為さ」
既に半袖の金村は涼しげに地元商店街の団扇を仰ぐ。
「ここまで吝嗇るからにはそれ相応の結果は期待して良いんだな」
こちらは福引の外れであるタオルで滴る汗を拭っている。
「羽生、由口、後藤はオッケーだ。何れも五年契約で縛り付けた。
 問題は矢野と徳宮のレンタル延長だ」
ねずみ男は思わせ振りな笑顔を見せる。

「なんだ、契約条件で揉めているのか?」
「否、単に金が足らんだけなのだがそれもあるスポンサー次第で解決する」
「勿体ぶらずに早く言え」
「10位以内に入るなら契約結んで良いとさ。駄目なら全額返還だけど」
「・・・・お前、正気か?」
「そう言う事は俺にではなく、オフサイドも知らないあいつ等に言ってくれ」
「あんたも去年の今頃は理解してなかったと思うが」
痛い所を突かれたが切り札のある金村の余裕は崩れない。

「お前、木田将人ってしってるか?」
「大学ナンバーワンリベロの名前を知らないとでも?」
「うちに入りたいんだと」
「何っ!」水谷は思わず椅子から立ちあがる。
「嘘じゃねぇよ。ほれ、今あそこで羽生とマッチアップしているよ」
開けっ放しにした窓の枠からは眼に眩しい天然芝の上で
二人のフットボーラーが激しいバトルを繰り広げていた。


 

「新戦力」へと続く。

「伸るか反るか」へと戻る。

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