『美濃攻略』


強烈な個性と独創的な行動でしられた
織田信長は桶狭間で奇跡的な勝利を挙げた後に
『あっと言う間に』義父・斎藤道三から譲り受け状を貰った
美濃を平らげて天下布武への道へと突っ走った・・・・・。
と講談調の文書には書き伝えられているが、
実際には斎藤家の本拠地・稲葉山城を落すのに8年の歳月を要している。

信長が本格的に美濃攻略に動き出すのは桶狭間から2年後だった。
余り知られていない事だが桶狭間の段階では
まだ信長は尾張一国を掌握しておらず、
配下の『豪族』達も100パーセント彼の威に服していた訳でもなかった。
気の弱い人間ならば卒倒し兼ねない程の苛烈な御家騒動を乗り切った
信長は桶狭間の勝利によって高まった自らの武威を冷静に把握、
『勢いに乗じて』ではなく『地味に確実に』自らの意思通りに動く
『家臣』達の編成にとりかかる。

きっかけなったのは『引越し』だった。
それまで居城としていた清洲城では北方に位置する
対抗勢力(含美濃)への対処に時間が掛かる。
そう考えた『危険な天才』は策を弄して本拠地を小牧山へと移し、
『いつでも・どこでも・いつまでも』戦える兵力を大量に生み出した。
この軍隊が信長関連の史書には必ずといって良い程に登場する
『常備軍の発生』だがこの軍隊、当時の社会体制からあぶれた
札付き、盗人、潜りの行商、果ては乞食で編成されている為に
お世辞にも強兵とは言えず、
まともに戦っていたのでは到底勝利は覚束なかった。
(隣の三河兵とは好対照だが)

そこで信長は戦闘による勝利を放棄、
専ら地侍の調略(寝返り)に主眼を置いた戦術に切り替える。
ここで表舞台に登場するのが信長型軍隊の特徴を一身に兼ね備えた
木下藤吉郎、後の太閤秀吉である。
木下藤吉郎の名前が正確な資料に登場するのは
『洲俣』が最初ではない。
確かに敵の勢力圏にあるデルタ地帯に砦を築き上げた
功績は尋常ではないが、
それとて過去の東美濃方面での実績が背景にある。
彼の名前が登場するのは武田信玄と上杉政虎(謙信)が
川中島で繰り広げた激戦の模様が全国に駆け巡った頃である。
(余談だが桶狭間合戦は川中島の激突より先の話である。
 昔、この手でよく同級生をからかった)

彼がまず仕掛けたのは尾張と美濃の国境周辺に屯する
土着勢力の懐柔だった。
この頃は江戸時代とは違って君臣の締め付けは緩いものであり、
情勢次第で主を変える土豪など珍しくもなければ恥でもなかった。
藤吉郎は竹中半兵衛の稲葉山城乗っ取りで動揺する
斎藤家を尻目に人脈を活かした調略活動を開始、
蜂須賀小六率いる川並衆(童話では盗賊となっているが)を
始めとしたいくつかの小勢力の懐柔とゲリラ的な焼き討ちに成功、
気難しく、疑り深い主君からの信用を得る。

尤も全てが楽にいったかと言えばそうでもなく、
藤吉郎は序盤の締めとなる鵜沼城攻略で最初の試練に直面する。
斎藤方に属していた勢力の説得に出向いた際に
中々降伏の段取りが付かずに一時は見殺しの危機に晒されてしまった。
結局この時は周囲のとりなしに藤吉郎は一命を取り止め、
命を賭けた代償ではなく、
それまでの働きに相応しい東美濃方面の代官的な地位を得た。
但し、収入の方は左程のものではなく
この事実が藤吉郎の更なる発奮と勤勉を促し、
一夜城の建設へと向かわせる。


 

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