私が小説やコラムで書き記している『フットボール』と言う表現は
日本で言う所の『サッカー』と呼ばれるボール競技を意味している。
『フットボール』と言う表現を使用している理由は
『サッカー』と言う言葉が意味する軽薄な部分が気に食わないのに加え、
世界で通用する言葉を使用したかったのが主な理由である。
だが私自身の思いとは裏腹に『フットボール』と表される
ボール競技は発生当初から唯一のスポーツを指す言葉ではなかった。
嘗ては仲良く『マイナースポーツ』の枠内に収まっていた
サッカーとラグビーは90年代に入り、
人気と将来性の面でくっきりと明暗を分けた。
国内唯一のプロスポーツであった野球とことなる定義を持ち出して、
新たなる支持層を確保して今後も発展が見込めるサッカー。
旧態依然とした枠組みを打破する事が出来ずに
少数の真摯なファンによって辛うじて支えられるラグビー。
成績と言う面ではどちらも似たり寄ったりであるにも関らず、
ここまで人気の差がついたケースは珍しいのではないかと思う。
そんな旗色の悪いラグビー界だが、全く未来がないと言う訳でもないらしい。
少なくともフリージャーナリストに関して言えばそのレベルは拮抗している。
確かにどちらも時には提灯記事や三流芸能記者が小遣い稼ぎに書いたのでは
と思わせる程につまらん記事やレポートも存在する。
だが、否それ故にだろうか取っ付きにくい『正論』的な評論も多く、
時には当事者達以上に物事の本質を見極めているのではと
思わせる記事やレポートも存在する。
今回紹介するのはそんな中でも最も批判精神に溢れ、
且つラグビーに対する愛情と知識が詰まっている書籍である。
著者は『悲惨で下品な現実』をポジティブに楽しく
鑑賞出来る様に様々な工夫をこらしている。
軽妙洒脱でセンスの感じられる文体は
批判の後には必ず希望の持てるケースを提示する事で単なる批判ではなく、
『工夫すれば明るい未来も有り得る』事も提示している。
その気遣いは似非ビジネスマン的色彩の濃かった
平尾ジャパンを糾弾する内容ながらも
(先日、事実上の解任と相成ったらしいが)
読んでいても疲労は感じさせない出来となって表れている。
若干、表現をこねくり回している部分があるにしても。
この書籍で個人的に一番気に入っているのは
第V章の『大西ジャパン』に関する考察である。
アマチュアスポーツ界最高の指導者であった大西鐵之祐は
(バレーの指導者・選手はセミプロだと考えているので対象外)
体の小さな日本人が巨大な外国人に勝つ為にはどうするかと言う
他の分野にも共通する命題を考えに考え抜き、
やがて「接近・展開・連続」理論を独創する。
私はラグビーに関しては素人のレベルなので
(別にフットボールの知識が玄人と言う訳でもないが)
この理論を万人が納得出来る様に判り易く説明する事が出来ないのだが、
この書籍を読む限りはどうやら『プロヴィンチア』が目指している
『トータル・フットボール』に共通する部分が多いらしい。
非常に不遜ながらも短く纏めてみると
『豊富な運動量と深い戦術・状況判断に基づいてイニシアティブを握る』と
言う所なのだろうか。
尤もこの攻撃的な戦法の成果はすぐに表れた訳ではない。
対戦記録で見る限り当時、世界で5〜8番目の強さを誇っていたと言われる
ニュージーランドジュニアズを破るまでは、
(著者はこれを日露戦争での勝利になぞらえている)
芳しい結果を出していた訳ではない。
アイデンティティー確立の為に試合よりも合宿を重視した結果、
大西鐵之祐就任以来、2年間で試合数はたったの3試合。
『日本代表』としての実質的な試合は
ニュージーランド遠征が始めてだったらしい。
そんな訳で遠征当初は地域代表や大学生相手に
(向こうの『大学生』は結構年齢幅があるけど)4連敗を喫している。
『結果には表れないが、目に見えない所で進歩がある』
結果が全ての世界でこの台詞は責任逃れとしてよく使用されるが、
こと『大西ジャパン』に対しては例外なのかも知れない。
それまで取り敢えずボール扱いの上手い連中だけ集めていた
日本代表に『チー戦術』を植え付けたオフトジャパン同様に。
作者自身は第W章の小題としている
『今後の世界ラグビー界』の推理考察に力を入れたかった様である。
(前書きにそう受け取れる文章が存在する)
しかし、現状の日本ラグビー界の現状を踏まえれば
やはり病巣につてい深く考察せねばと感じたらしい。
理想は高く持ちながらも現実を見る目は低く厳しく。
現在、順境にあると言って良い『フットボール』界も
見習わねばならない点だと思う。
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