『日露戦争』
先日、アジアカップの『消化試合』日本−カタール戦を観戦していたのだが、 久し振りに『約束事』のないサッカーチームの試合を見た気がした。 個々の能力は高くても集団としての意志が確立されていないと ああも弱く、得点の予感が漂わなくなるのか。 前半のダメダメな試合展開は 96年前に『皇国の興廃この一戦に在り』と一致団結していた日本が 内憂を抱え込んでいたロシアに仕掛けた戦争を思い起こさせた。 時代はシェアを確保する事によって新規の生産能力を高める 国家経営の手法が民族主義の高まりと民主主義の台頭で 行き詰まりを見せていた頃の話である。 尤もその事実を認識していたのはイギリスの様な先進国に限られ、 華々しい成功の光に惑わされた極東の新興国と 不凍港を目指す南下衝動を包み込んだ北の大国の関心は 只、目前の奪取可能な土地と利権にのみ向けられていた。 垂涎の地を領する国家は10年前の戦争の敗北で列強の好餌となり、 広大な領地の沿岸部は事実上の植民地(租界地)と化していた。 自国が後進国であるコンプレックスと裏返しな 極端な帝国主義的発想にどっぷり染まっていた 日本とロシアの緊張状態は10年前の戦後処理の地点から始まっていた。 小国を利益を横取りした大国はその広過ぎる土地同様の 無神経な動きで植民地化の動きを露骨に見せ、 当該国のみならず列強と目された大国からも警戒の目を向けられていた。 この風潮を巧みに利用した極東の小国は 世界の覇権を握っていた海洋国家と防御同盟を結ぶと同時に 早期の講和を目指して仲介国まで下準備する。 (その選択が正しかったかどうかは別の問題である) 尤もそれだけでは通常兵力10:1の格差は埋められなかった。 この時代は平時において生産活動を行わない無駄飯食らいの武力集団を どれだけ確保できるかが国力のバロメーターになっている。 普通に戦ったのでは到底勝てない。 外交努力で有利なポジションを得るだけでは意味がない。 そんなものは6:4の有利な立場になってこそ初めて効力を発揮する。 そこで極東の小国が採用した戦略は『勝ち逃げ』だった。 緒戦の勝利で得た権益を確保するべく有利な段階で早々に講和する。 それは卓越した識見によって導かれた戦略ではなく、 主観的に追い詰められた苦悩の立場から弾かれた 唯一の『生き残り』の戦略だった。
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