『オットマール・ヒッツフェルト』
1997年5月28日、 ここ数年で急速にグレードを上昇させる事で カップウィナーズカップを消滅させ、UEFAカップを突き放し、 そしてトヨタカップをエキシビジョンカップにまで格下げさせた 欧州チャンピオンズリーグの決勝が ミュンヘン・オリンピック・シュタディオンで催された。 名誉有るファイナリストに名を連ねたのは イタリアの保守本流たるユベントスとドイツの新興勢力たるドルトムント。 だがその内実は知力の心地良い香り漂わすプレッシングの担い手と 古き良きスポーツの範疇内に止まったチームとの対戦。 これまでの対戦成績も前者が実力差を如実に表した五勝一敗、 しかも調子のバロメーターたる自国リーグでも優勝と三位。 下馬評は前回チャンピオンチームが圧倒的だった。 だが新興勢力の指揮官たるドイツ人は決して諦めていた訳ではない。 屈強な2人のストッパー、ゲームを作るボランチ、 サイドを突破する右ウイングハーフ、 そして前線のチャンスメークを行うゲームメーカー。 彼等は何れも『貴婦人』と称される対戦相手に所属していた経験があり、 全員とまでは言わぬまでも基軸を為す選手の動きの癖は身体が把握していた。 であれば試合中の大半に訪れる劣勢は彼等の経験である程度は凌げる。 後は数少ない決定機を我々がモノに出来るかどうか。 ヒッツフェルトはそんな事を考えていたのだろう。 でなければ工夫と練習の跡が垣間見える右サイドからの突破と 計算出来るセットプレイからの得点が説明出来ない。 理知に拠って奪った前半のリードはマルチェロ・リッピが放った 並々ならぬリカバリーに拠って同点・逆転への不安を漂わせる。 無論選手としては平凡の一言に尽き、 コーチとしてのキャリアは故アンディ・フグの祖国で積み上げた 男は一点差に追い詰められた自チームの危険な雰囲気を素早く察知した。 無論、ヒッツフェルトは新たなカードを提示する必要を感じていたが 彼が懐から取り出したのは守備の補強と言う穏当なカードではなく、 攻撃の再活性化と言う過激なカードだった。 結果は駄目押しの三点目。 この得点を以って96−97年のチャンピオンは決定した。 その昔にかのマジックマジャールを倒した故国の代表に匹敵する 『大番狂わせ』をやってのけたヒッツフェルトだが しかし栄光に対する処遇は当時の指揮官だった ヘルべルガーとは正反対だった。
|
|
|||
|
|