『終わりと始まり』

 


漆黒のユニフォームを身に纏った選手達がピッチ上で躍動している。
彼等は『アズール・グラナ』を巧妙な包囲網で追い詰めると、
機能美を感じさせるプレッシングでボールを奪い取る。
「調子は悪くない様だな」
太いもみ上げと鋭い目つきが印象的な壮年の男が
この貴賓席では場違いな日本語で隣席する悪友に尋ねる。

「強化委員長の御前試合とあらば気合もはいるさ」
『一眼カメラを掛ければ教科書に出てくる日本人』と
しばしば揶揄される風貌に皮肉な笑みを浮かべながら少壮の男が返答した。
「いやいや、極東のプロヴィンチアを世界的ビッククラブに育て上げた
 名GM(ゼネラルマネージャー)の苦労に報いる為さ」
サッカー協会を牛耳る強化委員長は長年の慣習に従って、
礼儀正しく皮肉のジャブを打ち返した。
「まあ、何にでも潮時と言うのがあるからね」
対角線を描く鮮やかなサイドチェンジを見やりながら先程とは違う種類の笑顔を見せた。

「マティルスの轍は踏まないと言うことか」
国際Aマッチ150試合の最多出場記録と晩節を汚した事で知られるドイツ人は、
フットボールの世界においてしばしば引き際の難しさを示す比喩として使用されている。
「いや、Nカップ優勝監督として栄光に包まれたまま、
 勇退したあんたの出処進退を真似ただけさ」
「むぅ・・・」
強化委員長が何か答えようとしたその時、
苦労して捻出したオープンスペースに飛び込んだ小柄なボランチが、
ダイビングヘッドで先制点を叩きこんだ。

「おおっ」
漆黒のレプリカを着込んだサポーター程ではないがVIPが陣取るこの席からも歓声が上がる。
「我々の息子達は心温まる会話を邪魔したいらしい」
苦笑ともに互いに肩をすくめ合う二人であった。


鮮やかな先制点を許した『オレンジ・カタルーニャ』だったが、
気落ちせずに積極的に攻撃を仕掛けてきた。
中盤の底からのワンタッチ素早いボール回し、
ウイングとサイドハーフの密接な連携による鋭い切れこみ、
そしてCFの見事なポストプレイに引き出される波状攻撃。
それはワールド・チャンピオンズ・リーグ準決勝での
劇的な逆転勝ちを連想させるに充分な猛攻だった。

「昔の親会社の撤退騒動を思い出す様なえげつない攻撃だな」
GMは遠い目をして当時の記憶を脳裏に浮かべていた。
市場開拓の宣伝道具としてプロサッカーチーム創設した航空会社。
放漫そのものの経営に胡座を掻いていた穀潰しの自分。
四国国際空港開設の無期延期に伴う経営撤退騒動。
俺に後始末の一切を任せたのは不手際によるチーム消滅を期待しての事だった。

「上手い具合に勢いを殺しているな」
感嘆混じりの台詞は自分の世界に入り込んでいた
『金村 稔』の意識を現実へと引き戻していた。
強化委員長が指差したピッチ上では、
ワールド・チャンピオンズ・リーグ2連覇を目指すチームが
コースを限定させるプレスでダイレクトパスの猛威を半減させ、
中央に絞り込む守備でサイドの突破を許さず、
そしてオフサイドを誘う振りをしてロビングを上げさせなかった。

「俺がやった事は彼等に比べれば児戯に等しい」
GMは芸術の香り漂う試合運びを見て苦笑した。
世論が批判的なのを利用した負債の押し付け。
同時にクラブとして活動可能な施設を確保して、
市民クラブとして再出発を計れる様に便宜を計った。
尤も、従順な平社員であるべき平社員の出過ぎた行動は、
上の連中からの肩叩きを招いて転職を余儀なくされたのだが。

「禍福はあざなえる縄の如し、か」
豪華な調度の揃った部屋を眺め回しながら金村は呟いていた。
「あんたと同様にね」
彼の経歴を知る強化委員長は自分の事を言われたのかと勘違いして対応する。
「俺も『シュバルツ愛媛』に来なければ只の『コーチ兼評論家』さ」
その見解は盟友と悪友を兼ねる男の同意を誘うものだった。


前半終了の笛がなった時点でのスコアは1−0のままだった。
ロッカールームに消えて行く両監督の表情は
スコアに現れない厳しい戦いを雄弁に物語っている。

「『ミズタニ・ザ・マジシャン』だったらどこで仕掛ける?」
金村は強化委員長の数多い異名の一つを持ち出して
「ヘッドコーチ」としての見識を問うてきた。
「ファン・ヒューレンが3−4−3の誘惑に屈した時だな」
強化委員長は断言した。
「あれは中央部の4人のポジション・チェンジが命綱だ。
 しかし今のカタルーニャには出来ない相談だからな」
「スペシャリストが揃い過ぎて融通性に欠ける?」
「ああ、その通りだ」
「アジャツクス・システムを打ち破るのはあんたの十八番だからな」
「フェテッセ時代は稼がせてもらった」
『ジャイアント・キリングの名手』は過ぎし日の出来事を思い出していた。

フットボールだけで飯を食う為に親や親戚一同の
猛反対を押し切ってオランダに渡った三十数年前。
雑誌とのタイアップによる現地取材と現地の書物の翻訳で
苦しい生活の糧としながらコーチのライセンスを取得したあの頃。
そして俺はアマチームのコーチから徐々にキャリアを積み上げていった。
『水谷 宏一』は当時を懐かしむ眼光を浮かべた。

幾つかの小クラブを経てようやく声を掛けてきた新進クラブ。
期待に応えてビッグ3の一角を崩したのもつかの間、
会長が権力闘争に敗れて経営陣が総辞職、
人心一新の巻き添えを食った浪人の身に時期外れのオファーを出したのは・・・・・・
「この『シュバルツ愛媛』だったんだよなぁ」
「偶然、交渉ルートを探り当てたもんでな」
二人の脳中には期せずしてセピア色となっていた
初対面のシーンが思い浮かんでいた。


それは初夏の過ごしやすい気候から梅雨入りを予感させる
蒸し暑さが気になり始めた5月の終りか6月の初めの頃だった。
水谷が自ら出向いて建て付けの悪いドアをノックして入室した時、
金村は山積する書類に半ば埋もれていた。
『性格の悪さが滲み出た貧相な顔立ち』と
『太い眉と太い揉み上げをくっつけた鬼瓦面』は
短い自己紹介を交わすと『この世で最もまずいお茶』を飲み
『奇特なスポンサーからせしめた』和菓子をつまみながら交渉に入った。

「あの時、あんたの示した提示額に愕然とした事を覚えているよ」
「実はあれが限界だったんだ」
「では『若手育成のプログラム作成』を含めた金額が倍以上だったのは?」
「あれは借金だ。『スポーツ普及業務の代行』を請け負う事で役所を保証人にして、
 頭取がサッカーファンだった信用金庫から滅茶苦茶な事業計画書で融資を受けていた」
「・・・よく証人喚問に呼ばれなかったな」
水谷は呆れ返っていた。
「使う所は使うさ。芝生同様にね」

両者は金額面を含めた交渉が一段落すると練習場へと足を運んだ。
そこには緊縮財政を余儀なくされている
クラブとは思えない程見事に整備された練習場で
行き先がなく否応なしに残った若手と、
他チームからの戦力外通告を受けた選手達がミニゲームを行っていた。
その様子をじっと見ていた水谷は決断を下す。

−よし、決めた。俺があいつらへの『リベンジ』を実行するにはこの程度のチームが丁度良い−

「・・・・まあ、こういうチームを率いるのも悪くないですな。
 コーチングの醍醐味は不完全なチームに規律と調和をもたらし、
 モチベーションと集中力を高め上げて勝利を掴かにありますからな」
十歳以上年下の新米GMに新進コーチは右手を差し出した。
「まあ、これからは宜しく」
「・・・ああ、こちらこそ」
ようやく水谷の意図が理解できた金村も右手を差し出た・・・・

『フットボール界最強のデュオ』達が長きにわたる付き合いで
唯一度の握手シーンを思い出した頃、選手達がピッチに戻ってきた。
それを見た両者の顔が一瞬にして仕事の顔に戻った。
一人は代表チームの強化責任者として。
もう一人はクラブ運営の全権を握るGMとして。


ファン・ヒューレンの自制心は45分しか持たなかった。
チャンスを作れない焦り。
かつてクラブ世界一に輝いた栄光の記憶。
ビッククラブ故のプレッシャー。
そしてカタルーニャ人を無視する選手起用に対するブーイングは、
彼から正常な判断力を奪い取った。
ピッチに現れた「アズール・グラナ」は鮮やかな3−4−3を描いていた。

左サイドでこそ光輝くセレソンきってのクラッキはトップ下でプレッシングの重囲に晒され、
鮮やかなパス回しを見せていたメディオ・セントラルは
サイドハーフのフォローとディフェンダーのバックアップを失って孤軍奮闘を余儀なくされる。
そんなカタルーニャが武器から弱点へと変貌した左サイドから崩され、
長身のプレーメーカーに豪快なヘディングを突き刺され、
バックパスをカットした1.5列目のシャドーストライカーに
息の根を止められたのは当然の流れだった。

「嬉しそうだな」
『V2』と書かれたシャツを着込んだ選手達がはしゃいでいる。
「あんたは嬉しくないのか」
「勝利に対する不感症が俺が辞める理由さ。
 もう『爆撃機』や『マエストロ』がいた昔の様には喜べない」
クラブの歴史と共に歩み続けた金村は寂しそうに笑った。
心情は水谷も理解できる。
彼もクラブと代表の監督を辞任した理由が同じだったのだから。

「・・・あの頃、ここまで来れると考えたか」 
表彰式を眺めながら不意にGMが尋ねた。
「まさか。目標が『2部死守』のクラブを指揮する
監督がそんな事考える訳ないだろう」
強化委員長が即答した。
「ひょっとして艱難辛苦にまみれていたあの頃の夢を見るのかい?」
「・・・あんたもか?」
「ああ」
苦労の連続だった記憶は頂点に上り詰めた男達に取って
いつしか甘美な思い出へと変わっていた。




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