『オズワルド・アルディレス』


就任以来、様々な話題を提供したムッシュ・トゥルシエも
二ヶ月程前にレバノンの地でようやくそのポジションを固めた感がある。
普通に考えれば彼がこのまま2002年6月までは続投と言う事になろうが、
結果が優先される代表監督の椅子に『絶対』はあり得ない。
来年の成績(どちらかと言えば内容)如何では
再び水面下で燻る火が燃え出さないとは限らない。
その時、誰が混迷しているであろう代表を短期間で立て直すだろうか。
個人的には『日本人に向いた指導法』を生得している彼に白羽の矢を
立ててみるのも面白いと思う。

先週のこのコラムでは中盤のリーダーとして母国の優勝に貢献した彼だが
選手としてのキャリアではイングランド・トッテナムで輝いた。
鋭い読みに裏打ちされた頭脳的プレーと英語を積極的に学ぶ順応性の高さは
二度のFAカップ制覇とUEFAカップ優勝を自身とクラブにもたらした。
だがそれ以上に記録には残らないが記憶に残る味わい深いプレーは
トッテナムのサポーター達に深く愛され、
フォークランド紛争の際には
「オジ−(アルディレスの愛称)は得られるのならば島はいらん」
との横断幕を翻させた。

そんな彼が監督としてのキャリアをスタートさせるのは
90年代に入ってからである。
趣味はチェス、読書、田園散歩、おまけに弁護士の資格を持つインテリは
アルゼンチン・イギリス・フランス
(前述の件で一年間だけレンタル移籍していた)
の3ヶ国を渡り歩いた経験を活かして理論と経験のバランスの取れた
指導法を引っ下げてイギリス・メキシコのクラブを渡り歩いたが、
必ずしも結果を出していたとは言えず、
その才能と手腕は十全に発揮されているとは言えない状態だった。

そんな彼が極東の地にやって来たのは96年の事である。
当時、清水エスパルスは現ブラジル代表監督の
『ペンペン草1本も這えない強化方法』の
後遺症と深刻な財政難に苦しんでいた。
それまでブラジル路線を突っ走っていた
彼等の急な路線変更は今一つ理解出来ない所だが
(結果として成功したとは言え)
恐らくはマッサーロ(元イタリア代表)獲得を通じて接触した
欧州系の代理人の人脈を通じての事だろうか。
詳細はともかく、清水はモナコを首になっていたベンゲルを
偶然拾い当てた名古屋グランパス同様の幸運さで彼との契約を成立させ、
(この時の彼はフリーだったのだろうか?)
同時に真の強豪としてのスタートを切る。


アルディレスが来日した頃の『日本のブラジル』は
自らのスタイル確立と半端でない累積赤字に苦しんでいた時期だった。
勝負師・レオンに率いられた市民球団は全盛期のヴェルデイ相手に
何度かJリーグやナビスコカップのタイトルを争っていた。
(勝った事は一度もなかったが)
しかし後先考えない強化はメンバーの硬直化につながり、
それが自らの土壌で育んだ宝を他チームにさらわれる悪循環を招いた。
さらに身の丈を考えない無謀な経営はボディブローの様に
企業としての体力を消耗していった。

その様な複雑な時期に指揮を執ったアルディレスは
じっくりと時間を掛けてチームを再生させていく。
『少数精鋭』を掲げた彼は限られた手持ちの駒を上手に育て上げながら
中央突破に拘るアルゼンチンとサイドアタック(からのクロス)を
重視するイングランドのスタイルを融合させて独自の色彩に染め上げていく。
同時にブラジル的悪しき『マリーシア』によって
イメージが悪かったクラブをフェアプレー賞の常連に仕立て上げる。
尤もこの様なやり方はすぐに成果が出るものではなく、
一年目のリーグ成績は下から6番目の10位に過ぎず、
マスコミの評価も『好チーム』と言う程度に過ぎなかった。
しかしながらこの頃から次第と商品価値が下がり始めた
ナビスコカカップの初優勝(清水の初タイトル)。
並びにボスマン・ルール支配下における欧州・南米市場の高騰化。
それに何よりも『サッカー王国』清水でなければ
間違いなく破産に陥った経営危機が皮肉な事に彼の政権を安泰なものとした。

自ら年俸を下げてまて残留を希望した
知性派の監督は翌年もじっくりと人材の育成とチームスタイルを煮詰めていく。
幸いな事に彼の手元には鹿島からやって来たユース代表候補のセンターバック、
自前のユースチームから育成した才能溢れるディフェンダー、
格安で確保したブラジル人のサイドアタッカー、
そして酸いも甘いも知り尽くしたベテラン達と戦力的にも
年齢的にもバランスの取れた戦力が構成されつつあった。

そして恐らくは勝負を賭けたであろう3年目がやってきた。
しかし『イタリアでも通用する』とまで言われたサックスブルーと
ジーコイズムが根付くワインレッドが猛威を振るっていた頃に
ぶつかる巡り合わせの悪さで後一歩の『修羅場の経験』が足りなかった為に
ファーストステージ2位、セカンドステージ3位と
後一歩の位置に甘んずる事となった。
しかしオジ−の育成を受けた『息子』達は翌年から代表の中枢を担い、
唯一不足していた修羅場の経験(いろんな意味で)を経た彼等は
ノストラダムスの予言が外れた事を立証した年に
年間総合1位を勝ち取ったのである。


 

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