真紅の色彩をユニフォームに取り入れているチームが
一定以上の強さと人気を獲得した際、
彼等の存在をアピールする異称は常に冒頭の台詞である。
その名誉に浴したチームは英国の港町のクラブチームであったり、
関東北部の今一つ理解出来ない補強策に走るクラブチームであったり、
そして今回紹介する地味な中堅国である。
五大会連続W杯出場の内、予選リーグ通過は四回。
遠い昔にオリンピックを制した事もあれば、
欧州選手権では準優勝も経験し、昨年は共催の名誉も得た。
(結果は開催国の義務を果たしたとは言えないが)
それがベルギー・ナショナルチームの主な実績である。
経歴だけ見れば地味どころか立派な強国なのだが、
攻撃的な目映い光を放つオレンジの華やかさが彼等の光を打ち消している。
別に嘗ての同朋達に遠慮していた訳でもないだろうが、
(ベルギーは1830年にオランダから独立)
彼等の活躍はオランダの黄金時代が終結した78年以降に始まる。
前述した欧州選手権は80年のイタリアの地で、
二年後のスペインではディエゴ・マラドーナの
W杯デビューを黒星で飾る金星を挙げて
(1−0の完封勝ち)
二次リーグ進出を果たしている。
尤もその光芒はベルギーの牙城を打ち砕いた
西ドイツの強力なフォワードラインと
(彼等相手に)ハットトリックを達成した
ポーランドのボニェクに比べると見劣りするのは事実であり、
四年前のファイナリストとして顔を出した
84年のフランスに至ってはプラティニ伝説の引き立て役として、
彼にハットトリックを許す0−5の大敗を喫している。
そんな苦い経験を経た末に訪れた
『赤い悪魔』襲名の機会は2年後に中南米の高地で訪れた。
W杯では『予選で苦しんだ方が本大会の成績が期待出来る』との
台詞が繰り返される物だが、
86年のメキシコでもそう言った光景が見受けられた。
前年の地区予選を二位で通過したベルギーは
プレーオフで激突した三年後後の欧州選手権相手に
ホームで1−0の勝利をアウェーでは0−2から
起死回生の得点でグーリット・ライカールトの出番を奪い取った。
(同点の場合はアウェーゴール二倍して白黒をつける)
首の皮一枚で凌ぐ展開は本大会も同様だった。
予選リーグでは初戦でに開催国メキシコとぶつかり、
16年前同様の結果が繰り返された。
負けられない第二戦はアウトサイダーと目された
イラク相手に2−1と接戦を演じ、
(余談だがイラクの得点者はドーハで日本をさんざんに苦しめた8番)
最終戦のパラグアイを何とかドローに纏めて
3位グループでの決勝トーナメント進出を果たす。
(この大会の予選は4チーム×6の予選リーグ)
そして決勝トーナメント初戦で彼等の見せ場はやって来る。
対戦相手のソ連が披露するウクライナ風味のトータルフットボールの前に
スコアこそ一点差だったものの防戦一方を強いられる。
しかしテレビスケジュールを重視した真昼の攻防と
(欧州のゴールデンタイムに合わせた)
オフサイドの見逃しを利用して同点に追い付くと、
へばったカップウィナーズカップチャンピオン達を相手に
陽気で攻撃なキーパー・パフとクレバーな右サイドバック・ゲイツが
デイフェンスを引き締め直し、
右サイドから若きシーフォが古典的なゲームメイクを見せ、
トップ下のクーレマンスが二列目から
左サイドに向って重厚感溢れるドリブルで蹂躙する。
その結果、4−3のどつき合いの勝利とベスト8の名誉を手繰り寄せた。
その後、スペインとの地味な試合をPKで制した
ベルギーだったが、さすがにマラドーナ全盛期のアルゼンチンと
シャンパンフットボール全開のフランスには歯が立たなかった。
とは言え、山椒が利いた活躍がプレッシングの波が押し寄せる前の
華やかな雰囲気に彩りを添えた。
その彩りは華やかなものでなかったにせよ、
決して力量に優れないチームであっても、
やり方次第では勝ち進める事を立証した点で
決してブラジル、フランス、そしてアルゼンチンが披露した
光彩に劣るものではなかった。
|