暇と金を持て余す連中にとって九月から十一月の三ヶ月は
茶を立て、詩を詠み、花を生け、舞い踊る『雅道』に明け暮れる季節である。
その習慣は同時に姫島に居住する数多の師匠達の稼ぎ時でもある。
尤も多数の品を揃え、幅広い教養と臨機応変な機転が要求される
風流を極めるのは並大抵の事ではなく、
その域に達したと思われる数寄者は男女に関らず尊敬と崇拝の対象であった。
「結構なお手前で」
四十代半ばの脂切った顔に政商の世界にに入り込む野心を全身に漲らせている
中年男が神妙な顔付きで二十以上も年下の『お師匠様』の腕前を賞賛する。
「さすがに姫島随一の数寄者の仕切でござる」
こちらは30代後半のよく整った顔立ちに出来る人物特有の
怜悧な雰囲気を身に纏わせながらも感服の態を現している。
「御粗末様でございます」
茶色に渋味がかった道服を着込んだ美貌の女性が丁寧にお辞儀をする。
「いや、『紅雪』様におかれては此度の骨折り、感謝いたしておりまする」
中年男は成功の足掛かりを掴んだ密会への尽力振りに謝意を表す。
「いえいえ、私は御二方を引き合わす手引きを
御手伝いさせて頂いただけですので」
雪香は作り笑顔で真の目的を隠しつつ、口先だけの謙遜を述べる。
「いやさ、お陰で今回の件は上手く纏まりました。感謝いたす」
勘定奉行次席も普段は滅多に下げない頭を下げる。
姫島郊外に建設が予定されている関西管領の別邸の発注に伴う
口利きと賄賂の『商談』が纏めた功績は多額の謝礼と河南の商権独占だった。
「雪香御嬢様、お手紙が届いておりまする」
後始末を済ませた後、一人で茶を立てていた彼女に家令から声がかかる。
「あ、はい」
楽しい空想を中断された彼女は対面に置いていた空の茶碗を片付ける。
「まあ」
差し出し主は筆不精な猫背の青年だった。
「もう、ちゃんと毎日出してよね」
雪香は二週間振りの手紙に文句を言いながらも小走りで書院に向かった。
文机に向かった雪香は猫背の青年独特の丁寧且つ所々角張っている
筆跡を一心不乱で目に通している。
胥吏上がりの無粋な男が書く文章に
情熱的な愛の文言や彼女を気遣う言葉は記されていないが
それでも簡潔に纏まった近況報告は雪香を安心させた。
『先日、そちらから送って貰った金子は相応の役割を果した。
甚助はまだ種を撒いている段階なので当面は彼等からの情報が頼りである。
洋駿では五月蝿い連中がいないので諸事に渡って通りが良い。
それから先日送った物資の注文は年内に送って貰えれば幸いである』
端から見れば味も素っ気もない散文的な文章だが
雪香にとっては百万言の求愛の言葉よりも嬉しかった。
自分が役に立っている。自分の行動が愛する男性の行動を支えている。
愛情と充実感に包まれる喜びが彼女の生の実感をもたらしていた。
何度も何度も達筆とは言えない文字を読み返した後、
『紅屋』の令嬢は返信を書き始めた。
気候の話題から始まる内容は雅道を通じて得た有力者側からの河南情報、
猫背の彼がが発注した物資の集まり具合、
修一郎の健康を気遣って食事の献立と詳細な調理方法、
そして来年一月には洋駿に移住できる旨をしっかりと記しておく。
「嫌だと言ってもついて行くんだから」
あの日、布団の中でも散々渋った彼の渋い顔を思い出すと笑みが出る。
「向こうについたら浮気も考えられない程に愛してあげる」
二ヶ月後には現実へ変化する未来図を思い浮かべて
照れ笑いをしている光景は可笑しくも可愛らしいかった。
−誰や、こんな大事な時に俺の噂をする奴は−
鼻をかみながら修一郎は訝しんだ。
「いや、話の腰を折る様で申し訳ございませぬ」
眼前で渋い表情の戦奉行に頭を下げる。
「まぁ良い、それより準備の方はどうじゃ」
「はっ、現在は細作を撒いて情報を集めている所でございます」
「うむ、それで上申書に書いておる話はいつ頃になりそうじゃ」
「仕寄資材の集まり具合にも拠りますが、恐らくは来年の頭かと」
「年内には出来んのか」
苛立だしい表情を見せながら戦奉行は尋ねる。
−ふむ、妙だな。何ぞまた五奉行会議で何かあったんか−
戦場でも滅多に使わない『諸事優先』の旗を掲げた急使が
洋駿に顔を見せたのは博方で黄海社中との会合を開いていた頃の事である。
いくら野放しに近い状態とは言え、
定期的な連絡を欠かせばいらぬ疑惑を招くかもしれない。
又、少しはやる気も見せておかないと叉ぞろ横槍が入るかもしれない。
そう考えての大零山攻撃の件を上申したのだが、
その件で詳細な説明を求められた修一郎は急遽、
姫島への出立を余儀なくされていた。
「実はお館様が又、別邸を立てると言い出しての」
「はぁ」
惨めな逃避行による戦場の恐怖を味わった江北遠征以来、
関西管領は先代の管領が築いた−彼の父親でもある−
権力と財力を雅な世界に注ぎ込んでいた。
その執心振りはなまじな芸術感覚を持つだけに並大抵のものではなく、
昨今では家中から「少しは控えて頂きたい」との空気が生まれつつあった。
−成程、つまりは御館様の建築道楽を止めさせる方便か−
確かに『不浪人を減らす為の』戦争の為ならば、
管領も少しは我意を押えねばならない。
関東管領とは違い、一応の権力基盤と組織が固まっているとはいえ、
全く配下の意向を無視する訳にも行かない。
今は盲目的な忠誠心が必ずしも最上の価値を得ていない時代であった。
「如何でしたでしょうか」
数名の護衛と共に修一郎を出迎えた恵有が問い合わせる。
「予算が欲しいから早くしろととさ」
馬車の方向へ歩きながら主語を省いて応えた。
「他人の懐具合を気にして戦わなければならないとは不便ですな」
車中で二人きりなった僧形の相談役は苦笑を見せた。
「全くだ。どうせこちらには回ってこないのにな」
『切り取り次第』とは『自前で何とかしろ』と同じ意味である。
「しかしこれだけ話が大きくなりますと
紅屋も一枚噛んでいると考えた方が良いですな」
馬車に揺られながら恵有は尋ねた。
玄武隊以来から鉄砲の取り扱いを一任している大店の動向は無視できない。
「ああ、あそこはどっちかと言えば勘定奉行寄りやさかいに
下手すればこっちとの方角が逆になるかもな」
ここでは雪香個人の意向は考慮する必要はない。
大事なのは紅屋が勘定奉行との繋がりが深いと言う事実のみである。
「そうなれば如何なされますか?」
「難しい所だな。坊主殿はどうお考えかな」
修一郎が方針を決めていない時は遠慮無く意見を述べる。
「今後を考えれば拙僧はやはり戦奉行の意向を重視すべきかと愚考します」
「金はどうする」
一里を離れていない距離で、先程成立した密談の様子など
知る由もなかったが勘定奉行側の勢力が減れば
当然の事ながら紅屋の儲けは減少し、こちらの融通額も減ってくる。
「別口で集めれば宜しいかと」
「黄海の連中に頼むのか」
「いえ、彼等は野に遊ばせていてこそ真価を発揮します。
拙僧が申し上げているのは博方側からです」
恵有は皺の深い相貌に笑みを浮かべた。
「?」
「羽戸川は全ての『座』を支持を受けている訳ではございませぬ」
「成程、そう言う事か」
確かに先日の会合は非主流派からの手引きがあった節が見受けられた。
実際そうでもなければ敵の本拠地でああもあっさりと
会合を持つ事は出来なかった筈だ。
「解った。その線で進めよう」
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