腕自慢の猛者が揃う黒一天三番が無快楽な地へ出向く諦念を
胸に押し殺して鹿浜の守備へと出向き、
長らく番頭の下手糞な、それでいて聴衆を惹き付ける唄を聞かされた
黒一天二番が意気揚々と洋駿の地へと引き上げてくる。
そして快楽主義者達の帰還を知った歓楽街は一斉に祭りの準備を始め、
弥四郎の気風に染まった配下達がもてなしを無にするつもりはなかった。
「知事様の出陣って本当かや」
陽性の活気が夕方から夜に衣を変えつつある洋駿にこだましている。
「んだんだ、儂ん所の二番様ん者の話じゃと此度は知名と久喜だべさ」
別に情報通でなくても、修一郎が頑固者達の処遇に頭を悩ましているのは
表に語られない常識であった。
「知事様が御決断されたんはやっぱ東管家が
衛州のお公家はんに負けたんが大きいのかのぅ」
先月上旬に『座株』の保証書発給を巡って勃発した
両勢力の境界線上で行われた会戦では元・落魄れ元老議員側の勝利となり、
それでなくても内部に問題を抱える東管家は苦境に立たされていた。
「ほんで困り果てた東管家がうちの知事様に泣き付いたらしいべさ」
「『頼むから『矢止め』(停戦)を結んで下され』ってみたいにかや」
「そうじゃ。うちん所としては当面の所ぁ大零山の線さえ確保すれば
ええんじゃから、ほりゃ知事様もすぐに承諾されたっちゅう話じゃ」
「でも西管家の方はどうじゃ?関中に攻め込む絶好の機会じゃろが」
「それが戦奉行様の意向が先日の一番頭様の御実家の件以来、通らんのよ。
何せ向こうは台所が火車じゃきに他の四奉行様方は
出征なんぞしたくないっちゅう御意向じゃと博方に来とった
姫島の商人が教えてくれたんじょ」
街中の酒屋なり茶屋で話される会話や語彙の響きには
我々の世界におけるスポーツや競馬の大一番の予想を連想させる。
「此度も知事様の勝ち戦なのかのぅ」
「当たり前じゃ。知事様ぁ並ぶ者なき軍略の持ち主じゃけ」
疑問に思う様な響きはない。半年前まで寂れた僻地に過ぎなかった
洋駿では半年弱に二度の戦に勝利した修一郎への信頼は揺ぎない。
「知名・久喜が屈服すりゃ知事様は名実ともに『樹州様』だじょ」
彼等の表現は明らかに黒一天軍団長を自分達の主だと目している。
実際、西管家所縁の土地と言っても彼の地の出身者は半分にも満たず、
−それも大半が不浪人や失業者と言った類の−
既にこの治所の気風は『独立領主の治所』と言った塩梅である。
初夏の夕陽が西方の大地へと沈むのと反比例して、
杯を重ねた酒場での会合はさらに盛り上がりを見せる。
「そうじゃ、あの武芸がからっきしな知事様がこの地を征服されるんじょ。
この乱世にかように痛快な事が他にあらまいが」
「んだ。あん御方は中々ぁつぼを押えた政事を差配してくださるんで
儂等の様な根無し草に有り難いこっちゃで」
「我等が知事様に乾杯って所じゃな」
「おうよおうよ。この関中者が呑む『麦酒』ってやつをよぉ
いっちょ飲んでみんべ」
白く泡立つ黄色い液体を大振りな器に注ぐのは
我々の世界から見れば奇異だが、
この時代はまだ陶芸技術が未発達で麦酒専用の茶碗は作られていない。
「うーん旨いのぅ、関中の連中は何時もこんなの飲んどるのかのぅ」
心地良い酒息を吐きながら男は満足の態を現す。
それまで濁酒しか経験のない男にとって異なる苦味は快楽であった。
「いや、こっちも作るにゃ時間も手間も賄賂を掛かるっちゅうんで、
秋から冬にしか飲めんっちゅうことじょ」
渋そうな顔で相方が肩を竦める。
「そいつぁあれかや、『酒座』の締め付けかや」
「そん通りじょ。あいつぁろくに商売も精を出さんと、
おのれ共の商売敵と政治遊戯ばかりにうつつを抜かし取る」
「別に酒だけじゃのうて、儂ん所の『衣座』もそうじゃ。
やれ伝統だの古式だのってろくに新規の意匠を取り入れん。
お陰で客の顔触れが同じで全然、儲けが増えん」
隣の大台で飲んでいた男も『座』の不便さに唱和する。
「その点、ここは五月蝿い連中がおらんで楽じょ」
「全くよ。そりゃ知事様の奥方様ん所はあれじゃけど、
その他は僅かばかりの地代さう払えりゃ後はお構いなしだからよぉ」
彼等の様な『座』に入れない零細商人達に取って
洋駿の地は魅力的な商売の土地でもある。
「人が集り、物が集り、そして金も集る。知事様々じゃなぁ」
「ほんまじょ、あんお人が勝ち続ける限り、儂等も商売安泰じゃあ」
限りない成長と発展が幸福を保証すると信じられた
幸せな時代の酒盛りはいつもの様に深夜まで続いた。
部下達が陽気な酒盛りに興じている頃、
深部弥四郎は燭台が明と闇のコントラストを彩る
樹州知事の執務室で猫背の青年と皺の多い補佐役と協議を重ねている。
よく誤解されるのだが
この男は酒・飯・女に眼がない一方で決して本業を疎かにする事はなく、
黒一天二番頭に敗れた者達が悪意を絵具として作成させた
絵画に残っている様に女姓や酒を侍らせて軍議や戦に参加した事実はない。
「すると我が番は『此度も』重労働と言う事ですか」
脂肪がたっぷりついた丸っこい輪郭に良く似合う丸い眼で
弥四郎は黒一天軍団長を見つめる。
「俺がお前に楽させた事ってあったか?」
「さあ、とんと記憶にございませぬが」
弥四郎は諦念を含めた方頬を引き攣らせる。
「まぁ鉄砲担いでの移動はしんどいやろうが、
今度は獲物が多いさかいになるべく二番には目立って貰わなあかんのや」
ここで言う『獲物』とは単に知名・久喜両郡の敵勢だけを差す訳ではない。
「なるべく見栄え良う勝って博方の連中に踏ん切りつかせにゃな」
「甚助どんの工作は上手くいっとるんでございますかな」
「ああ、座の利益を蒙らん連中は結構、話に乗ってくるそうやけど
野盗との勝ち戦だけやと説得力が今一つらしい。
そやさかいに此度はお座敷から見物してもらうんよ」
表情のない顔から皮肉めいた感情が混合された笑みを露にした。
「彼等とて善意で商いを行っていない以上、
安全確実な『保証書』を見聞したいのでこざるよ」
恵有もさり気なく弥四郎の奮起を促す。
因みにこの時期の宗洋島にはまだ『手形』と言う概念は登場していない。
「何と申しても鉄砲は黒一天の花形故に、差配する弥四郎殿次第で
愚僧を含めたこれからの黒一天の身の振り方も決定する訳でござる」
黒一天第二公用語と冷徹な見識による激励は二番頭を奮起させる。
「わっかりました。ここまで見込まれたからにゃやらん訳にも行きますまい。
深部弥四郎、来る知名・久喜の戦では黒一天ここに有りと頑張りまっす!」
感動の余り立ち上がって宣言する弥四郎を
修一郎と恵有は互いに見やりながら視線で会話する。
−権八殿同様に上手く行きましたな−
−ああ、次は難関の平左や。心せにゃな−
「お前の訓練の成果だけが頼りだ」と三番頭に囁き、
「この一戦から北宇智の御家最高が始まる」と一番頭を激励する。
二番頭を含めた幹部達を軍議の前に個別に集めて
それぞれの奮起を促すのは
玄武以来の古参と黒一天成立後の新兵が肩を並べて野戦に挑む
『知名・久喜戦役』においては重要な手段だった。
何故なら指揮官のやる気が部下に伝播し、
実力以上の働きを見せない事には
修一郎が設定する目的が実行されそうにないからである。
平左が「真にその様な・・」と呟き、
弥四郎が「こりゃまた・・」と呆然とし、
権八が「むむ・・・・・・」と呻き声を上げる。
『両郡の軍勢を平野部に誘い出してそれぞれを個別に撃破。
然る後にすみやかに敵方の拠点を制圧する』
大零山や鹿浜の時は防御拠点を利用した襲撃だったが、
此度は真っ向勝負で雌雄を決する。
それは『騎士』幻想が抜け切っている筈の黒一天の幹部でさえ、
確立の低い博打を挑む危険を関知させる作戦骨子だった。
「何や、お前等怯えたんか」
個性豊な各人の相貌に浮かんでいる蒼白の気配を察した
修一郎はわざとおどけた口調を使う。
「そう言う訳ではごさいませんが・・・・・」
平左も二の句が思い浮かばない。
「確かに甚助の見積もりやとあっちの手勢はこっちの三割増しで
おまけに大零山の野盗共と違ってちゃんとした騎士達や。
そやけどその数字が額面通りの動きが出来るかは別の問題や」
「と、言いますと」
弥四郎が疑問を呈する。
「此度は由緒正しい連中の端の連中やから
劣等意識丸出しの戦を仕掛けよるのは眼に見えとる」
「確かに」
権八は個別会談で提示された種々の情報を脳裏に浮かべる。
「こっちとしてはそないな古典的演目に付き合うんやのうて、
新手の演目を上演したい。豊五、説明せい」
「はっ」
怜悧な表情で立ちあがったのは
優秀な頭脳と偏狭な性格で知られる作戦参謀だった。
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